第3話 拾った魔族が「自壊コード(マルウェア)」で死にそうなので、強制再起動(リブート)して俺の配下にした
拠点を快適設定にしてから三日。
俺の快適な引きこもりライフは、早くも崩壊の危機に瀕していた。
「師匠! お茶が入りました! 王都で一番高い茶葉を買ってきました!」
防音設定が完璧なはずのリビングに、場違いな金属音が響く。
勇者エルーカだ。
彼女はあれから毎日、この「何でも屋」に通い詰めている。何やら荷物を少しずつ運び入れて住もうとしているように見えるが、まあ気のせいだろう。
「……なぁ、エルーカ。俺は師匠になった覚えはないし、そのガチャガチャいう鎧、脱いでから上がってって言わなかったっけ?」
「ああっ、すみません! 勇者の嗜みとして、いついかなる時も即応体制でいなければならず……!」
エルーカが慌ててお辞儀をし、その拍子にサイドテーブルにガシャンとぶつかる。
花瓶が揺れるが、『耐久値無限』設定のおかげで割れずに済んだ。……設定しといてよかった。
俺が求めていたのは、静寂に包まれたサーバー室のような安らぎであって、ドタバタコメディの舞台ではないのだが。
「はぁ……。で、今日は何の用?」
「はい! 師匠の偉大さを世に知らしめるため、ギルドの依頼を大量に受注してきました!」
エルーカがドンッ、と羊皮紙の束をデスクに置く。
「うーん。パス。今は時間外労働だ」
「そんなこと言わずに! 『迷い猫の捜索』から『ドラゴンの討伐』まで選び放題ですよ!」
極端すぎるだろ。
俺が説教をして追い返そうと口を開いた、その時だった。
ドンッ!!
玄関のドアに、何かが激突する重い音が響いた。
「えっ……敵襲!?」
エルーカが一瞬で騎士の顔になり、剣に手をかける。
俺は眉をひそめて監視魔法のウィンドウを確認した。
「……いや、違うな。誰か倒れてるみたいだぞ」
◇
ドアを開けると、そこには黒いレザーコートを纏った人影がうずくまっていた。
雨に濡れた銀色の髪。隙間から見える肌は陶器のように白いが、今は不健康な土気色をしている。
「うわっ、すごい魔力……! 師匠、下がっていてください! この人、ただの人間じゃありません!」
エルーカが剣を抜こうとするが、俺はそれを手で制してしゃがみ込んだ。
「……こりゃ酷いな」
俺の目には、彼女の身体を覆う無数の赤いノイズが見えていた。
外傷はない。だが、内部のステータスがぐちゃぐちゃだ。
『System Alert: Slave Contract Violation.(奴隷契約違反)』
『Process: Execute Self-Destruction.(自壊プロセス実行中)』
「……ははぁ、なるほどね」
俺はため息をついた。
病気じゃない。これは、悪質な『マルウェア』だ。
主君とやらが、用済みになった部下の脳内に、遠隔操作で「自壊プログラム」を流し込んだんだろう。
「おーい、生きてるかー?」
肩を揺するが、反応はない。
長い睫毛が微かに震え、ルビーのような赤い瞳がうっすらと開いた。だが、その瞳孔は開いたままで、焦点が合っていない。
「……あ……ぅ……」
ノイズ混じりの呼吸音。
このままだと、システムダウンまで数分といったところか。
「師匠、ど、どうしましょう!? 衛兵を呼びますか!?」
「んー、それじゃ間に合わないな。ここで直しちゃうわ」
「えっ? 直すって……これ、病気じゃなくて呪いですよ!? 教会の大司教様でも解呪には数日かかります!」
「数日もかけてたら、こいつのOS飛んじゃうって」
俺は銀髪の女性を抱き上げ、リビングのソファに寝かせた。
本来なら触りたくない案件だ。見たところ、彼女の耳は長く尖っている。エルフ……いや、この禍々しい魔力の波長は「魔族」に近い。
関われば面倒なことになるのは確定だ。
だが、この手の「使い捨てにするようなブラックな仕様」を見ると、俺の中の元社畜魂が騒ぐのだ。
部下に責任を押し付けて切り捨てる上司。前世で一番嫌いだったタイプだ。
「……気に入らんコードだなぁ。駆除させてもらうぞ」
俺は女性の額に手をかざし、管理者権限を展開した。
「――強制再起動」
タタタッ!
空中にキーボードを走らせ、彼女の体内コードに侵入する。
心臓に絡みついた「隷属」と「自壊」のアルゴリズム。
それはまるで、重要なファイルを食い荒らすランサムウェアのようだった。
「こんな厳重なロックかけやがって。……セキュリティソフトが仕事してないな。俺が手動で削除する」
俺は彼女の魂を縛る悪意あるコードを、端からプチプチと潰していく。
もう誰の命令も聞く必要はない。君はフリーウェアだ。
『Deleting Malware... 100%... Complete.』
数秒後。
彼女の身体を覆っていた赤いノイズが消滅し、正常な青い光が脈打ち始めた。
「よし。初期化完了。再起動シークエンスへ移行っと」
俺は最後に、決定キーを優しく叩いた。
ドクン。
彼女の心臓が、力強い鼓動を取り戻す。
そして――。
カッ!
彼女の赤い瞳が見開かれた。
その瞳孔の中で、まるで電子回路のような幾何学模様がグルグルと回転し、光を放つ。
「……System All Green. 再起動を確認」
無機質な、しかし透き通るような美声。
彼女はバネ仕掛けのように上体を起こすと、状況を確認するように首を巡らせ――そして、俺を見た。
「……貴方が、私を直したのか? 私の『鎖』は、魔王ですら解けないはずなのに」
「直したっていうか、変なウイルスが入ってたから駆除して、再起動かけただけだ」
俺がさらりと答えると、彼女は瞬きを一つ。
瞳の中の幾何学模様が収束し、通常の美しい瞳に戻る。
彼女はソファから降りると、エルーカが呆気にとられている前で、俺の足元に跪いた。
まるで、忠誠を誓う騎士のように。
「認識した。……貴方こそが、我が魂を解放した新たなマスター。このレギナ、以後は貴方の剣となり盾となろう」
「……は?」
「ふえぇ!? 師匠の一番弟子は私ですぅ!」
エルーカが騒ぎ出す。
レギナと名乗った女は、冷ややかな目でエルーカを一瞥し、そして俺に熱っぽい視線を向けてきた。
「マスター。……そこの五月蝿い金髪を排除しようか? 今なら、初期化されたばかりで調子が良いので、跡形もなく消せるが」
「ストップ。あと、そのマスターって呼び方やめてくんない?」
俺は天を仰いだ。
終わった。
ポンコツ勇者に加えて、今度はどこぞの重そうな元魔族か。
俺の夢見た静かなスローライフは、どうやら完全にバグってしまったらしい。




