第56話 洗濯の流儀と、ハーレム・マネジメント。 〜「手洗い派」vs「魔法派」の喧嘩を仲裁せよ〜
北への旅路の中継地点、商業都市『カレン』。
活気あふれる市場の一角で、とんでもない冷気が渦巻いていた。
原因は、俺の目の前で睨み合っている二人……。
「……信じられません! レギナさん、師匠のシャツをなんだと思ってるんですか!?」
エルーカが、洗濯したての俺のシャツを握りしめて抗議する。
「貴様こそ、非効率極まりない。手作業でゴシゴシ洗うなど、生地が傷むだろうが」
レギナが冷ややかな視線で返す。
二人の間には、バチバチと火花が見えるような険悪な空気が流れていた。
周囲の通行人が、怯えて遠巻きに避けていく。
「……喧嘩すんなよ……」
俺がおずおずと声をかけるが、二人は聞く耳を持たない。
ヒートアップした女性陣の迫力は、魔王よりも恐ろしい。
「そんなこと言ってないで止めてくださいよ先輩」
隣でミサが、我関せずといった顔で棒付きキャンディを舐めている。
「お前が止めてくれよ。同じ女同士として」
「日本だったらそれ、女性蔑視になりますよ? 『女なら仲裁が得意だろ』みたいな偏見」
「お前はフェミニストじゃないだろ。それにここ日本じゃないし」
俺たちがコソコソ話している間にも、事態は悪化していく。
エルーカが聖剣の柄に手をかけ、レギナの周囲温度が絶対零度まで下がる。
「けんか……だめ。ナオト……」
俺の足元で、ルナが不安そうに俺のコートを引っ張った。
まずい。子供に気を使わせている。
「うーん……どうしたもんかなぁ」
俺が頭を抱えると、ミサがニヤニヤしながら言った。
「先輩、これは試練だと思いますよ。いい機会です。一夫多妻を受け入れるなら、これくらいの喧嘩、仲裁できなくちゃ先が思いやられますよ?」
「うーむ……」
正論すぎて反論できない。
複数のパートナーを持つということは、こういう人間関係の摩擦を調整し続けるということだ。
バグ取りよりも難易度が高いぞ。
俺が躊躇している間に、二人の口論は決定的な局面を迎えた。
「もういいです! レギナさんなんてわからず屋! 絶交です!」
エルーカが叫び、踵を返す。
「フン。こちらから願い下げだ。所詮は育ちの悪いポンコツ勇者か」
レギナも吐き捨て、反対方向へと歩き出す。
「あっ……」
二人はそのまま、別々の方角へとスタスタ歩いて行ってしまった。
残されたのは、俺とミサ、そしてルナだけ。
「行っちゃいましたけど」
「はぁ……」
俺は深くため息をついた。
最悪だ。パーティ解散の危機じゃないか。
「どうすんですか? 何でも屋存続の危機ですよ」
「……そもそも、あいつら何で喧嘩してたんだ?」
俺はミサに尋ねた。
言い争いが始まった時、俺は車の整備をしていて最初を聞いていなかったのだ。
「ああ、それですか」
ミサはキャンディを噛み砕き、呆れたように説明した。
「『先輩のシャツの洗い方』ですよ」
「……は?」
「エルーカちゃんは『愛情込めて手洗いして、お日様の下で干すのが一番! お日様の匂いがするシャツを師匠に着てほしい!』って主張」
「……ふむ」
「対してレギナっちは『洗浄魔法で汚れを分子レベルで分解し、風魔法で瞬間乾燥させ、アイロン魔法で折り目正しく仕上げるのが至高。シワ一つないシャツこそマスターに相応しい』って主張」
「……そんなしょうもないことで……」
俺は脱力した。
どっちでもいいわ。洗ってくれるだけで感謝しかないわ。
「先輩にとってはしょうもないことでも、本人には大切なことなんですよ。自分の『尽くし方』を否定された気がして、だから怒れてきちゃうんです」
ミサがやれやれと肩をすくめる。
乙女心というのは、かくも複雑で面倒くさいものなのか。
「……で、どっちから行くべき? エルーカ? レギナ?」
俺が助けを求めると、ミサはプイッと顔を背けた。
「知りませーん。そんなの自分で決めてください。……私、巻き込まれるの御免ですし」
冷たい。
さっきまで「試練だ」とか言ってたのに。
「ケーキ食べに行こルナちゃん」
「ん。ケーキ、たべる。いちごの」
ミサはルナの手を引いて、さっさとカフェの方へ歩き出してしまった。
「あ、おい……!」
置いていかれた。
完全に孤立無援だ。
「まあ……やるだけやってみるか……」
俺は二人が消えた方向を交互に見た。
右にはエルーカ、左にはレギナ。
まずは取っつきやすいエルーカからいくか?
あいつは根が素直だし、少し頭を冷やせば「言い過ぎました」って反省してくれそうだ。
だが、先にエルーカから行ったことが後々レギナにバレたら、それはそれで「私は後回しか」と問い詰められそうな厄介な匂いがしないでもない。魔族の嫉妬は重い。
逆に、レギナから行くか?
あいつはプライドが高いから、自分から折れることはないだろう。放置すればするほど拗らせて、「もういい、私は魔王軍に帰る」とか言い出しかねない。
……ここは、難易度の高い方から処理するべきか。
エルーカは忍耐強いし、俺が後で誠心誠意謝れば許してくれるはずだ。
だがレギナは、今この瞬間のケアを間違えると致命的なエラーを吐く可能性がある。
「……よし。レギナだ」
俺は覚悟を決めた。
これは「何でも屋」のリーダーとしての業務だ。
メンバー間のトラブルシューティングも、管理者の仕事のうち。
俺はレギナが消えた左の路地へと、足早に向かった。
……あいつ、機嫌直してくれるといいんだが。
◇
路地裏の突き当たりにある、古びた酒場。
レギナはそこにいた。
昼間からカウンターに座り、琥珀色の液体が入ったグラスを傾けている。
「……マスターか」
俺が隣に座ると、彼女はグラスを見つめたまま呟いた。
その横顔は、怒っているというよりは、どこか寂しげに見えた。
「隣、いいか?」
「……好きにしろ。ここは誰のものでもない」
俺は店主にエールを注文し、レギナに向き直った。
「悪かったな。俺のシャツのせいで」
「……別に、マスターが謝ることではない」
レギナは氷をカランと鳴らした。
「ただ……許せなかったのだ。私の魔法を『心がこもっていない』と言われたようで」
彼女は唇を噛んだ。
「私は魔族だ。人間のように、器用に手作業などできん。魔法こそが私の全てで、私の奉仕の形だ。……それを否定されるのは、私の存在そのものを否定されるに等しい」
なるほど。
エルーカの何気ない「手洗いは愛情」という主張が、魔法至上主義のレギナには「魔法で済ますのは手抜き」と聞こえてしまったのか。
「……レギナ」
俺は彼女の手からグラスを取り上げ、テーブルに置いた。
そして、その白くて細い手を、両手で包み込んだ。
「俺は、お前の魔法が好きだぞ」
「……っ!?」
レギナが目を見開き、顔を赤らめる。
「いつも完璧な温度で淹れてくれるコーヒーも、シワ一つないシャツも、お前の魔法があるからだ。そこに愛情がないなんて、一度も思ったことはない」
俺は真っ直ぐに彼女の赤い瞳を見つめた。
「お前の魔法は、冷たくない。いつだって俺を助けてくれる、温かい魔法だ」
「マ、マスター……」
レギナの瞳が揺れる。
頑なだった表情が、みるみるうちに崩れていく。
「……私は、不器用だから。こうして魔法で尽くすことしかできん。それでも……いいのか?」
「それがいいんだよ。お前はお前のままでいい」
俺が言うと、レギナは俯き、俺の手に額を押し付けた。
「……ズルい男だ。そんな風に言われては、怒る気も失せてしまう」
彼女の肩が震えている。どうやら、機嫌は直ったらしい。
……ふぅ。第一関門突破だ。
「さあ、行こう。エルーカも待ってる」
「……うむ」
レギナは素直に立ち上がった。
その顔には、もう迷いはない。
「だがマスター。……あとで、私だけにもう一度、今の言葉を言ってくれないか?」
耳元で囁かれる甘い声。
……前言撤回。
機嫌が直りすぎて、別の意味で危険なモードに入ってしまったかもしれない。
「ぜ、善処する」
俺は冷や汗をかきながら、レギナを連れて店を出た。
次はエルーカだ。
あっちはあっちで、きっと拗ねて泣いているに違いない。
ハーレム・マネジメントへの道は、まだまだ険しそうだ。てか、めっちゃ大変だ。




