第32話 温泉の効能がバグってる件。 〜「素直になりすぎる湯」で、最強ハーレム協定が結ばれました〜
王都から馬車で半日。
山間にある秘湯『白霧温泉郷』に、俺たちはやって来ていた。
「うわぁ~! すごいです師匠! 本当に温泉ですよ!」
「悪くない風情だ。たまには骨休めも必要だな」
浴衣に着替えたエルーカとレギナが、はしゃぎながら旅館の廊下を歩いている。
ここ最近の激務続きに対する、俺からの福利厚生(という名の慰安旅行)だ。
「先輩、早く早く! 卓球台確保しなきゃ!」
ミサが俺の腕を引っ張る。
相変わらず元気な奴らだ。俺は移動だけで既に眠いというのに。
「……ん?」
ふと、眼鏡のHUDにリリスからの通知が表示された。
『マスター。ここの源泉、成分分析結果が出ました。……ちょっと変ですよ』
(変? 毒でも入ってるのか?)
『いえ、有害物質はありません。ただ、魔力成分の配列がバグってます。効能定義が「疲労回復」じゃなくて、「精神障壁の緩和」に極振りされてますね。浸かると、理性のタガが外れて「素直になりすぎる」可能性があります』
なるほど。
まあ、酒を飲んで酔っ払うようなものか。実害がないなら放置でいいだろう。
俺は通知を消し、のんびりと湯に浸かることにした。
◇
一風呂浴びた後の夕暮れ時。
俺は火照った体を冷ますため、旅館の中庭にある縁側で涼んでいた。
秋風が心地いい。
「……あ、師匠」
背後から声がした。
振り返ると、湯上りのエルーカが立っていた。
髪を下ろし、少し大きめの浴衣を着崩した姿は、普段の鎧姿からは想像できないほど艶っぽい。
ほんのり桜色に染まった肌から、湯気が立ち上っている。
「いい湯だった?」
「はい。お肌がすべすべになりました」
エルーカは俺の隣にちょこんと座った。
石鹸の甘い香りが鼻をくすぐる。
「……師匠」
「ん?」
「私、ずっと不安だったんです」
エルーカが膝を抱えながら、ポツリと言った。
その瞳は、中庭の池の水面を見つめている。
「ミサさんが来てから、師匠はずっと楽しそうで。二人にしか分からない難しい用語ばかり話して、阿吽の呼吸で仕事をして……。私が入る隙なんて、1ミリもないんじゃないかって」
やっぱり気にしてたか。
俺とミサには前世からの積み重ねがある。出会って間もないエルーカが疎外感を感じるのは無理もない。
「エルーカ、それは……」
「でも!」
彼女は俺の言葉を遮り、強い瞳で俺を見た。
温泉の効果だろうか。その瞳は潤み、どこかトロンとしているが、真っ直ぐに俺を射抜いていた。
「私、負けませんから。ミサさんが『過去』の女なら、私は『今』と『未来』の女になります!」
「ぶっ……!?」
俺は思わずむせた。
おい、その言い回しは誤解を招くぞ。
「剣だけじゃありません。料理も、掃除も、もっともっと上手くなります。師匠が『お前がいないと困る』って言ってくれるまで、絶対に離れませんから!」
エルーカが身を乗り出し、俺の手をギュッと握りしめる。
熱い。手のひらの熱が、直接心臓に伝わってくるようだ。
「だから……私のこと、もっと見てくださいね? 師匠」
上目遣いで微笑むその顔は、反則級の破壊力だった。
俺は思わず視線を逸らし、咳払いをした。
「……善処する。ま、お前がいないと静かすぎて寂しいのは事実だしな」
「えへへ……言質、取りましたよ?」
エルーカは嬉しそうに俺の肩に頭を預けてきた。
この「素直になる湯」、効きすぎじゃない?
◇
部屋に戻ると、今度はレギナが待ち構えていた。
彼女は既に晩酌を始めており、卓上には空になった徳利が数本転がっている。
「遅いぞ、マスター。私の酌が受けられんのか?」
レギナがとろんとした目で手招きする。
浴衣の胸元が大きくはだけており、エルーカほどでは無いにしろ、豊かな双丘が露わになっている。正直……目のやり場に困る。思わず見てしまうからな。
「飲みすぎだろ。明日に響くぞ」
「……今日は、酔いたい気分なのだ」
レギナは俺を強引に座らせると、膝枕をするように自分の太ももを叩いた。
「ほら、寝ろ。マッサージしてやる」
「いや、それは……」
「命令だ」
「は、はい」
有無を言わせぬ圧力に負け、俺は恐る恐る彼女の膝に頭を乗せた。
柔らかい。そして、いい匂いがする。
レギナの指が、俺のこめかみを優しく揉みほぐしていく。
「……マスター。貴方は優しすぎる」
頭上から、独り言のような声が降ってくる。
「ミサという女が現れても、私やエルーカを邪険にせず、むしろ気を使っている。……そういうところが、私が貴方に惹かれた理由だ」
「……買いかぶりすぎだ。俺はただの事なかれ主義だよ」
「謙遜するな。……だがな、マスター」
レギナの手が止まり、俺の頬に触れた。
その指先が微かに震えている。
「私は魔族だ。欲深い生き物なのだ。……ただの部下や、便利な駒で終わるつもりはないぞ?」
俺が目を開けると、レギナが顔を近づけていた。
赤い瞳が、妖艶な光を宿して俺を見下ろしている。
「私は、貴方の『一番』になりたい。ミサよりも、エルーカよりも、誰よりも深く、貴方の心に刻まれたいのだ」
温泉のせいか、酒のせいか。
普段のクールな彼女からは想像もつかない、情熱的な告白。
「……レギナ」
「返事はいらん。……今はただ、こうさせてくれ」
彼女は再びマッサージを始めた。
だが、その手つきは先ほどよりもずっと慈愛に満ちていて、俺は心地よい眠気に抗えなくなりそうだった。
◇
深夜。
誰もいなくなった露天風呂に、三人の女性の声が響いていた。
「はぁ~……。極楽極楽」
ミサが湯船で手足を伸ばす。
その向かいには、エルーカとレギナも浸かっていた。
湯気の中で、三人の肌が白く輝いている。
「それで? どうだった、二人とも。先輩と二人きりの時間は」
ミサがニヤニヤしながら水をかける。
エルーカとレギナは顔を見合わせ、ボンッと音が出そうなほど顔を赤くした。
「うぅ……私、なんて大胆なことを……! あんなこと言うつもりじゃなかったのに!」
エルーカがお湯に顔半分まで沈んでブクブクと泡を吐く。
「……不覚だ。酒と湯の相乗効果とはいえ、あんな甘えた声を出すとは。一生の不覚……」
レギナも顔を手で覆って悶えている。
「あはは! いいじゃない! 先輩、あの後ずっと、満更でもない顔してたよ?」
ミサが笑う。
そして、少し真面目な顔になって続けた。
「先輩ってば、ああ見えて自分に自信がないから。『俺はおっさんだし』とか『枯れてるし』とか言って、好意を向けられることに慣れてないのよ」
「……確かに。師匠、褒めるとすぐに話題を逸らしますもんね」
「うむ。防御力が高いというか、逃げ足が速い」
「でしょ? だからね、私たちがこれくらいグイグイ攻めないと、あの鈍感要塞は落ちないの!」
ミサが拳を握りしめて力説する。
「私、抜け駆けはしないよ。……まあ、ちょっとリードしてる自覚はあるけど」
「むっ、またそうやって……!」
「でも、二人のことも認めてる。先輩があんなにリラックスして笑えるようになったのは、間違いなく二人のおかげだから」
ミサの言葉に、エルーカとレギナの表情が和らぐ。
「……ミサさん。貴女、意外とイイ人なんですね」
「意外とは何よ、意外とは! 私、超イイ女ですけど?」
「フン。まあ、ライバルとして不足はないと認めてやろう」
三人は顔を見合わせ、ふふっと笑い合った。
「じゃあ、協定を結びましょうか。『ナオト包囲網』協定!」
「賛成です! 師匠を逃しません!」
「異議なし。マスターを我々で独占する」
夜の露天風呂で、固い握手が交わされる。
湯けむりの向こうで、最強(最恐?)のハーレム連合が結成された瞬間だった。
一方その頃。
部屋で一人寝ていた俺は、なぜか強烈な悪寒を感じて目を覚ました。
「……はっ! なんだ今の悪寒は? まさか、ここ……出る……のか?」
布団を深く被り直す俺を、窓の外の月だけが見ていた。
俺の平穏な日々が、さらに騒がしくなる予兆を感じながら。




