第34話 床判定《コリジョン》がない! 〜無限ループする回廊を、転送コード書き換えで強行突破〜
王都から東へ数十キロ。
『忘却の遺跡』と呼ばれるその場所は、一見するとただの朽ち果てた神殿だった。
だが、一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
「……空間座標がズレてるな」
俺は眼鏡越しに周囲を見渡した。
柱が地面から浮いていたり、天井の一部がテクスチャ《壁紙》のように剥がれ落ちていたりする。
物理法則が仕事をしていない。
「気をつけて進みましょう。ここ、マップデータが断片化してます。道に見えても道じゃない場所があるかも」
ミサがタブレットを見ながら警告する。
断片化。つまり、データが整理されずにバラバラに散らばっている状態だ。
「えっ? どういうことだ? 道に見えるのに道じゃない?」
レギナが怪訝な顔をする。
エルーカは「とりあえず進んでみれば分かりますよ!」と、先陣を切って石畳の廊下を歩き出した。
「あ、こら待てエルーカ!」
俺が止めるより早く、彼女は通路の中央にある、変哲もない床に足を乗せた。
ズボッ。
「え……?」
音もなく、エルーカの体が床をすり抜けた。
まるで、そこが底なし沼か、あるいは幻影だったかのように。
「きゃあああああっ!?」
上半身だけを残して床に埋まったエルーカが悲鳴を上げる。
「し、師匠! 足が! 足が地面の中に! 抜けないですぅぅ!」
「動くな! 暴れると座標がズレて裏世界に落ちるぞ!」
俺は慌てて駆け寄り、ガントレットを展開した。
これは『当たり判定』の消失だ。
「当たり判定……?」
レギナが俺の背後で問う。
「簡単に言えば『そこに物が存在する』という定義だ。見た目は床があるように描画かれているが、データ上は『空気』と同じ扱いになってる。だからすり抜けたんだ」
ゲームでよくあるバグだ。壁だと思って寄りかかったらすり抜けてマップ外に落ちる、あれだ。
しかし現実で起きると笑い事じゃない。
「リリス! エルーカ周辺の座標データを固定しろ! ミサ、床のコリジョンを再設定!」
『了解! 座標固定、打ち込みます!』
「床判定、上書きします!」
ミサがペンを走らせ、エルーカの足元に光る板を描く。
俺はエルーカの腕を掴み、力任せに引き上げた。
スポンッ!
「はぁ、はぁ……。し、死ぬかと思いました……」
引き上げられたエルーカは涙目だ。
足を確認するが、外傷はない。ただ「透過」しただけらしい。
「悪趣味なダンジョンだ。……見た目を信用するな。ここからは俺が『歩ける場所』をマーキングする」
俺は眼鏡の解析モードを最大にし、床のデータ構造を可視化した。
すると、廊下のあちこちに「穴(判定のない場所)」が空いているのが見えた。まるで虫食いだ。
「レギナ、右の壁には触れるなよ。あそこも判定がない」
「む……。了解だ。一見すると堅牢な石壁なのだがな」
俺たちは慎重に、穴だらけの通路を進んでいった。
◇
しばらく進むと、今度は長い一本道に出た。
先が見えないほど長い廊下だ。
「……おかしいですね」
10分ほど歩いたところで、ミサが足を止めた。
「さっきから、景色が変わってなくないですか? この松明のシミ、さっきも見ましたよ」
「……『無限ループ』か」
俺はため息をついた。
試しに、俺は手近な石を拾い、壁に傷をつけてから、全員でさらに5分ほど進んでみた。
すると――目の前に、さっき傷をつけた壁が現れた。
「戻ってる!? 一本道だったはずです!」
エルーカがパニックになる。
「空間が繋がってるんだ。A地点からB地点まで歩くと、強制的にA地点に戻される処理が組まれている」
プログラムで言うところの『while(true)』――終了条件のない繰り返し処理だ。
出口へのフラグを立てない限り、永遠にこの廊下を彷徨うことになる。
「物理的に壁を壊して進むか?」
レギナが杖を構えるが、俺は首を振った。
「無駄だ。空間ごとねじ曲がってるから、壁を壊しても『壊れた壁のある元の場所』に戻ってくるだけだ」
「じゃあ、どうするんですか先輩? このままじゃ干からびちゃいますよ」
「力技で抜ける。……ループの繋ぎ目を強制切断するぞ」
俺はガントレットのキーを叩き、空間の座標データを洗い出した。
必ずどこかに、A地点へ戻すための「転送命令」が埋め込まれているはずだ。
『Search: Teleport_Trigger... Found.(転送トリガー検索……発見)』
見つけた。
廊下の継ぎ目、床のタイルの隙間に、微細な魔法陣が仕込まれている。
ここを踏むと、認識できない速度でスタート地点にワープさせられているのだ。
「ミサ。あそこの座標(X:305, Y:0, Z:10)だ。あそこの転送先アドレスを書き換えてくれ」
「了解です! 転送先を『Start』から『Next_Area』に変更……えいっ!」
ミサが空中のウィンドウを操作し、書き換える。
その瞬間、廊下の空気が歪み、先ほどまで続いていた無限の闇が晴れ、奥に巨大な扉が出現した。
「出た! 出口です!」
「ふぅ……。地味だが精神的に来る罠だな」
俺は額の汗を拭った。
派手な魔物は出てこない。だが、世界の理そのものが狂っている恐怖。
まさに「バグだらけのクソゲー」だ。
俺たちが扉の前に立つと、スピーカーからあの歪んだ声が響いてきた。
『おめでとう。チュートリアルはクリアだね』
クラッカーの声だ。
『でも、ここからが本番だよ。……次のエリアは「物理演算」を切っておいたから』
「物理演算を切った、だと……?」
ゴゴゴゴゴ……!
扉が開く。
その向こうに広がっていたのは――。
「なっ……浮いてる!?」
大小様々な岩や瓦礫、そして水たまりまでもが、無重力のように空中に静止している空間だった。
重力がないのではない。
「物が落ちる」「ぶつかったら跳ね返る」といった、当たり前の物理法則が機能していないのだ。
「水が……球体になって浮いています」
「私のスカートも、めくれないように押さえないとフワフワするな……」
『さあ、楽しんでくれよ。この無秩序な世界を』
嘲笑う声と共に、浮遊する岩陰から、異形の魔物たちが姿を現した。
そいつらもまた、上下左右の概念なく、壁を走り、天井に立ち、こちらを見下ろしている。
「……上等だ」
俺は眼鏡を押し上げ、ニヤリと笑った。
「物理法則がないなら、俺たちが新しい法則を作ればいい。……行くぞ、デバッグの時間だ」




