天使からの電話
夕方、アパートへ戻ってくると、私の帰りを待っていたかのようにタイミングよくスマホの着信音が鳴った。
フェイスタイム。
知らない電話番号。
普段なら出ないがこのタイミングでかかってくることには意味がある。
独裁者のために私を監視しているどこかの人間が私と話したがっているに違いない。
出るとモニターに金髪の若い女性が現れた。
表向きはアメリカ大使館の二等書記官、本当はCIAのクリスティン・メーガン。
「やあ。マーガレット。こんばんは。」
「こんばんは。」
彼女は手に持っていた小さなメモをモニターに映し出した。
メモには”盗聴”と書かれている。
この通話は盗聴されている。話すことには気をつけろ。
大統領と政権の悪口は言うな、と言いたいのだ。
「神父の死刑が執行されたわね。」
話しながら、私が読んだことを確認すると彼女はすぐにメモを丸めてポケットにしまった。
「そうだね。」
「やっぱり聖者ではなかったの?」
「わからない。」
「あなたは恩赦命令を執行しなかった。」
「そうだね。」
「犯罪者だったの?」
「それについては君の方が詳しいんじゃないか?アリー、麻薬組織についてはアメリカの専門だ。私のような素人がたったの1日で聖者と犯罪者は区別はできない。」
「ふふ。聖者と犯罪者なんて一目会えばすぐにわかると思ってた。それに、アメリカだってなんでも知っているわけじゃない。神父が聖者か犯罪者なのか、私も知りたかったのよ。それはそうと、」
クリスティンはしばらく間を置いた。
「どうしてなの?」
「何が?」
「あなたは、昨日、神父と面会したあと、司法長官に連絡して、刑務所の所長と職員それから銃殺隊まで交代させたわね。どうして?」
その通り。
私は牧野神父との面会の後、刑務所の関係者を全員刑の執行から排除させた。
「牧野神父は、所長や看守ととても親しそうだった。それに自分の死刑を執行する銃殺隊ともとても懇意にしているようだった。それはあまりないことだ。」
「確かに、サンクエンティンでは時々、刑務所で死んだはずの人が元気に街を歩いているわね。時には死刑が執行され、死体になって刑務所を出た人が生き返ることもある。神父は所長や看守、それに銃殺隊まで買収していたと思う?」
「わからない。それも、わずか1日では判断できない。」
「そう。でもあなたは神父のお友達を全員遠ざけた。神父は最期にお友達と会いたがったんじゃない?」
「君はCIAだ。エリザベス、そんなことも調査済みだろう?」
「ふふ、だから今こうして調査しているのよ。」
「神父の最期は、とても、人間的だった。とても人間的に、ご自分の最期を迎えられた。」
「そうらしいわね。」
クリスティンが本当はイライラしていることに気がついた。
もしかしたらこの通話の最初からクリスティンはずっとイライラしていたのかもしれない。
私にはクリスティンが私を責めているように感じられた。
「恩赦を執行しなかったからって、あなたは自分を責める必要はないのよ。」
言葉とは裏腹にクリスティンの声は冷たかった。
「同じ日本人の命を救えなかったからって、あなたは悪いことをしたわけじゃない。だいたい、牧野神父がもしも本物の聖者なら、今頃はずっと会いたがっていたお方と天国で会うことができて喜んでいるはずよ。それに、神父が犯罪者なら、あなたは将来生まれるはずだった何百人という彼の被害者を救うことができたのよ。あなたは自分を誇りに思うべきね。」
「皮肉はやめてくれ。今日、人が一人死んだんだ。その人は、犯罪者かもしれないし聖者かもしれない。どっちにしても私は彼を救うことのできたのに、救わなかった。私はこの事実を一生背負って生きなければいけない。」
「そうかもね。」
「おやすみ。ジェーン。」
「最後に一つだけ教えてあげる。私の名前はクリスティン・メーガン。あなたには本名を教えたのよ。おやすみ。」
通話が切れた。
黒くなったモニターにはクリスティンの顔の代わりに、私の黒い顔がいた。
わからないことばかりだ。
事実は?
正義は?
すべてが混沌としている。
それでも、アメリカの不機嫌な天使と会話できたおかげで少なくとも二つのことは分かった。
一つは彼女の本名。
そしてもう一つは、なぜあの時、私は内ポケットから封筒を取り出さなかったのか?なぜ、首を横に振ってしまったのか?
私は心から聖者を求めていたのだ。
心の底から聖者と会いたかった。
聖者を渇望していた。
この汚れきった世界に純粋な穢れなき存在がいると確信したかった。
牧野神父が聖者だったかどうかは今でもわからない。
ただ言えるのは彼は紛れもなく人間だった。
聖者を求める私の欲望が神父を死へと追いやった。
結果、私は生涯の重荷を背負うことになる。
客観的な傍観者でいたつもりが、いつの間にか私もまた穢れてしまっていた。
生きている以上、人は傍観者ではいられない。
暗くなった自分のアパートで、私はどうしても祈りを捧げたくなった。
祈らなければならない。
なんのために?
誰のために?
そして誰に対して?
そんなことはもうどうだっていい。
自分のベッドの脇にひざまずき、両手を額の前で合わせ、目を閉じると、昼下がりのあの神父の独房が脳裏に現れた。
だがそこにもう神父の姿はない。
神父は死んだ。
神父はもうどこを探してもいない。
ただ、独房の小さな窓から差し込んだ明るい午後の日差しが、神父の真っ黒い影を今も独房のコンクリートの床の上に写していた。
神父の黒い影は、主を亡くした今も独房の床の上に残り、ひざまずき、手を組み、静かにいつまでも祈りを捧げていた。




