第35話 重力定数(g)=0。 〜空中に「足場《プラットフォーム》」を描けば、アクションゲームも楽勝です〜
「きゃあああっ! と、止まりません~っ!」
無重力空間に突入した直後、エルーカの悲鳴が響き渡った。
彼女は空中で手足をバタつかせながら、ゆっくりと回転している。
まるで宇宙遊泳だ。
「うっ、気持ち悪い……。上下の感覚がないというのは、ここまで不快なのか」
レギナも顔を青くして、空中に漂う岩にしがみついている。
スカートの裾がふわふわと浮き上がり、慌てて手で押さえているのが涙ぐましい。
「物理演算オフって、ここまで徹底してんのかよ……」
俺はガントレットのワイヤーを近くの柱に撃ち込み、なんとか体を固定していた。
この空間には「重力」がない。
さらに最悪なのは「摩擦」もほとんどないことだ。
一度地面を蹴って飛び出すと、何かにぶつかるまで永遠に止まれない。慣性の法則だけが支配する世界。
「これじゃ身動きが取れません! どうするんですか先輩!」
ミサも空中でクロールするように泳いでいる。
このままじゃ、敵の的だ。
「ミサ! お前のスクーター! あれなら推力移動できるだろ!」
「あ、そっか! 忘れてました!」
ミサは慌てて空中にウィンドウを展開した。
彼女のスキルには、デザインしたデータを保存・実体化する『アイテムストレージ』機能がある。
「召喚! 魔導スクーター・ベスパ改!」
ポォンッ!
可愛らしい効果音と共に、虚空から愛車のスクーターが出現した。
ミサは器用に空中で飛び乗り、エンジンを始動させる。
キュルル、ヴォンッ!
「よしっ! これなら動けます!」
ミサがスクーターに跨り、空中で体制を立て直した、その時だ。
「先輩! 来ますよ! 上……いや、下から!」
ミサが叫ぶ。彼女の指差す方向――天井付近から、異形の魔物たちが降ってくる。
壁を走るトカゲや、浮遊する眼球の怪物たちだ。
「ちっ、こっちはまともに動けんってのに!」
俺はガントレットを構える。
だが、この環境では攻撃すらリスクになる。
「はぁっ!」
エルーカが近くに来たトカゲを斬ろうとして、聖剣を振るった。
だが、剣を振った反動で、彼女自身の体が逆方向へクルクルと回転し始めてしまった。
「あわわわっ! 目が回りますぅ~!」
「アホか! 足場がない場所で剣なんか振るな! 作用反作用の法則だ!」
俺が叫ぶが、もう遅い。
「あ〜れぇ〜……」
エルーカは独楽のように回転しながら、どこかへ飛んでいってしまう。
「私が撃ち落とす! 『炎弾』!」
レギナが魔法を放つ。
だが、火の玉は一直線に飛んでいくものの、発射の反動でレギナ自身も後ろへ吹き飛んだ。
しかも、火の玉は空気抵抗がないため減速せず、狙った敵を通り越して遥か彼方の壁に激突した。
「くっ、制御できん! これでは的にならん!」
近接職も魔法職も機能不全。
敵はそれを嘲笑うかのように、四方八方から飛びかかってくる。
『Error: Gravity Not Found.(エラー:重力が見つかりません)』
俺は必死にコードを書き換えようとするが、エリア全体にかかった強力なプロテクトが弾く。
システム設定で「重力定数 g = 0」にロックされている。これを書き換えるには時間がかかりすぎる。
「くそっ……! ミサ! 何か手はないか!?」
「あります! 重力がないなら、作っちゃえばいいんです!」
ミサがスクーターの荷台から立ち上がり、スタイラス・ペンを抜いた。
「物理法則は変えられなくても、『当たり判定のあるオブジェクト』なら追加できます! エルーカちゃん、そこ蹴って!」
ミサが空中に素早く線を引く。
すると、光のラインが実体化し、空中に「床」が出現した。
「えっ? は、はいっ!」
回転していたエルーカが、足裏に触れた光の床を蹴る。
ガッ! と確かな感触。
回転が止まり、彼女は弾丸のように敵へ向かって加速した。
「すごい! 踏めます!」
「どんどん行くよー! 『空中足場』生成!」
ミサが次々と空中に板を描いていく。
それはまるで、アクションゲームの足場のようだ。
エルーカはその足場を次々と飛び移り、三角跳びの要領で加速していく。
「いっけえぇぇぇっ!」
加速に乗ったエルーカの聖剣が、トカゲの魔物を一刀両断する。
斬った反動で体が浮くが、すかさずミサが背後に「壁」を描き、受け止める。
「ナイスだミサ! レギナ、お前もだ! 体を固定しろ!」
「承知!」
レギナがミサの作った手すりに掴まり、体を固定する。
反動を殺せれば、砲台としての火力は健在だ。
「固定砲台モード、起動! 『追尾氷弾』!」
無数の氷の礫が放たれる。
重力がない分、射程は無限大だ。敵がどこへ逃げようと、誘導弾が執拗に追いかけ、撃ち落としていく。
「よし、反撃開始だ!」
俺もガントレットを操作し、敵の動きを阻害する。
『target: Enemy_Group』
『set: Friction = 100(摩擦係数:最大)』
敵の周囲の空間だけ、空気抵抗を極大にする。
すると、自在に飛び回っていた魔物たちが、急に泥水の中を泳ぐように動きが鈍くなった。
「今だ! 畳み掛けろ!」
「はぁぁぁっ!」
「燃え尽きろ!」
エルーカの剣とレギナの魔法が炸裂する。
物理法則が壊れた空間でも、俺たちの連携とミサの機転があれば関係ない。
次々と魔物が駆逐され、光の粒子となって消えていく。
「……ふぅ。片付いたか」
最後の敵を倒し、俺たちはミサが作った大きな「浮き島」の上に集合した。
「助かりましたミサさん! あの足場がなかったら、一生くるくる回ってるところでした」
エルーカが目を回した顔で礼を言う。
「へへん、どういたしまして! 2Dアクションゲームのギミックみたいで楽しかったでしょ?」
ミサが得意げに胸を張る。
確かに、彼女の「見た目を作る能力」は、こういう異常な環境下でこそ真価を発揮するな。
「だが、油断はできんぞ。まだ奥がある」
レギナが杖で指し示す先。
宙に浮いた瓦礫の道の向こうに、次なるエリアへのワープゲートが渦巻いていた。
「……次はどんなバグが待ってる事やら」
俺は眼鏡を拭き直した。
重力消失なんて、まだ序の口だと言わんばかりの不吉な気配が漂っている。
『Notice: Next Stage... "Glitch City"(次ノステージ……"バグの街")』
どこからともなく響くアナウンス。
バグの街?
嫌な予感しかしないが、進むしかない。
「行くぞ。足元に気をつけろよ。……あ、エルーカ」
「はい?」
「お前、さっき回転してた時、スカートの中丸見えだったぞ。白地に薄いピンクのレースか、いいセンスだ」
「ひゃあああああっ!?」
エルーカが顔を真っ赤にしてスカートを押さえる。
レギナが「……マスター、どこを見ていたのだ」と冷たい視線を送ってくるが、不可抗力だ。
「先輩、セクハラですよ」
「不可避の事故だ。俺に罪はない」
「うわ、やば」
俺たちは騒がしくも頼もしい足取りで、次のゲートへと飛び込んだ。




