第55話 助手席の恋心と、上書きされる倫理観。 〜日本の常識《モラル》を捨てて、異世界のルールで愛することを誓う〜
祭りの翌朝。
村人総出の見送りを受けながら、俺たちの乗った魔導ワゴン車『ハイエース改』は村を出発した。
「元気でな! 雨乞いの恩、一生忘れんぞ!」
「また来てくれよなー! 何でも屋バンザーイ!」
子供たちが手を振り、車が見えなくなるまで追いかけてくる。
その光景に、後部座席のエルーカとレギナも、窓から身を乗り出して大きく手を振り返していた。
「……いい村でしたね」
「うむ。酒も美味かった。またいつか、立ち寄りたいものだ」
二人は満足げにシートに座り直すと、昨夜の深酒が祟ったのか、すぐに心地よい揺れに身を任せて微睡み始めた。
平和な寝息が車内に響く。
今回の運転手は俺だ。
助手席にはミサが座り、その膝の上ではルナが丸くなって眠っている。
昨日まで俺の膝を占領していたルナだが、今日はミサの柔らかな膝枕が気に入ったらしい。
車は赤茶けた荒野の一本道を、滑るように走っていく。
エンジン音だけが響く静かな車内。
俺はハンドルを握りながら、ずっと胸につかえていた「問い」を口にするタイミングを計っていた。
「……あのさ、ミサ」
「ん? 何ですか先輩?」
ミサがタブレットから顔を上げる。
俺は視線を前方固定したまま、努めて軽い口調で切り出した。
「この前の話なんだけど」
「え? どれですか? エンジンの出力調整の話?」
「いや、違う。……一夫多妻制の話だ」
その単語を出した瞬間、ミサの肩がビクッと跳ねたのが視界の端で見えた。
彼女の耳が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「あ……」
ミサは気まずそうに視線を逸らし、ルナの銀髪を指で梳き始めた。
あの時は勢いで口走って逃げ出したけれど、改めて面と向かって言及されると恥ずかしいのだろう。
「あれさ、俺なりに真剣に考えてみたんだけど……。まず、お前の気持ちを聞きたくてさ」
「は、はい……」
ミサの声が小さくなる。
俺はハンドルを握る手に力を込めた。これは、曖昧にしていい話じゃない。
「もし、俺がそうしたい……『三人とも受け入れる』って言ったら、お前はそれを受け入れられるのか?」
「えっ……?」
ミサが顔を上げ、俺を見る。
俺は言葉を選びながら続けた。
「エルーカやレギナは、元々この世界の住人だ。この世界には貴族や王族を中心に、側室を持つ文化がある。今では一般家庭にも浸透してきて、一夫多妻制にもそこまで違和感や抵抗はないかもしれない。むしろ、あいつらの性格なら『争わなくていいから好都合』ってすんなり受け入れるかもって思ってるくらいだ」
レギナに至っては「魔王軍では強者が全てを独占するのが常識だ」とか言い出しそうだし、エルーカも「師匠のお嫁さんになれるなら何番目でも!」と言いそうだ。
だが、ミサは違う。
「でも、お前はさ。俺と同じ日本人じゃん」
俺たちは、別の倫理観の中で生きてきた。
「一夫多妻なんて制度の無い国だし、奥さん以外の誰かに好意を持ったり、関係を持ったりしたら『不倫だ』『浮気だ』って騒がれる価値観で暮らしてきた。それはもう、理屈じゃなく魂に染み付いてるもんだろ?」
「……はい」
「お前はさ、それに耐えられるの? 俺がもし、お前以外の……エルーカやレギナに同じように好意を向けても。……嫉妬で、心が壊れたりしないか?」
それが一番怖かった。
ミサは明るく振る舞っているが、繊細だ。
前世の記憶を共有している分、俺への執着も強いはずだ。
そんな彼女に、この世界のルールを押し付けていいのか。
車内に沈黙が落ちる。
タイヤが砂利を踏む音だけが、規則的に響く。
ミサは目を伏せ、長い睫毛を震わせていた。
やがて、消え入りそうな声で呟く。
「……一夫多妻制を言い出したのは、私ですよ?」
「それはあくまで、そういう手段もあるよと提示しただけだろ。冗談めかして言った言葉を、俺が真に受けてるだけかもしれないし」
俺は彼女を見ずに、前を見続けた。
「これまで日本人として染み付いた倫理観は、そう簡単に払拭できるもんじゃない。……無理して笑って、あとで泣くくらいなら、今ここで『嫌だ』って言ってくれ。俺は、お前を泣かせたくない」
俺の言葉に、ミサが息を飲んだ気配がした。
少しの間があり、彼女は静かに問い返してきた。
「……そういう先輩は、どうなんですか?」
「俺は……」
言葉に詰まる。
どうなんだろうな。
男としての本能や、この世界の常識に甘えて、美味しいとこ取りをしようとしているだけなんじゃないか。
そんな自問自答を繰り返していた。
ミサは、ふう、と小さく息を吐いた。
そして、独り言のように語り始めた。
「……本音は、私、先輩が私以外の誰かを好きになること、嫌です」
はっきりとした言葉。
胸が痛む。
「独り占めしたいし、独り占めして欲しい。私だけを見て、私だけを特別扱いして欲しいって、いつも思ってます」
「……そうだよな」
「でも……」
ミサが、後部座席を振り返った。
そこでは、エルーカとレギナが寄り添って眠っている。
戦場では背中を預け合い、日常では喧嘩しながらも笑い合う、大切な仲間たち。
「私、先輩のことも好きだけど……二人のことも、同じくらい好きになっちゃったから」
ミサの声が、優しくなる。
「二人がどれだけ先輩のことを想ってるのかも知ってるから。命懸けで先輩を守ろうとする姿も、先輩に褒められて喜ぶ顔も、全部見てきました。……そんな二人を押しのけて、私だけ独り占めなんて……そんなことは出来ません」
それは、諦めではない。
彼女なりの、精一杯の誠実さだった。
「……そっか」
「そりゃ、日本で一夫多妻なんかしたら、非難轟々でしょうね。ワイドショーで叩かれて、社会的に抹殺されますよ」
ミサがくすりと笑う。
「でも……ここは異世界だし、私たちは今、この世界の倫理観で生きてるんです」
彼女は、膝の上のルナの頭を優しく撫でた。
この世界で生まれ、この世界の理で生きる小さな命。
「自分の感情や、前世の価値観に任せて、こっちのルールを都合のいい解釈でねじ曲げて、誰かを独占しようなんて……この世界のルールしか知らずに、そのルールだけを信じて生きてきてる人達に対して失礼だと思います。……卑怯だと思います」
ミサの言葉は、俺の胸に深く刺さった。
そうだ。
俺たちは「翻訳者」であり「改変者」だが、この世界を生きる住人たちの想いまで書き換える権利はない。
郷に入っては郷に従え。
それが、この世界で生きると決めた俺たちの「覚悟」なのかもしれない。
「……そうだな」
「だから、私……もし先輩が一夫多妻制を受け入れるって言うのなら。私もその中に入りたい。三人のうちの一人でいいです」
ミサが顔を上げる。
その瞳に、迷いはなかった。
「それに先輩は……誰か一人だけに傾倒して、他をないがしろにするような浅はかな人じゃないって分かってますから」
彼女は、俺を信頼しきった目で微笑んだ。
「一夫多妻で私たち三人を受け入れると決めたなら、先輩は全員を平等に愛してくれる。……あなたは、そういう人です」
……参ったな。
全部、お見通しかよ。
前世でもそうだった。
こいつはいつだって、俺の意図を汲んで、俺が一番動きやすいようにサポートしてくれた。
俺が迷っている時は背中を押し、俺が間違えそうな時は正してくれる。
最高のパートナーだ。
この後輩には、勝てないな……と、改めて思った。
「……分かった」
俺は前を向き直り、アクセルを踏み込んだ。
迷いは消えた。
彼女がそこまで覚悟を決めてくれているなら、男である俺がウジウジしてちゃ格好がつかない。
「近いうちに、答えを出すよ。……お前らを待たせてるままじゃ、男が廃るからな」
俺が言うと、ミサはパァッと顔を輝かせた。
「はい! 期待してます!」
彼女の笑顔は、窓の外に広がる青空よりも眩しかった。
車は進む。
目的地であるルナの故郷までは、まだ距離がある。
だが、俺たちの心の距離は、以前よりもずっと近づいていた。
ハンドルを握る手に力が入る。
世界を救うのも、三人のヒロインたちを幸せにするのも。
全部まとめてやってやる。
それが「何でも屋」の仕事だろ?




