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-夢に導くフルコース- ④

――――――――――――――


 後日――京都市営地下鉄今出川駅を降りて、府道101号線沿いに歩いて10分ほどのところ。(本来はバスに乗った方が早いのだが、大きなキャリーケースを持った観光客で市バスが溢れていたので、こちらの道を使った)

 京都御所の北西に位置する場所に、こじんまりと息を潜めるかのようにして立っている古民家が1軒。

 入り口である京都特有の狭い間口を通ると、今や手入れもする人もいないためか。玄関の横に生えていた植物たちは生気を亡くし、深く頭を垂れている。そこに生えている枝垂れ桜の木も、人のいなくなった土地で鬱々としていた。

 今ではまるで日本のホラー映画に出てきそうな外観になってしまったが、祖母が元気な頃は老若男女の楽しげな声が聞こえていたのに。と思い出になってしまった記憶に浸りながら、雪子は店の鍵で戸を開けた。

「ここからちょっと歩くと晴明神社があって、近くには西陣織の会館もあるんですよ。駅の反対側には大学のキャンパスなんかもあっ、て!」

 ガタガタと音を立てるだけで動かない引き戸と格闘する雪子に、秋人が心配そうに代わろうかと声をかけてくれるが、雪子はその申し出をやんわりと断る。

「前からちょっと立て付けが悪かったんですけどっ、コツがあって……! ここを、ヒョイっと!」

 かたんっ、と音がしたかと思うと引き戸はすっと開く。

 しかし開けたと同時に埃っぽい空気が漂ってきて、雪子は顔をしかめた。

 古びた窓にかけられたカーテン越しに降り注ぐ光が、空中に浮遊している埃を浮かび上がらせていた。

 かつて祖母と会話をするのを楽しみに来ていた、地元の人で埋まっていたカウンターには、乱暴に積み重ねられたお皿が並べられている。

 親子連れや大きな荷物を抱えた観光客が座っていた小上がりにも、薄らと埃がたまっており、どこか寂しげな雰囲気が漂っている。

 四季を楽しめると評判だった奥に見える坪庭も同じか、見るも無惨な荒れ放題となっていた。

 家は人が住まなくなると、こんなにも早く朽ちていくものなのか。

 ある程度覚悟はしていたものの、雪子の想定以上のスピードで激しく劣化していた店に、雪子は目を潤ませた――これではまるで、"うさぎの夢"が祖母の死を悼んでいるようではないか。

「でも、綺麗に使ってた形跡はあるよね。キッチンとか――」

「そこ! 床に水が漏れてる時があるので気をつけてくださいっ」

 雪子が唐突に大きな声を出したせいか、秋人はびくりと体を震わせて、キッチンに入ろうとした足を止めた。

「すみませんっ、突然大きな声を出してしまって……その冷蔵庫もだいぶ古いので、たまに水が漏れて床が濡れている時があるんです」

「なるほど……。見てくれも、結構年季入ってるもんな」

「冷蔵庫だけやなくて、水場の蛇口も古いせいか、たまに茶色の水が出たりしますし……」

 台所で使用しているガスコンロも、昔ながらの押し込みながら捻るタイプのスイッチで、何度も繰り返さないとガスがつかないという有様である。

「こんな感じですが……修繕さえすれば、けっこういい雰囲気だと思うんです」

 祖母が店を開いたのは、日本が高度経済成長期の真っ只中。建物自体は祖母が親から継いだものだったらしく、そこを改築して今の様式になったらしい。

 それから半世紀も過ぎれば、あちこちにガタが来るのも当然だろう。

 社員寮とはいえ一人暮らしで、料理教室の給料はお世辞にも多いとは言い難い。

 日々を生き抜くのに精一杯で、何百万もかかるような修繕費を集めることは困難を極めていた。

「でも、祖母が大事にしていたお店なんです。五乙女さんさえよければ、ぜひ使っていただきたくて……!」

 祖母は亡くなり、両親とはほぼ絶縁状態。

 信頼できる後ろ盾がいない雪子では、銀行での融資も渋られてしまう。

 そんな今の雪子にできるのは、秋人の夢を応援して、祖母の残してくれたこの店を守ること。

 出会って間もない関係だが、そもそもは祖母の友人での繋がりである。

 それになにより、秋人の陽だまりのような優しさを持つ人なら、雪子も安心してこの店を任せられると思ったのだ。

 どうでしょうか、という雪子の問いかけに秋人は顎に手を当ててじっと店内を見渡した。

 しばしの間が空いた後、秋人は不安そうに見つめる雪子の問いに答えた。

「じゃあ雪子ちゃんがオーナーで、俺がこのお店を任せてもらうって感じでどうかな」

 全く思ってもみなかった秋人の口から飛び出た台詞に、雪子はビー玉のように目を丸くして、えっと声を上げた。

「実は俺、自分で店をやりたいって決めてから、結構お金は貯めてたから修繕費は別にいいんだ。それより、そんな雪子ちゃんの思い出深い場所を、勝手に改装しちゃっていいのかが気になってさ」

「えっえっえっ」

「だから雪子ちゃんがこの店のオーナーってことにして、お店の経営は俺がする。これでどうかな?」

「そんな、この場所を使っていただけるだけでもありがたくて……!」

「わかんないよ。雪子ちゃんが見張ってないと、俺が勝手にネオンでピッカピカのギラギラの雰囲気0の店にしてるかもよ?」

「え、ええ……っ」

 誰かと一緒にお店をやるだなんて、考えもしなかった。

 そして、秋人が雪子の気持ちまで汲んでくれての発案に、心の奥が熱くなる。

「でもうちがオーナーやなんて、ほんまにええんですか。そんな……」

「この土地も建物も雪子ちゃんが譲ってもらった、大切な場所なんでしょ。むしろ俺が借りる側なんだから」

 秋人の夢の力になれる喜びと、秋人が雪子の気持ちを尊重してくれた嬉しさで、空に浮かぶ雲のようにふわふわとして現実味が感じられない。

 まるで夢でもみているかのような感覚に、雪子は目をぱちぱちと瞬かせる。

 自分なんかでは秋人の相手に相応しくないと頭ではわかっているのに、こうしてまだ秋人と同じ時間を過ごせることに、どうしようもなく幸福感を抱いてしまうのだった。


 

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