-夢に導くフルコース- ⑤
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――恋に落ちる、と言う感覚を味わったのは生まれて初めてのことだった。
澄んだ水の流れる鴨川のせせらぎ、桜の花びらが舞う青空。
数年ぶりに日本へ帰国して、久方ぶりに体感した春の陽気に、五乙女秋人は懐かしさに心を躍らせていた。
祖父から勧められた見合い話はあまり気は進まなかったものの、海外にいる間にあまり祖父孝行ができなかったこともあり、とりあえず1回食事だけならという条件で受けた。
待ち合わせの京都駅の近くの駐車場に車を停め、いざ駅に向こうと蟻の子を散らしたかのような人の多さに圧倒された。
(京都は特にインバウンドが凄いって聞いてたけど、これはやばいな)
中国語に韓国語、英語にフランス語とスペイン語に加え、フィンランド語らしき言語も聞こえてきて、秋人は自分の知っている京都との違いに時の流れを感じた。
秋人が最後に京都に来たのは高校生の頃なので、もう10年以上前の出来事である。
それは年をとるわけだ、とどこか不貞腐れた気持ちを抱えながら秋人はお見合い相手を待つべく壁にもたれかかった。
(そういえばあの占い師に会ったのも、高校生の時だったかな)
修学旅行で京都に訪れた際に、面白半分で友人たちと占いを受けたことがあった。
そこで秋人が言われたのが“女難の相が出ている“である。
散々周りから爆笑され、揶揄われたが確かに思い当たる節はあった。
正直どちらかといえばモテてきた方だという自負はあるが、どの子とも長続きがしないのである。
浮気されたり束縛が激しかったり、他の男との距離が異常に近かったりと、碌な別れ方をしなかったことがこれまでの人生で何度もあった。
一応それなりに秋人にも好意はあって、それなりに彼女の要望は叶えようと努力したし、寄り添ってきたはずだった。
しかしどうにもうまくいかない。
一時はもう恋愛はごめんだとさえ思ったのだが、秋人にはどうしても叶えたい“夢“ができてしまった。
そのために秋人は気の進まないものの、もしかしたらと藁にもすがる思い出今回の見合い話を受けたのだ。
(それにしても人が多いな……卯ノ宮さんが来ても、わかるかな)
卯ノ宮雪子。
この名前の持ち主が、今日の見合い相手の女性である。
しかし、いい加減な性格の祖父はあろうことか、相手の写真を1枚も持っておらず似ているからと言う理由で、大昔に撮ったのであろう彼女の祖母の方の写真を見せられたのである。
『いや、おばあさんの方から写真貰えよ!』
『それがなあ、お見合いの約束を取り付けてもらうので精一杯でなあ。まさか葬式の様子を写真に収めるわけにもいかんし』
『お見合いの話から、なんで葬式の話になるんだよ』
『見合いをさせようって話になった後、陽乃ちゃんが亡くなってしまったんじゃよ。ほれ、この間わしが葬式に行くからって車運転してもらっただろ、あれだよ』
そういえば数ヶ月前に、葬式に行かなければならないからという理由で近くまで祖父を乗せて行った覚えがある。
まさかそのことがつながっているとは思わず、秋人は口を閉じた。
『葬式で見たのがわしも初めてじゃったんだが、若い頃の陽乃ちゃんにそっくりでなあ。大切な陽乃ちゃんの忘形見のお孫さんだから、失礼のないようにな』
昔を懐かしんでいるだけではない、ほのかな想いを滲ませる祖父の横顔に秋人は何も言えなくなってしまった。
そして今日を迎えたわけだが、やっぱり無理だろと心の奥で機嫌の悪い小学生のように悪態をついた。
その時、ふと1人の女性が秋人の前を通り過ぎた。
甘い桜の香りを連れた、着物姿の品のある若い女性。
思わず目で追いかけたが顔は見えず、秋人の立っている場所からは見えなくなってしまった。
――もしかして、あの人が今日の見合い相手だったりはしないだろうか。
すると改札口のすぐ横であの着物を来た後ろ姿を視界の端で捉えたが、別の外国人と話しているのが見えて、秋人は様子を伺ってすぐそばに立った。
顔見知りかと会っているのか、それともただの道案内か。
困っていればすぐに助けに入れるように、と聞き耳を立てていると2人の会話が聞こえてきた。
「えっと……キョート・地下鉄・トレインでゴートゥー祇園四条ステーション……OK?」
どうやら後者だったらしく、ほっとすると同時に一生懸命説明しようとする健気さに、心がくすぐったくなった。
英語が話せなくても、そうやってどうにかしようと心を砕いてくれるのが嬉しいのだ。
秋人も日本から出て海外へ行った時、以前の拙い英語をなんとか聞いてくれた現地の人たちの対応を思い出す。
助けに入るべきか、どうするか悩んでいるうちに女性は鞄からスマホを取り出して、文字を入力し始めた。
どうやら翻訳機能を使って説明する手段に出たようだ。
その方法は功を奏したようで、相手の観光客もOKOKと納得した素振りを見せていた。
これでもう大丈夫かと思われ、淡い期待を抱いて秋人は一歩踏み出した時、運悪くどこからか悲鳴に似た声が聞こえてきた。
「ノーっ!!! アイキャントスピーキングイングリッシュ! ソーリーソーリーっ!」
そして全速力で走り去る日本人の後ろを振り返ってみると、大きなリュックサックを抱えた外国人観光客の家族が目に入った。
おおかた道を尋ねようとして、驚いた日本人に逃げられてしまったのだろう。
英語が話せないのは仕方ないとしても、もう少し断り方というものがあるはずだ。
秋人は盛大なため息を吐いて、その家族づれの外国人観光客に近寄って声をかけた。
「May I help you?」
声をかけるとやはり道に迷っていたようで、軽く案内をしてあげると秋人は先ほどの女性を探し始めた。
すると先ほどとは雲行きが怪しくなり、ついに男性側が無理やり女性の手を掴んで抵抗する姿が目について、秋人はいても立ってもいられず2人の間に割って入った。
「Stop. She’s my significant other. Could you please stop?(その人は俺の大切な人なんだ、乱暴な真似はよしてくれないか)」
ここでトラブルを起こすのは、秋人としても本意ではない。
できる限り言葉を丸くしてそうやんわりと伝えると、相手の男性は不利を悟ったのかそそくさと尻尾を巻いてくれた。
「困っているように見えたので、割り込んじゃったんですけど大丈夫でしたか?」
振り返って、秋人は初めて――時が止まるという感覚を味わった。
映画やドラマでよく恋に落ちる表現方法として使用されるスローモーション。
あんなのはただの演出の1つだと思っていた、現実ではあんな風になるわけがないと。
「ええ、大丈夫です。助けていただいて、ありがとうございます」
サラサラとしている濡鴉色の髪に、白雪のような柔らかそうな肌と桜色の唇。
目元は涼しげで、左目の端には黒子が恥ずかしげに髪の隙間からこちらを覗いている。
声もしっとりとしていて、京都弁で話す声音はまるで日本の琴のような人の心を落ち着かせる音色をしていた。
秋人の理想が人の形をして、そこに立っている。
あまりにも秋人がじっと見つめていたせいか、女性は気恥ずかしそうに目を逸らしてしまったが、そんな仕草1つでも心臓がわし掴みにされた衝撃がした。
「あと、もし間違いだったら申し訳ないんですけど、卯ノ宮雪子さんじゃないですか?」
祖父の言う通り、確かに似ている。
しかし、こちらの方が何倍も秋人の目線を奪って仕方がない。
「え? ええ……そうですけど……?」
――絶対、この子と結婚する。
雪子の柳眉を寄せて怪訝そうな表情を覗かせた、この瞬間秋人はそう確信したのである。
その後、予約していたカフェで話をしても、雪子の一挙手一投足が秋人の心を掴んで話さなかった。
涼しげな目元のせいか、一見どこかクールな感じもあるように見えた。
しかし、実際に話してみると、雪子は外見のしどけない大人っぽさとは反対に、中身は10代の少女の残り香を色濃く残している純真可憐な娘であった。
女子校育ちで職場も女性ばかりだと話す雪子は、初めの方は秋人との会話もどこかぎこちなく、その凜としつつ涼しげな顔には“男性とは何を話せばいのでしょうか“と大々的に書いてある様子さえ透けて見えていた。
――まずは、男性と意識してもらうよりも信頼と安心感を得てもらう方がいいな。
ちょっと口説いただけで頬を赤らめて“そんなこと言われても、困ります“と顔に書かれてしまっては、秋人もお手上げだった。
「秋人の連れてきたお嬢さん、いい子そうじゃないか。」
秋人自身が勤務しているレストランに雪子を招待して、彼女を見送った後。
このレストランのシェフである長嶺が、その強面に茶目っ気を滲ませて、ぐっと秋人の肩に手を回して絡んできた。
「今までの男連中が連れてきた女の中で1番良かったぞ。わしがあと20若ければな」
「俺だってそうですよ! 雪子ちゃんは今まで会った女の子たちと違って、なんの連絡もないまま6時間も遅刻してきたりしないし勝手に連絡先のリスト消してきたりしないし連絡は1分以内に返せとか言わないし家に遊びに行ったら男友達と雑魚してたりしないし奢ってあげたらちゃんとお礼言ってくれるし」
「お前……今までどんな女と付き合ってたんだ……」