第26話 未完の引継書と、深夜のオフィス。 〜「今度は絶対に定時で帰らせてくださいね、先輩?」〜
最強のUI担当を加えた俺たちは、ダンジョンの奥へと進んでいた。
「はい、ここの床の模様も修正っと。これで目がチカチカしませんよー」
先頭を行くミサが、スタイラス・ペンを振るうたびに、毒々しい極彩色の迷宮が、落ち着いたモノトーンの通路へと書き換わっていく。
魔法というよりは、リフォームだ。
「すごい……。本当に一瞬で景色が変わっていきます」
エルーカが感心したように呟く。
すると、ミサは振り返ってニカッと笑った。
「でしょ? エルーカちゃんもさ、その鎧の色、もうちょっと彩度落とした方が似合うと思うよ? あとでカラーコーディネートしてあげる」
「えっ? あ、はい……えっと、ありがとうございます?」
エルーカが戸惑っている。
無理もない。さっきまで俺には「はいっ!」と敬語だったのに、自分たちには完全にタメ口なのだから。
「貴様、その馴れ馴れしい口調はどうにかならんのか。一応、私は元魔王軍幹部なのだが」
レギナが不服そうに言うと、ミサはケラケラと笑って彼女の肩を叩いた。
「いいじゃんレギナっち。硬いってー。先輩の部下なら、私にとっては後輩みたいなもんだし? 仲良くしよーよ」
「レ、レギナっち……!?」
クールなレギナが絶句している。
どうやらミサの中では、「先輩(絶対的上位)」と「それ以外(いじっていい対象)」という明確なヒエラルキーがあるらしい。
このコミュ力お化けめ。
そんなやり取りを見ながら、俺は少しペースを上げてミサの隣に並んだ。
聞かなきゃいけないことがあった。
「……なぁ、ミサ」
「ん? 何ですか先輩?」
「お前、死因は?」
直球で聞いた。取り繕っても仕方ない。
ミサの手がピタリと止まる。
一瞬の沈黙の後、彼女は「あはは」と乾いた笑い声を上げた。
「過労死ですよ、過労死! あ、正確には過労による貧血で駅の階段から落ちて転落死ですけど。労災認定されましたよ、たぶん!」
明るく言っているが、その瞳の奥は笑っていなかった。やっぱ、過労死か。確認しといてよかった。知ってれば、二度とそんなことにならないようにしてやれる。
「先輩が……いなくなってから半年後でした」
ミサがポツリと呟く。
「あの後、大変だったんですよ? 先輩が一人で抱えてたタスク、全部私に回ってきたんですから」
「……悪かった。引継ぎ、間に合わなかったからな」
「ほんとですよ! ドキュメントは書きかけだし、コードはスパゲッティだし! クライアントは『工藤さんはやってくれたのに』って文句ばっかり言うし!」
ミサは頬を膨らませて抗議する。
だが、すぐにその表情は曇り、どこか遠くを見るような目になった。
「……でも、仕事が辛かったのは、別にいいんです。あんなの先輩とのデスマーチに比べれば楽勝でした」
「じゃあ、なんで……」
「……寂しかったんですよ」
ミサの声が震えた。
「独りのオフィス。深夜のコーヒー。エラー音。……いつも、隣を見れば先輩がいてくれたのに」
彼女は足を止め、俺の方を向いた。
その瞳が、揺れている。
「『もう帰れ』って言ってくれる人も、『あとは任せろ』って笑ってくれる人もいない。……広くて静かなオフィスに私一人だけ。それが一番、辛かったです」
俺が死んだ後の半年間。
彼女は、俺の穴を埋めようと必死に働いて、そして心をすり減らしていったのだろう。
俺が守ろうとした後輩を、結局は俺の死が追い詰めてしまったのだ。
「……ミサ」
「あーあ! またそんな辛気臭い顔して! 先輩の悪い癖ですよ!」
ミサはパン! と両手で自分の頬を叩き、強引に笑顔を作った。
「もういいんです。ここなら先輩がいるし! また一緒にバグ取りできますし! 私、今度は絶対に定時で帰りますからね! もう過労死はごめんです! だから、約束ですよ! 今度はちゃんと、私を死なせないでください」
明るく振る舞うその姿が、余計に胸に刺さった。
生前から、こいつはそうだった。
俺の前では生意気な口を利いて、甘えて、でも大事なところでは俺を支えてくれていた。
ただの後輩以上の感情を、向けてくれていることになんとなく気づいていながら、俺は忙しさを言い訳に無視していた。
もう、無視はしない。
「……ああ。約束する」
俺はミサの頭に手を置いた。
ふわふわした髪の感触。確かにここにいる。
「今度は絶対に、一人にはさせない。ウチ、一応ホワイト目指してるから」
俺が言うと、ミサは一瞬きょとんとして、それから顔を真っ赤にした。
「……うぅ。そういうとこですよ、天然タラシ……」
彼女はボソボソと呟き、俺の手から逃れるように前を向いた。
「ほらっ! 行きますよ! さっさとボス倒して、有給申請するんですから!」
「もう有給かよ! まだ勤務初日だろうが!」
「いいの! これから楽しいこといーっぱい起こりそうですもん!」
ミサが笑顔で駆け出す。
その後ろ姿を見ながら、俺は眼鏡の位置を直した。
「……行くぞ、お前ら!」
「はい! ……なんか、ものすごく嫉妬するものを見せつけられた気がしますが、多分気のせいです」
「フン、見せつけられたな。新入りのくせに生意気だ」
エルーカとレギナも、そう言いながらもどこか嬉しそうに俺たちの後ろについてくる。
過去の後悔も、未練も、全部まとめてこのダンジョンの底に置いていく。
俺たちはもう、誰も孤独じゃないんだからな。




