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影の祈り  作者: 小村野火


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3/4

死刑当日

 外が明るくなってきた。


 自宅アパートのベッドで、私は一睡もできなかった。


 一人の人間の生死が私の決断に委ねられている。


 にもかかわらず、

 私はまだこの事実を他人事のように感じていた。

 極めて重い責任が自分に課せられている。

 なのに、まるで実感がない。

 そのことに混乱していた。 

 自分がとてつもなく冷たい人間のような気がして怖くなった。


 牧野神父とは昨日会ったばかりだ。

 事件が報道されるまで、存在すら知らなかった人物だ。

 だから今日死んでも平気なのか?


 いや、平気ではない。

 自分とは何の縁もない見ず知らずの人物だとしても、やはり死んでほしくはない。

 まして昨日神父から受けた印象はとても良かった。


 彼は聖者なのか?

 わからない。

 

 だが聖者なら助けて、人間ならそのまま死刑にする。

 それもおかしな話だ。

 聖者は独裁者の役にたつ。

 だが役に立たないただの人間なら死んだってかまわない。


 私が預かった大統領の恩赦命令は結局そういう意味だ。


 何ということだ。

 気がつけば私は昨日から独裁者の手先として働いている。

 やめてくれ。


 そもそも彼は死刑に値する犯罪者なのだろうか?


 サンクエンティンの裁判所は牧野神父を麻薬取引と児童売買春の罪で有罪にした。

 この国ではこれらの罪は死刑に相当する。

 実際この国は麻薬と児童売春でたくさんの人が恐ろしい苦しみを味わっている。それらで利益を得ている者は死刑になっても当然だ。

 

 だが神父は本当に有罪なのだろうか?

 確かに全ての証拠はことごとく神父の有罪を示している。

 珍しく、サンクエンティンの司法当局はこの事件に関して長い時間をかけて綿密に証拠を集め、神父の犯罪を一点の曇りもなく暴き出しているように見える。


 もし私が明日神父を釈放してしまったら?

 再び被害者となる子どもたちがいるかもしれない。

 スラム街に麻薬で苦しむ人がもっと増えてしまうかもしれない。


 だがここは独裁者の支配する国だ。

 検察も裁判官も弁護士も独裁者の意のままに動くことを忘れてはいけない。

 無実の罪で処刑された者など数えきれないほどいる。

 証拠なんていくらでも偽造できる。


 裁判において神父は無罪を主張しなかった。

 彼は何も主張しなかった。

 彼は、裁判の間中ずっと黙秘を貫き、静かに瞑想するだけだったという。


 今何時頃なんだろう?


 カーテン越しの光でも十分部屋の中が見えるようになってきた。


 椅子にかけた私のジャケットの内ポケットには、大統領から預かった恩赦命令が収まっている。


 今日の午後、私はジャケットの内ポケットに手を入れ、この伝家の宝刀を抜くべきなのだろうか?

 あるいはあくまでも他人事として、事態の推移をただ見守るだけにすべきか?


 どちらを選んだとしても、私は自分が後悔するのを知っている。

 確信が持てない以上、 

 私には自分の決断で聖者を殺してしまうか、恐ろしい犯罪者を世に放つかのどちらかしかないのだ。


 そう、確信さえ持てれば良いのだ。

 神父が聖者か犯罪者か確信を持ってわかれば、答えは自ずから出る。

 私も責任と後悔から逃れられる。


 死刑が執行される時間まで、午前中はスラム街へ行って牧野神父の本当の姿を住民に聞いて回るべきだろうか?


 無駄だ。

 真実など、人の話を聞いたって見つけられやしない。


 聞く相手が神父の仲間なら、彼を聖者というだろうし。

 相手が大統領派の人間なら、彼を犯罪者というだろう。


 事実、反大統領派は牧野神父を聖者として祭り上げようとしている。

 神父が手を触れると病人が元気になったとか、月夜に神父が空中を歩いていたとか、信じられない噂が飛び交っている。


 一方、大統領派もまた神父を貶めようと真偽不明の事実を流している。

 それによると神父はもう100人以上の女性と子どもを殺している。などなど


 嘘が嘘を呼び、真実は嘘の海深くへと沈んでゆく。

 見えるのは闇、混乱。


 そうとも。スラム街へ行ったとしても誰もよそ者の私に本当のことなど話してはくれまい。

 私に下手なことを話せば、独裁者からも反大統領派からも、あるいは麻薬組織や売春組織からも命を狙われる可能性がある。


 みんな自分が心配なのだ。

 だいたい私が大統領府に呼ばれた時に私は何を思った?

 真っ先に心配したのは自分の命だ。

 大統領執務室に入って生きて出てこれなかった者はたくさんいる。

 そのまま行方不明になってしまった人も私は実際に知っている。


 人から命を奪うことで独裁者となり、人から命を奪うことで独裁を維持している人間に会うのだ。

 真っ先に自分の命の心配して何が悪い?


 見ず知らずの人の命よりも私は自分の命が大事だ。


 くそっ!

 俺はいつから冷たい人間なった!

 いつからこんな卑怯な人間になったんだ!


 ここは暑すぎる!

 それに臭いんだ!臭すぎる!

 気が狂いそうだ!


 いや、もうすでに頭がおかしくなっている。


     ーーーーー


 午後、私は牧野神父の独房の前にいた。


ガチャリ。


 昨日と同じように独房の鍵が開けられた。

 暑さも臭いも、何もかもが昨日と同じ。


 だが昨日とは違うこともある。


 今日は昨日と違い、このまま私が何もしなければ、牧野神父が明日を迎えることはない。


 それともう一つ、

 今日、鍵を開けたのは看守のペドロではない。ゴンザレスでもない。

 ついでに言うとマルティネス所長も今日ここにはいない。


 鍵を開けたのはデ・サンチェス大統領直属の陸軍特別小隊、通称SSAの隊員だ。

 鍵を開けた隊員の名前は知らない。SSAの隊員は皆両目と口だけが開いたニット帽で頭を覆い顔は見えない。そんな強盗みたいな姿をしているので当然名前を聞いても教えてはくれない。連中は名前を聞かれただけで撃ってくることもある。


 今日、死刑を執行するメンバーの中で私が知っているのは司法長官だけだ。

 あとはSSAの隊長とその兵士2名と軍医と名乗った人物と屈強な看護兵、それにここからはまだ見えないが地下の処刑場には自動小銃を持ったSSA隊員が5名控えている。

 ここからはまだ見えないが、彼らは皆自動小銃に銃弾を装填し安全装置をすぐに外せる状態にしている。


 独房の鉄の扉が開くと、昨日と同じく牧野神父がベッドサイドにひざまずき静かに祈りを捧げていた。


 昨日と同じ時間。

 やはり壁の四角い換気口からは午後の陽が明るく差し込み、祈りを捧げる神父の黒い影を床に濃く映し出している。


「マキノ死刑囚、時間だ。」


 SSAの隊長が冷たく吐き捨てた。


 祈りながら、神父が少し首を傾げた。


「その声は?フェルナンデス所長ではありませんな?」


 神父が少し顔を上げこちらを見ると、明らかにその表情が曇った。

 動揺が走ったと言ってもいい。


 神父はひざまずいたまま動こうとはしなかった。

 祈りの姿勢を崩さなかった。


 彼は目を閉じ、再び祈りの世界に没入した。

 その姿は、現実に目を背け、祈りの世界に逃げて入れように私には思えた。


「マキノ死刑囚!立て!」


 SSAの隊長はイライラしていた。

 表情は目と口しか見えないが、サンクエンティン人は顔を隠しても感情を隠せないことがよくわかった。

 彼は早くこの仕事を終わらせたいのだ。


 それでも動こうとはしない牧野神父に対し、隊長は2人の部下に顎で指示を出した。これはサンクエンティン人に限らない世界共通のジェスチャー。SSA隊員でもなく、サンクエンティン人でもない私でも理解できた。

 ”立たせろ!”

 

 2人の隊員が両脇に立つと、神父は自らスッと立ち上がった。

 しっかりと立った。


「困りますな。」

 神父はしっかりと言った。


「マキノシンイチロウ。刑の執行の時間だ。」

 と隊長。

 神父が何に困っているのか、聞く気はないらしい。


「刑の執行の延期を要求する。」

 きっぱりと神父が言った。


「却下する。」

 隊長もきっぱりと言った。


「約束があるんだ。」

 

 兵士の一人が手を伸ばし神父の腕を掴もうとしたが、神父はその手を振り払った。


「マルティネス所長と私は約束をした。私の処刑は彼の指揮で行われる。」


「連行しろ!」

 

 隊長の命令で二人の兵士は左右から神父の腕を掴んだが、神父はさらに力強く腕を振り解いた。二人の兵士はもう一度神父の腕を取った。


「わかった!落ち着け。落ち着け。」

 そう言ったのは神父だった。彼は肩で息をしていた。


「銃殺隊は?銃殺隊はゲレーロ隊だな?向こうにはゲレーロ隊長がいるのだろ?」


「刑場には私の部下がいる。」

 と隊長。


「ゲ、ゲレーロ隊長のはずだ。」

 神父は信じられない様子。


「今日はいない。この刑務所の銃殺隊は先ほど家に帰した。」


「困る。それは困る。」

「連行しろ!」

「待て!延期を!延期を要求する!」


 神父は足を踏ん張った。その拍子に兵士の手が離れたのをいいことに彼は座り込みベッドのパイプにしがみついた。


「不当だ!この刑は不当だ!間違っている!」

「早くしろ!」


 隊長から命令されても、座り込みベッドにしがみついている大柄な神父に二人の兵士は手こずった。

 確かに、肩に自動小銃をかけていては動きづらい。

 引きずって行こうとしても神父はその度に振り解きベッドにしがみつく。

 本来なら、殴ってでも引きずっていくのだろう。

 だが今日の相手は神父の衣装に身を包んでいる本物の聖職者だ。

 SSAとはいえ彼らも間違いなくキリスト教徒。

 明らかに遠慮している。


「こんなこと、神が許さないぞ!」

 神父が切り札を出した。

 一瞬、兵士たちが怯んだが、それもほんの一瞬だった。すぐに再び彼らは暴れる神父を押さえつけ引きずって行こうとした。

 彼らだって自分の死が怖い。家族に危害が及ぶことを恐れている。

 独裁者は神のようにやさしくはない。


 屈強な看護兵が加勢に入った。

 さすがは軍の看護師。素手で人を制することに慣れている。

 彼は神父を後ろから羽交いじめにして独房から引き摺り出そうとした。


 これで神父も本気になった。


 彼はまず自分の後頭部で思いっきり看護兵の鼻を打った。

 顔を押さえてうずくまる看護兵の指の間からポタポタと血が落ちる。


「神よ!神よ!我を救いたまえ!

 神父は両脇の兵士も突き飛ばし、再びベッドにしがみつく。


「所長を呼べ!ゲレーロ隊長を呼び戻せ!彼らならわかる。わかっているんだ!」


 兵士と顔面血だらけの屈強な看護兵は体勢を立て直し、もう一度神父を押さえつけにかかる。


「神よ!神よ!神よ!」


 神の代わりに、軍医が満を持してゆっくりと独房に入ってきた。

 手には注射器を握っている。

 状況から察するに、注射器の中身は鎮静剤だろう。


「チコ!」

 軍医に名前を怒鳴られ顔を上げた看護兵は、上司の手に注射器が握られているのを見て全てを悟った。

 チコは神父の着ている法服の袖を乱暴に引き裂き、二の腕を露出させた。

 さらに自分の膝で床に倒されている神父の肩を押さえつけ、両腕で神父の腕を抱え固定した。 

 ”どうぞ、この腕にいつでも注射してください。”

 血だらけの看護兵の顔はそう物語った。


 軍医は最終の許可を求め司法長官を見た。

 それにつられて、この場にいた一同は全員、司法長官を見た。

 神父もコンクリートの床に押さえつけらながらも苦しそうに頭を上げ、司法長官を見た。


 みんなの視線を一身に受け、司法長官はしばらく考えたのち、何かを思い出して私を見た。

 すると他の人間たちの視線も自然と全て私に向けられた。

 神父もまた、私を見ている。


 神父はなぜ私を見なければならないのかわかってはいない。

 他の兵士たちも私を見る理由はわかっていないだろう。

 司法長官はわかっている。


 それに私もわかっている。


 そう。


 私のジャケットの内ポケットには大統領から預かった恩赦命令が入っている。

 私にはこの死刑執行を止めさせる権力(パワー)がある。


 うんざりだ。

 耐えられない。


 私はため息をつき、首を横に振った。


 首を振ってしまった。

 

 私は何も言わなかった。

 何をしていいかもわからなかった。

 ただ首を振った。


 首を振る私を見て、司法長官は軍医に”うん”とうなずいた。


 許可を得た軍医は素早く注射器の針を神父の腕に突き刺し、薬剤を体内へ注入した。


 兵士たちと看護師は拘束を解き、神父から離れた。


 鎮静剤の効果は早かった。


 拘束を解かれても神父は動かなかった。

 ただ肩で息をして、モゴモゴと何かを言っているだけで、もう動こうとはしない。


 看護兵が廊下から車椅子を持ってきた。


 神父は車椅子に座らせられ、一行はSSAの隊長を先頭に処刑場へと姿を消した。


「神よ、許したまえ、」

 私の横を通り過ぎる時、朦朧とする意識の中で神父が日本語で呟いていた。


 私は一行についていかなかった。


 誰もいなくなった独房に一人残り、さっきまで神父の祈りの場所でもあったベッドに力無く腰を下ろした。


 差し込んでくる午後の日差しが頭に直接当たっていた。

 光はとても熱く、痛いほどだったが、私は動くこともできず、ただこの身を光に委ねた。

 光が、私を焼き尽くしてくれることを願った。


タ、タ、タ、タ、タ、タ、タタタタタ。


 遠くから、いや、遠くはない地下の処刑場から自動小銃の乾いた射撃音が聞こえてきた。


 必要以上に、何十発も撃っている音が、いつまでも止まなかった。


 光は私を焼き尽くしてはくれなかった。

 私は頭を抱えた。

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