第40話 屋上の星空と、抜け駆け禁止令。 〜ロマンチックな告白は、物理的に阻止されました〜
カケルとの決戦から数日が過ぎた。
王都は日常を取り戻しつつあった。
そして、俺たち「何でも屋」は、むしろ以前より騒がしくなっていた。
「師匠! 今日の夕飯、オムライスに挑戦します! 卵をふわふわにする魔法を覚えました!」
「マスター、風呂掃除完了だ。水垢一つ残していない。褒めてくれ」
エルーカとレギナは、以前にも増して俺の世話を焼きたがり、競うように家事をこなしている。
カケルとの戦いでチームの結束が固まったのはいいことだが、その方向性が「いかに師匠に尽くすか」に向かっている気がしてならない。
「はいはい、ありがとうな。……ふぅ」
俺は夕食後の喧騒を抜け出し、一人で屋上へと上がった。
夜風が心地いい。
手にはマグカップに入れたホットコーヒー。もちろん、レギナが淹れてくれた最高の一杯だ。
屋上のフェンスに寄りかかり、俺はぼんやりと星空を見上げた。
この世界の夜空には、二つの月が浮かんでいる。
見慣れたはずの光景だが、カケルが残した「サービス終了」という言葉を聞いてからは、どこか不安定なホログラムのようにも見えてしまう。
「……先輩、屋上で星空眺めながらコーヒーなんて、ロマンチストでも目指してるんですか?」
背後から、からかうような声がした。
振り返らなくても分かる。ミサだ。
彼女もマグカップを片手に、パタパタとスリッパの音をさせて近づいてくる。
「からかうなよ。綺麗なものは綺麗だ。別に星くらい見てたっていいだろ」
「ふふっ。じゃ、私もお邪魔しちゃいます」
ミサが俺の隣に並び、フェンスに手を置いて同じ空を見上げる。
彼女から、ふわりと甘い香りがした。シャンプーの匂いか、それとも彼女自身の匂いか。
「こうして見ると、星空ってどこの世界も同じなんですね。星座の形は違うけど」
「だな。……北極星みたいな道標がないと、迷子になりそうだ」
俺が言うと、ミサは少しだけ目を伏せた。
沈黙が落ちる。だが、不快な沈黙ではない。
共有すべき過去を持つ者同士の、静かな時間。
「……カケル君は」
ミサがポツリと口を開いた。
「鼻につく子でしたけど、悪い子じゃありませんでした」
「……」
俺は何も言わず、コーヒーを啜った。
カケル。俺たちの後輩であり、この世界を壊そうとした敵。
俺にとっては「顔も知らない不愉快なクラッカー」でしかないが、ミサにとっては、かつて指導した後輩だったのだ。
「こっちでは許されない極悪人だ。同情の余地はない」
俺はあえて突き放すように言った。
ミサが引きずらないように。
「分かってます。……でも、多分」
ミサは夜空の月を見つめたまま、独り言のように続けた。
「先輩が生きてカケル君に会ってたら、彼もああはならなかったと思います。あの会社で、先輩の背中を見ていれば……きっと、あんな歪んだ承認欲求に溺れることもなかった」
「……なんでそんなこと言い切れるんだよ? 俺はああいうガキは苦手だ。天才気取りで、地味な仕事を馬鹿にするような奴はな」
「ふふっ。私に少し似てたから」
「は?」
「まだ入社したての頃の、クソガキだった私にですよ。……私も最初は思ってましたもん。『なんでこんな雑用ばっかり』『私のセンスならもっとすごいものが作れるのに』って」
ミサが苦笑する。
確かに、新人の頃のこいつはかなり尖っていた。
俺の組んだコードに「美しくない」とケチをつけたり、仕様書を無視して勝手にデザインを変えたり。
毎日が喧嘩の繰り返しだった気がする。
「でも、先輩は怒鳴らなかった。ただ黙って修正して、『次はこうしろ』って背中で見せてくれた。……だから私は、腐らずにいられたんです」
ミサが俺の方を向く。
その瞳が、星明かりを反射して揺れていた。
「カケル君には、それがなかった。私が先輩の代わりになろうとしたけど……なれませんでした。だから」
「……買いかぶりすぎだ」
俺はため息をついた。
「お前は確かに軽口は叩くし生意気だったけど、誰より努力してたし、才能もあった。俺が修正する前に、自分で気づいて直しに来ることもあったろ? 気も利いたし、あいつとは大違いだ」
俺は本心で言った。
ミサは優秀だった。俺がいなくなった後の半年間、あの激務を一人で支えたことが何よりの証拠だ。
「先輩……」
ミサが少し驚いたように目を見開き、それから頬を染めた。
じっと見つめられると、居心地が悪い。
「……なんだ?」
「……口説いてます?」
「アホか」
俺は即答して、デコピンしようと手を上げた。
ミサは「あはは」と笑って身を引く。
「……なーんだ。違うのか。別に口説かれても良かったのに」
「お前なぁ……」
こういう軽口を叩けるのが、こいつの強さであり、ズルいところだ。
だが、今日のミサはどこか違った。
いつもならここで「なんてね!」と笑って終わるはずが、彼女は真剣な眼差しで俺を見つめ続けていた。
「先輩。……私の気持ちに、気付いてますよね?」
ドキッとした。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
気づかないふりをしていた、確信部分。
「……」
俺が答えられずにいると、ミサは一歩近づいてきた。
フェンスに背を預け、俺を見上げる。
「……私、嫌なんです。もう後悔するの」
彼女の声が震えていた。
「先輩が死んでしまったあの日、私が帰らず一緒にいたら救えたのかなとか、もっと早く気づいてあげられたらとか……凄く悩んで悩んで、毎日寝不足になっちゃいましたよ! 馬鹿みたいに泣いて、自分を責めて……」
「……そいつは……悪かったな」
俺は絞り出すように言った。
謝って済むことじゃない。でも、それしか言えなかった。
「……言えなかったこと……いっぱいありました。好きですとか、尊敬してますとか、ありがとうとか。……後悔して生きてました」
ミサが胸に手を当てる。
「だから、この世界に転生した時、思ったんです。次は思いっきり生きようって。誰かの顔色伺ったり、優しい自分を装ったり、そういう疲れる事からは全部逃げ出して、言いたいことは言いたい時にぜーんぶ言って、私は私として思うように、好きなように全力で生きるんだって!」
彼女の瞳に、強い光が宿る。
それは、前世のあの薄暗いオフィスで見ていた、疲れ切った彼女の目とは違う。
生命力に溢れた、眩しい光。
「そうだな。……今ん所、上手くいってんじゃん」
「えっ……?」
「だってお前、あっちの時よりめちゃくちゃキラキラしてる」
俺は素直な感想を口にした。
今のミサは、綺麗だ。
外見の話じゃない。その在り方が、見ていて気持ちいいくらいに輝いている。
ミサが目を見開き、みるみるうちに顔を赤くしていく。
瞳に涙の膜が張り、唇を噛み締める。
「先輩ッ……! 私……! 先輩のこと……!」
彼女が意を決して、一歩踏み出した。
その言葉が紡がれる瞬間――。
バンッ!!
「ちょっと待ったぁぁぁぁ!!」
屋上のドアが蹴破られ、二つの影が飛び出してきた。
「お、お前ら!?」
俺とミサが驚いて振り返ると、そこには鬼の形相をしたエルーカとレギナが立っていた。
二人ともパジャマ姿だが、手にはなぜか武器が握られている。
「み、見てましたよミサさん! ドアの隙間から!」
エルーカが涙目で叫ぶ。
「今、何か、女としての危機を感じたので出てきてしまいました! そ、その先は言わせません!」
「右に同じく。ミサ! 貴様、雌を出しすぎている!」
レギナが杖の先をミサに向ける。
「な、何よ! いいところだったのに!」
ミサが真っ赤な顔で抗議するが、レギナは聞く耳を持たない。
「発情期か! これは許されざる蛮行! 所謂……『抜け駆け』というやつだ! 私は知っているぞ! その手の文献は読み漁ったからな!」
「そうです! 温泉で協定を結んだじゃないですか! 私たちは対等な三角関係! 抜け駆けなんて許されません!! だっ、断固糾弾します!!」
エルーカが拳を振り上げる。糾弾て。国会かよ。
「ぬ……抜け駆けなんて、そんなつもりは無くて……ただ、つい……雰囲気に流されたというか……」
ミサがもごもごと弁解するが、目が泳いでいる。
「つい!? な、なんて罪深い言い訳ですか!」
「そうだ! 『つい』でマスターの唇と心を奪うつもりだったのだろう! この泥棒猫!」
「く、唇までは考えてないわよ! ……まだ!」
「まだ、だと!? やはり狙っていたのか!」
ギャーギャーと騒ぎ始める三人。
シリアスなムードは木っ端微塵だ。
さっきまでのロマンチックな空気はどこへやら、屋上は修羅場と化している。
俺はため息をつき、飲み干したコーヒーカップを置いた。
「……お前ら、うるさいよ」
俺の声に、三人がピタリと止まる。
「夜だから。近所迷惑になるだろうが」
俺が呆れた顔で言うと、三人は顔を見合わせ、「……はい」とシュンとした。
「ほら、降りるぞ。風邪引く」
俺はドアへ向かった。
三人は、俺の後ろをついてくる。
ミサがちらりと俺を見て、小さく舌を出した。
エルーカとレギナは、まだミサを警戒してジト目を向けている。
まったく。
スローライフには程遠い、騒がしい日常だ。
でもまあ、悪くはない。星空の下で一人、後悔に浸るよりはずっといい。
こうして、何でも屋の夜は更けていった。
俺の心に残っていたカケルの影は、彼女たちの喧騒にかき消され、いつの間にか消えていた。




