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影の祈り  作者: 小村野火


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2/4

凡人は聖者を見抜けない

「ちょっとしたパレード気分だろ!はっ!」


 エスコバル刑務所の廊下を歩きながら、

 マルティネス所長は相変わらずの上機嫌だ。

 これから死刑囚と会うことも、この恐ろしい臭いもまったく気にならないらしい。

 自分を囚人たちの上に君臨する王とでも思っているのか。

 まあ、それもあながち間違ってはいない。


 私はといえば、実のところそれほど重い気持ちではなかった。

 死刑囚のことよりも暑さと臭いの不快さの方に気持ちが囚われていた。


 いざとなれば私は死刑囚を救うことができる。


 内ポケットに収まっている大統領の恩赦命令が私を死刑囚と会う重苦しさから救ってくれていた。


 だが、どうすれば私に犯罪者と聖者を見分けられる?


 私は生まれてからこのかた一度たりとも聖者と呼ばれる人と会ったことはない。

 それに、死刑に相当するようなことをした恐ろしい犯罪者とも会ったことがない。

 いや、もしかしたらどちらとも会ったことがあるのかもしれない。

 私は気が付かなかった。

 聖者も犯罪者も外見は私と同じ人間に違いない。

 きっと会ってもわからないだろう。

 私はごく一般的な平凡な人間だ。

 幸か不幸か、犯罪者とも聖者とも無縁に生きてきた。


 刑務所の廊下を歩き、暑さと臭いに苦しみながら、一方では楽観する気持ちもあった。

 本物の聖者なら、会えば会った瞬間にきっと胸が震えるような感動がきて、すぐにわかるかもしれない。  

 本物の犯罪者だって、会えば会った瞬間にきっと背中にゾッとするような嫌悪感が走り、犯罪者だとわかる違いない。


 いずれにせよ、会ってみなければわからない。



「この刑務所には何人くらい収監されているのです?」


 鉄格子に挟まれた廊下を歩きながら所長に聞いてみた。

 本当は囚人の数など私には別にどうだっていい。

 私は犯罪者ではない。

 だから刑務所で暮らす予定もない。

 刑務所に犯罪者が何人収容されていようと実際私には何の関心もなかった。

 所長に聞いてみたのは、ただ声を出したかったから。

 何か話していないと、暑さと臭いで気が狂いそうになる。

 話してさえいれば、自分の正常が保てそうな気がした。


 それでも鉄格子の向こう側の囚人たちがやけに多いように感じられたのも事実だ。

 各牢獄は6畳ほどの広さしかないのに、どの牢獄にも囚人が10人かそれ以上は収監されていた。


「刑務所全体の囚人の定員は5000。実際に今収容されている人数はこないだ1万を超えたな。」


 倍の定員オーバー。

 所長はなぜか自慢げだ。


「そうだろ?ペドロ。」


「10,018人。先週の集計です。今週はすでにそこから13名減って、28名増えています。」


 前を歩く武装看守の左側が無感情に答えた。数字を苦手にしないタイプの男のようだ。

 何事にもドンブリ勘定のサンクエンティン人には珍しいタイプとみた。


 確か、ここに収監されている囚人は全員無期刑以上の重罪犯者ばかりで、自らの死刑が執行されるか、あるいは自分が病気か殺されるかで死ぬ以外に誰もこの刑務所から出ることはできない。

 減った13人の囚人はなんらかの理由でここで亡くなったのだ。

 1週間の死者としては多すぎるような気もする。

 それでも膨れ上がる一方の刑務所の収容者を減らすにはまだ少ない。


「だ、そうだ。」


 所長は私にウインクをしてみせた。

 相変わらず楽しそうな態度が鼻につく。


 所長だって本当は暗く落ち込む気持ちを、あえて明るく振る舞うことで鼓舞しているだけかもしれない。


 まあそんなことも私にはどうだっていい。


 とにかくこの暑さと臭いには閉口する。

 頭がぼうっとしてきた。



 増える続ける囚人。


 そう。

 増え続けるサンクエンティン共和国の犯罪。


 この国が犯罪大国になったのはいつの頃からだろう?

 もう何十年もずっと犯罪が国中に溢れているような気がする。


 研究者は、35年前の世界通貨危機でこの国が最貧国に転落したのが犯罪大国になったきっかけだという。

 以来、職をなくしたサンクエンティン人たちの仕事は泥棒になった。


 以来、

 みんなが畑から農作物を盗むようになり、農業がダメになった。

 みんなが店舗から商品を盗むようになり、商業がダメになった。

 みんなが街中から手当たり次第に金属を盗むので、インフラがダメになった。

 いつのまにか街から灯りが消え、

 夜、歩いているのは犯罪者だけになった。


 サンクエンティン共和国の危機を救うため、世界中から食料や服などの支援物資が大量に届けられた。

 おかげでサンクエンティン人から飢え死の心配がなくなった。

 元々、服はなくてもこの灼熱の国では凍死の心配はない。


 食べることに困らなくなった結果、

 彼らはますます働かなくなった。

 やがて国の食料自給率はゼロにまで転落する。


 貧困に支援が集まり、支援が貧困がさらに加速させる。

 救いのない悪循環。

 救いのない世界。

 人々は麻薬の快楽に耽り、麻薬を得るためにまた盗みを働く。

 やがて刑務所だけがにぎやかになる。


 私はまた強烈な吐き気に襲われた。

 突然、動物の腐敗臭のような匂いが鼻に侵入してきたのだ。

 目が涙目になる。


「所長、何か死んでますよ。ひどい臭いがする。」


「そうかい?わからんな。日本には刑務所がないのかな?なあゴンザレス。」


 ゴンザレスはたぶん右側の武装看守だ。

 彼は何も答えなかった。

 サンクエンティン人には珍しく、無口なタイプなんだろう。


 私たちは囚人たちの間を足早に歩き、先を急いだ。


    ーーーーー


 死刑囚収容棟まで辿り着くと、監獄は鉄格子ではなく分厚いコンクリートの壁と覗き窓のついた鉄の扉で覆われ、中に収監されている囚人の姿は見えなくなった。

 ここにはもう騒ぐ囚人はいない。

 時々、悲鳴が聞こえるだけだ。

 それ以外はひっそりと静まり返り、臭気もいくぶんましになった。


 あたりが静かになると代わりに葬儀屋のような陰鬱な湿り気がべっとりと体にまとわりついてきた。


 暑さは変わらない。

 サンクエンティンではどこへ行っても暑さからは逃れられない。

 息が苦しくなる。


 ぼんやりと「3」と書いてある鉄の扉の前で我々は歩みを止めた。

 足を止めるとさらに全身から汗がどっと湧いてくる。

 見ると所長も武装看守の二人も汗だくだ。


 サンクエンティン共和国の中でも、このエスコバル刑務所のある首都パトリオーレの夏は暑いことで知られている。


 ちなみにサンクエンティンには季節というものは一つしかない。

 あるのは夏。それだけ。

 つまりパトリオーレではどんなに待っても寒い日は来ない。

 涼しい日も来ない。


 刑務所の分厚いコンクリートは赤道直下の強烈な日差しを遮ってくれてはいた。

 それでも太陽の生み出す熱気までは遮ることはできなかった。

 ジャングル特有の強力な熱と湿気は分厚いコンクリートをものともせずに内部へと入り込み、容赦無く刑務所内の室温を上げてくれた。


 悪いことに、刑務所の分厚いコンクリートはかえって風の侵入を妨げ、これも刑務所内の室温と不快指数を上げるのに寄与している。


 刑務所に快適さを期待してはいけない。

 これはきっと日本の刑務所も同じだ。


 ここまで来る途中、廊下を歩きながらどこかの角に温度計がかかっているのを見た。

 針は室温50℃を指していた。

 壊れているに違いない。

 サンクエンティンではたいていなんでも壊れている。

 あの時は自分にそう言い聞かせたが、こう不快ではあながちあの温度計も壊れていたわけではなさそうだ。


 扉の向こうには死刑の執行を待つ日本人がいる。

 私には彼の命に関わる重要な任務が課せられている。

 にもかかわらず、

 私は暑さのことばかり考え、不謹慎にも独房内に冷房が入っていることを祈った。


「中はエアコンが効いているといいな。」


 何気なく発した私のジョークが同行3人の気分を害した。

 所長は露骨に顔をしかめ、これまで無表情だった武装看守の2人も私を見て嫌悪の表情を隠さなかった。


 最初、私には彼らの態度が理解できなかった。

 だがすぐに思い出した。


 独房の中には死刑囚とはいえ、キリスト教の聖職者がいる。


 マルティネス所長もペドロ刑務官もゴンザレス刑務官も、言うまでもなくキリスト教徒だ。

 改めて聞いてはいないが、聞かなくてもわかる。

 サンクエンティン人の99.9パーセントがキリスト教徒だからだ。

 キリスト教徒以外のサンクエンティン人と私は会ったことがない。


 あるとき冗談で「残りの0.1パーセントの非キリスト教徒はこの国のどこにいるんだい?」

 と、酒の席でサンクエンティン人の友人に聞いたことがある。

「洗礼を受ける前の生まれたばかりの赤ん坊さ。」

 友人は真面目な顔で応えた。


 そうだ。

 私も思い出さなければいけない。


 この鉄の扉の向こうには死を宣告された人がいる。

 彼の気持ちを思いやれ。

 キリスト教徒であっても非キリスト教徒であっても不謹慎であってはいけない。


 独房にエアコンなんてあるわけがない。

 ここはサンクエンティン。

 あったとしても壊れている。


 どこへ行ったって暑さからは逃れられない。


 ペドロが鍵を開け、重い扉を開けた。

 熱風が外へ出てきた。


神父様(パドレ)、面会です。」

 ペドロがうやうやしく頭を垂れた。


 中から返事はなかった。


 牧野慎一郎神父。


 彼はベッドサイドにひざまずき、組んだ両手を額に当て一心に祈りを捧げていた。


 狭い独房にはベッドと簡易トイレしかない。


 ただ光はあった。

 それもまばゆいほどの強烈な光があった。


 光は、天井近くの壁の高い部分から発せられていた。

 よく見るとそこにはブロック一つ分の四角い換気口が開けられ、そこから午後の日差しが明るく中へと降り注いでいた。

 太陽の光は、ちょうど祈りを捧げている牧野神父に当たっていた。


 逆光のため、神父の体は光に包まれぼんやりしていた。代わりに固い床には神父の黒い影がくっきりと写り、私にはその影の方が神父の本体で、まるで生きているかのように見えた。


 独房の常として、四角い換気口にも鉄格子がはめられている。


 祈りを捧げる神父の黒い影にもまた鉄格子の影がかかり、やはり彼の自由を奪っていた。


 私たち3人は独房の中へ入り、今度はペドロとゴンザレスが私とマルティネス所長の後ろに立った。

 独房は狭い。

 私たちは体が触れるほど牧野神父のすぐ傍に立っているにもかかわらず、彼は部屋に誰もいないかのように静かに祈りを続けている。

 神父の祈りを邪魔しないよう、私たちは息をひそめ誰も何も言わなかった。

 息を吐けば、穢れた息が神父の頭に降り注ぎ、祈りの邪魔をしてしまいそうだ。


ガチャン。


 ペドロが、できるだけ音を立てないように慎重にゆっくりとドアを閉めた。

 ところが独房の錆びついた重い扉は意に反して大きな音を立ててしまった。


「アーメン。」


 神父はため息のように小さく呟くと立ち上がった。


 意外とがっしりとした大きな人物だ。

 56歳にしてはよく鍛えられている。

 30年以上スラム街に住み、貧しい人たちのため奉仕活動に汗を流してきた結果がこの体を作ったと言える。この胸板は、長年教会の事務室に座り、ひたすら献金された紙幣を数えてきた事務聖職者のものではない。

 苦しむ貧しき人々を力強く抱きしめてきた胸板。


 神父が立ち上がると同時にマルティネス所長、ペドロ、ゴンザレスが腰を屈め、手を合わせ、頭を垂れた。

 牧野神父をそれぞれの頭にやさしく触れ、祝福を与えた。


 神父の前にぼーっとつっ立っているのは私だけ。


 いったいこの3人は、牧野神父が死刑囚だということを忘れているのか?

 本物の神父に祝福を受けているように実にありがたそうにしている。ゴンザレスなどは感極まって泣きそうだ。


 3人の祝福が終わると、神父は私を見た。

 所長とペドロとゴンザレスも腰を屈めたまま私を見上げた。


 私は躊躇した。

 神父とはいえ、目の前の人物は死刑囚。

 犯罪者だ。


 だが待ってくれ。

 この人物は死刑囚だというのに、黒い法服を着ている。しかもしっかりと白いカラーまでつけているじゃないか!

 これはこの国のキリスト教神父の正装だ。


 それに、なんだろうこの目は?

 死刑囚だというのに、どうしてこの人の目はこんなにも慈愛に満ちているのか?

 初めて出会ったというのに、この人は私のすべてを受け入れ、許してくれている。

 そんな気がした。


 すると私は自然と腰を屈め、手を合わせ、神父の前に頭を垂れた。

 神父は静かに手を私の頭に当て、祝福を与えてくれた。


 やさしい手だ。

 温かい。

 胸の奥から込み上げてくるものがあった。

 もはやそれは吐き気ではなかった。

 あえて名付けるなら感動と呼べるものだ。


「あなたは、クリスチャン(キリスト教徒)ですね?」

 牧野神父が暖かく問うた。


はい(シー)。」


 実際、私の家は日本人には珍しい代々クリスチャンの家系だった。

 私も生まれた時から、いや、生まれてすぐに洗礼を受けて以来ずっとキリスト教徒だ。


「ははあ。日本人ですな。」


 どこでわかったのだろう?

 牧野神父は私を日本人と見抜き、日本語でうれしそうに言った。


 私は商社マンだった父の仕事のため中学までここサンクエンティンで育った。

 高校大学と日本で暮らし、そのあと国連の仕事のためまたサンクエンティンへ戻ってきた。


 私はほとんどサンクエンティンのネイティブと言ってもいい。

 日本人と会ってもたいていみんな私を同じ日本人だとは思わない。

 誰もが私を日系二世か三世だと思う。


「はい。そうです。」

 私も日本語で応えた。


 内ポケットの封筒がずっしりと重さを主張してきた。

 今私はここで封筒を取り出し、大統領の恩赦決定を読み上げる。

 マルティネス所長とペドロとゴンザレスは平伏し、

 私と”聖者”牧野神父は連れ立って刑務所を後にする。


 それでいいじゃないか。

 そうすれば誰も死なずにすむ。


 だができなかった。


 何か見えない力が、私の手を合わせたままにさせた。

 手は内ポケットには伸びようとしなかった。


 正体のわからない直感のような、心の奥の何かが、ジャケットの内ポケットへ手を伸ばすのはまだだと私を思いとどまらせた。


「本間大使はいかがお過ごしですかな?」

 と神父。


「本間大使?」


「あなたは大使館から来たのでは?」


「私?」


「あなた、外交官ではありませんか?」


「私は、国連の職員です。普段は食糧援助を担当しています。」


「立派なお仕事です。そうですか。国連職員の方がいったいわたくしに何の御用ですかな?」


「私はその、通訳です。通訳としてここへ参りました。あなたが、なんというか、極刑を言い渡されても常に、とても冷静で落ち着いていらっしゃるので、もしかしたらスペイン語がお分かりになっていないのではないか、ご自分の置かれている状況が理解できていないのではないかと、司法省に勤めている友人が心配をしまして、スペイン語の堪能な私に声がかかりました。」


 私は予め用意していた嘘を伝えた。

 我ながらみえすいた嘘だ。


 大統領からの指示は牧野神父が聖者か犯罪者か見分けろと言うだけで、その他一切のことは全て私に一任されていた。

 私が嘘をついたのは、牧野神父がもしも犯罪者なら、私が訪ねてきた本当のを知ればきっと全力で聖者のふりをするだろうからだ。


 マルティネス所長にも私はこの嘘で通している。


 大統領の名前を出すのが危険だからだ。

 デ・サンチェス大統領は、支持者からは熱狂的に支持されているが、嫌いな人からは年に数回暗殺未遂事件が起きるほど徹底的に嫌われている。

 マルティネス所長がどちらの側にいるにせよ、大統領の名前が出てくれば皆平常心ではなくなってしまう。

 政争には巻き込まれたくない。

 危険は少ないほどいい。


「はは、そうですか。ありがとうございます。ただご心配は無用です。わたくしもサンクエンティンに暮らしてもう30年になります。幸い言葉には不自由しなくなりました。近頃ではむしろ日本語の方を忘れてしまうくらいですよ。ははは。どうぞ親切な司法省のお友達にもよろしくお伝えください。わたくしは自分の置かれている立場をよく理解しております。」


 神父は力なく笑った。


「神父様、私にはあなたが死刑囚だとは信じられません。」


「わたくしもです。」


 そう言って、神父はいたずらっぽくウインクをした。

 私の心を軽くしてくれようとしているのだ。


「神父、本当なのですか?」


 私は聞きにくいことを聞こうとしていた。

 聞かなければならないと思った。


「あなたは、あなたは、本当に、告発されているような、その、犯罪を犯したのですか?」


「わたくしはデ・サンチェス大統領の政策にずっと反対してきました。彼は暴力で国と国民を支配しています。この刑務所に収容されている人の半分だってわたくしは無実だと思っています。非常に多くの人が犯罪ではなく政治的な理由で拘束され、ひどい場合には処刑されています。」


「あなたもその一人だと?」


「わたくしは神の(しもべ)。神のお定めになられた道を、ただ黙って進むだけ。それだけがわたくしの道。裁判や政治はわたくしの道ではない。ここにいるのが神のお決めになられたことなら、わたくしは黙って従います。」


「たとえ死刑になっても?」


「あなたはわたくしが聖者か何かだとお思いですか?」


 ドキッとした。それを知りたくてここにいるのだ。

 私は何も言えなかった。


「わたくしは聖者ではありません。多くの人がわたくしを聖者と言いますが、それは間違っています。わたくしは皆と同じく罪人(つみびと)です。日本にいる頃、わたくしはどうしようもない若者でした。欲と暴力に明け暮れた日々を送っておりました。たくさんの人を傷つけ、また泣かせました。当然、気がついたら刑務所にいましたよ。ははは、わたくしが刑務所に入ったのはこれが初めてではありません。まあ日本の刑務所はここほどひどくはありませんでしたがね。とにかく、わたくしはそこで神と出会ったのです。慰問に来たキリスト教の神父様がわたくしを神の道に導いてくれました。」


「あなたは、悔い改められた。」


「そう。すべてのことには意味があります。かつて人生の底辺を彷徨っているとき、わたくしは刑務所で神と出会った。今こうしてまた刑務所にいるのも不思議な気がします。きっとこれにもまた神の定められた大切な意味があると思っています。」


「しかし、このままではあなたは、」


「たとえ死ぬことになったとしてもです。それでも意味は必ずあります。」


 牧野神父の目は輝いていた。

 彼は死を恐れてはいない。

 神の愛を確信しているのだ。


 神父が聖者なのか、それとも犯罪者なのか、やっぱりまだわからない。

 それでもその時一つだけわかった。


 牧野神父は立派な人物だ。


 心は決まった。

 まずはこの人物を死の淵から救い出そう。


「ゴホン!」


 マルティネス所長が私たちに割って入るように咳払いをした。


神父様(パドレ)、もうお時間です。」


「所長、もう少し時間を。」

 私は抗議した。


「もう時間だ。日本人。それに神父様、私からも伝えることがあります。日本人よ、通訳したかったらしてもいいぞ。まあこちらの神父様には必要ないがね。」


 所長は有無を言わさず我々を制すると、ポケットから封筒を取り出し、中から一枚の紙を取り出した。


「牧野慎一郎神父、死刑囚。当刑務所は、公安委員会7名の厳正な審議の結果、あなたの刑の執行が明日13時に執り行われることをここに決定したと通知する。」


「明日!」


 私は思わず声を上げた。


「そう。明日だ。」


「聞いてない。」


「言ってない。今言った。」


ダダダダダ!


 どこからともなく銃声が聞こえてきた。

 ほぼ同時に5発。ライフルの銃声だ。


 突然の銃声にもかかわらず独房にいた私たちは誰も驚かなかった。

 私も驚かなかった。


 私たちはみんな、銃声の出所と理由を知っていた。


 銃声は地下の処刑場、この場所が昔サンクエンティン陸軍の駐屯地だった頃の屋内射撃練習場から発せられた。

 言うまでもなく、今は誰も射撃の練習などしていない。

 誰かが、生きた死刑囚が一人、今、銃殺されたのだ。


 そして明日のこの同じ時刻に、自分の目の前にいる牧野神父が銃声の前に立つ。


「受け入れよう。」


 牧野神父が静かに口を開いた。


「委員会の決定を受け入れよう。私は神の僕。全てを神の御手に委ねるだけ。さあもう明日まで時間がない。皆さん、祈りを再開してもよろしいかな?」


 マルティネス所長とペドロ、ゴンザレスは来た時と同じように腰を屈め、頭を垂れた。

 牧野神父もまた同じようにそれぞれの頭に祝福を与えた。

 祝福が済むと、神父は3人に頭を上げることを促し、それぞれの手と固く握手を交わした。


神父様(パドレ)、お別れがとても残念です。」


「所長、ペドロ、ゴンザレス、あなた方はわたくしにとても親切にしてくださいました。とても感謝しています。わたくしは、明日、私に銃を向けるゲレーロ隊長とその隊員のみなさんにも同様の感謝の念を持っております。わたくしは誰も恨みません。誰もが皆同じく神の子です。たとえ明日、あなた方が私の命を奪おうとも、わたくしの愛と感謝は変わりません。あなた方からいただいた愛を携え、わたくしは神の前へ旅立ちます。」


 3人の刑務所職員はそれぞれに感謝の言葉を口にし、牧野神父の手の甲に何度もキスをしながら独房を出た。

 ペドロは泣きながらも自分が出る時に私の腕を掴み、自分よりも先に私を独房から出すことを忘れなかった。


「待ってくれ!私にはまだ、」


「もういい、日本人、神父はお祈りの時間だ。」


「牧野神父!」


 私にはまだ話すことがあった。

 だが私の腕を掴んだペドロは許さなかった。廊下を歩き出している所長の後に私を無理やり続かせた。


 ペドロの肩越しに独房の中を覗くと、神父はもうベッドの脇にひざまずき、手を合わせ静かに祈りを捧げていた。

 まるで最初から私たちなどいなかったかのように。


 独房の扉は入って来た時と同じく、大きな音を立てて閉じられた。

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