第19話 王都防衛戦(後編):暗号解読? 面倒なので「定義ファイル」ごと書き換えます。 〜論理の力技《ブルートフォース》〜
視界が赤いノイズで埋め尽くされている。
頭の中で、何かが焦げるような匂いがした。
『警告:脳内処理領域の使用率が危険域を突破。直ちにプロセスを中断してください』
リリスの悲痛な声が響くが、俺は無視してキーを叩き続けた。
指先が熱い。ガントレットの排熱機構が限界を超え、白い蒸気を上げている。
「中断なんか……できるかよ……ッ!これは俺が自ら選んだデスマーチだ!」
モニターに表示された地下貯蔵庫の温度グラフは、爆発臨界点を示す赤いラインに到達しようとしていた。
残り時間、3分。
敵の暗号化コードは、まるで迷宮だ。正攻法で解こうとすれば、スーパーコンピューターでも100年はかかる。
『From Unknown:』
『残り3分~w ねえねえ、今どんな気持ち? 自分が無力だって思い知った? あんたの指より、僕のプログラムの方が速いんだよバーカw』
煽りのチャットが流れる。
俺は口の端から垂れた血を、乱暴に袖で拭った。
「……速い、だと?」
確かに、お前のプログラムは優秀だ。複雑怪奇で、芸術的なまでに堅牢な暗号だ。
だがな、一つだけ勘違いしてるぞ。
「俺は、パズルを解きに来たんじゃないんだよ」
俺は大きく息を吸い込み、ガントレットの全キーに魔力を流し込んだ。
「リリス! 対象の『定義ファイル』を呼び出せ!」
『定義ファイル……? まさかマスター、暗号を解かずに……!?』
「ああ。『暗号化されている』という事実そのものを書き換える!」
俺は叫びと共に、神速のタイピングを開始した。
暗号の鍵を探すんじゃない。
この世界における「暗号」という概念の定義を、俺の権限で上書きするんだ。
『target: Concept_Encryption(対象概念:暗号化)』
『rewrite: value = "Plain_Text"(書き換え:平文)』
世界が軋む音がした。
脳みそが沸騰しそうだ。これは世界の理を捻じ曲げる行為。神の領域へのハッキング。
だが、今の俺ならできる。
「通れェェェェッ!!」
ッターン!!
俺がエンターキーを叩き割らんばかりの勢いで押し込んだ瞬間。
モニター上の複雑な文字列が、パラパラと解けていき――ただの読みやすいテキストデータに変換された。
『System: Authentication Success.(認証成功)』
『Admin Access Granted.(管理者権限を承認)』
堅牢な城門が、まるで自動ドアのように開いた。
『From Unknown:』
『は? え? なんで? 今の量子暗号クラスだぞ!? 解けるわけないじゃん! チート乙www 運営に通報しますwww』
敵の動揺がチャットに流れる。
俺はニヤリと笑った。
「残念だったな。この世界の運営は、俺だ」
制御権は奪い返した。
俺は即座に冷却システムをフル稼働させるコマンドを入力する。
『command: Cooling_System_Restart(冷却システム再起動)』
『Output: MAX(出力最大)』
地下深くで、巨大なファンが唸りを上げる音が聞こえた気がした。
温度グラフの急上昇が止まり、カクン、と下がり始める。
「……ふぅ。間に合った」
俺は椅子の背もたれに深く沈み込んだ。
全身から力が抜けていく。
だが、まだ終わりじゃない。
「リリス。今の接続経路から、敵の回線を逆探知できるか?」
『可能です! 奴さん、動揺してプロキシの切り替えを忘れてます! 位置特定……王都の北西、廃鉱山の奥です!』
「よし。……お返しを送ってやろうぜ」
俺は残った力を振り絞り、一つの小さなプログラムを組み上げた。
殺傷能力はない。だが、エンジニアにとっては死ぬほど嫌なウイルスだ。
『target: Enemy_PC』
『upload: Infinite_Blue_Screen.exe(無限ブルースクリーン)』
起動したが最後、あらゆる操作を受け付けず、ひたすら「重大なエラーが発生しました」という青い画面を点滅させ続ける呪いのプログラム。
解除するには、ハードウェアごと物理的に破壊するしかない。
「二度とキーボードに触るな。クソガキ……乙ッ!!」
ポチッ。
送信ボタンを押した瞬間、チャットウィンドウから敵の反応が消えた。
向こうの拠点で、悲鳴を上げながらモニターを叩き割る姿が目に浮かぶようだ。
◇
一方、地下魔力貯蔵庫。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
エルーカは聖剣を杖にして、肩で息をしていた。
周囲には、スクラップになった警備用ゴーレムの残骸が転がっている。
ナオトが論理戦を制している間、彼女たちは物理的に施設を守り抜いたのだ。
「……温度が、下がっていく」
レギナが計器を見て、安堵の息を漏らす。
タンクの赤い警告灯が消え、正常を示す緑色に変わっていた。
「やりましたね……! 師匠が、勝ったんです!」
「ああ。私たちの勝ちだ」
二人は泥だらけの顔を見合わせ、ハイタッチを交わした。
その時、エルーカの耳元のインカムから、ナオトの疲れた声が聞こえてきた。
『――おーい、聞こえるか? そっちは片付いたか?』
「師匠! はい、敵性体は全滅です! 施設も無事ですよ!」
『そうか。よくやった。……あー、悪いんだけどさ』
ナオトの声が、少しバツが悪そうになる。
『俺、ちょっと張り切りすぎて動けなくなったわ。……サーバールームまで迎えに来てくれるか?』
「ふふっ。しょうがないですね、師匠は」
エルーカは嬉しそうに笑った。
あの最強の師匠が、自分たちに弱音を吐いて甘えてくれている。それが誇らしかった。
「行きましょう、レギナさん! 師匠がお待ちかねです!」
「まったく、世話の焼けるマスターだ」
二人は足取り軽く、出口へと向かった。
王都の空には、いつの間にか朝日が昇り始めていた。
長く、熱い夜が明けたのだ。
◇
俺は二人に両脇を抱えられ(というか引きずられ)、リビングに帰還した。
「いやぁ……無茶はするもんじゃないな」
『そうですよ。年齢考えたらどうですか〜』
リリスのホログラムが、呆れた顔でやれやれと首を振っている。
「……でもまあ、悪くない結果だ」
窓の外を見る。
王都はボロボロだが、人々は生きている。
復興には時間がかかるだろうが、バグは食い止めた。
「師匠、お腹空きましたね!」
「マスター、ご飯にしよう。今日は奮発して、卵を二つ使うぞ!」
エルーカとレギナがキッチンへ向かう。
その背中を見ながら、俺は眼鏡を外して目を閉じた。
……転生者の敵。
正体は分からなかったが、今回の一件で奴も少しは懲りただろう。
しばらくは大人しくなるはずだ。
「ま、次に来た時も返り討ちにしてやるさ」
俺はふかふかのソファに深く身を沈めた。
今はただ、泥のように眠りたかった。
最高のデバッグ完了だ。




