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episode1. -夢に導くフルコース- ①

 春先の肌寒い風が去り、見頃を迎えていた桜も散って青々とした葉が生い茂る季節。

 花見目当ての観光客が引いたと思ったら、大型連休であるゴールデンウィークに入ると、京都の観光名所の1つである渡月橋は身動きができないほどの人で埋まる。

 5月の初旬ともなればもうすっかり初夏。

 盆地特有の湿気を含んだ生ぬるい風が薄い生地のワンピースの裾を揺らし、額にほんのり汗が滲む。

 この気温だと昼間の飲食を取り扱う店ではアイスクリームや冷たい飲み物が飛ぶように売れていることだろう。

 何せ京都は盆地にあり夏は暑く、冬は寒い。

 本来この時期であれば節約のために、クーラーの効いたショッピングモールや図書館で、涼を満喫してるはずだった。

 ゴールデンウィークを過ぎ、また少し人通りが落ち着いてきた、京都の暑さが本格化してきた日中。

 雪子は涼しげな、爽やかな色合いの淡いブルー色のワンピースを身につけて、嵐山を訪れていた。

 京都府京都市右京区にある竹林と渡月橋が有名な景勝地で、四季を問わずたくさんの観光客が訪れる場所である。


(ええと、地図だとこっちの方……)


 自分に秋人はどう考えても釣り合わない、と結論づけてどうにかお見合いを断ろうとしたものの、


『今日は楽しかったよ、本当にありがとう。無事に家に帰れたかな?』

『今度いつうちのレストランくる? 平日なら俺が出れると思う!』


 というノリノリの秋人のメッセージを前に断る理由も思いつかず、そもそも人の頼みを断れない気質の雪子は、あれよあれよという間に次の予定が決まってしまったのだった。

 新人の教育が落ち着く頃合いの5月に入って、秋人がシフトに入っており、雪子が休みの平日に秋人が働いているホテルのレストランへ行くことになって現在に至る。

 しかし、期間が空いたおかげで亜美とエリカがデートの準備を手伝ってくれ、前とはずいぶん違う雰囲気の出立ちになった。

 この日のために購入したシフォン生地のワンピースは爽やかなブルーの色味だが、少しくすみのある大人の落ち着いた色味なので甘くなりすぎず、すっきりとした品のあるデザイン。

 髪型は緩く巻き上げられ、耳にはゆらゆらと揺れるタイプのイヤリングが光っている。

 雪子1人ならあまりの可愛さに恐れ多くて絶対に選ばない代物だったが、『男を落とすなら絶対ワンピース!』というエリカの圧に屈して購入してしまい。今日のメイクの一式とアクセサリーも『雪子さんはブルベの夏だからこれ! 顔タイプはソフエレだからこれ!』と亜美から謎の呪文を唱えられて、ついつい買い揃えてしまった。

 これなら、ホテルのレストランでもなんの違和感もないだろう。

――服装は全て職場の人が選んでくれたもんやけど。

 雪子は肩から下げた小さめのショルダーバックとは別の手に持った紙袋に視線を落とした。

 前回のデートではデザートまで付いたランチセットを奢ってもらってしまった。雪子はそのお返しとして、職場のある百貨店で手土産を用意したのである。

 本場パリの星付きのレストランで働いていたというのだから、絶対に妥協はできない。

 ぐるぐると洋菓子・和菓子コーナーを何周もして、味見もさせてもらい、吟味に吟味を重ねて選んだお菓子。

 そんなことを考えながら、雪子は秋人が共有してくれた地図アプリを頼りに、ホテルの場所へと向かう。

 彼が指定した場所には、和モダンの外装をしたホテルが桂川を望むように建っており、入り口の立派な門構えを恐る恐る通らせてもらうと、整備された枯山水の庭を通り抜けて玄関へと繋がっている様式になっていた。

 こんなすごいところに1人で入っても大丈夫なのだろうかと恐れ慄きつつ、玄関へ向かうと現代の自動扉が雪子を招き入れてくれた。 


「「ようこそ、いらっしゃいませ」」


 入ってすぐに雪子を迎えてくれたのは、黒で統一されたシックな空間に鎮座している、雪子の背丈の倍はありそうな立派な盆栽。

 そして、一流のホテルマンが雪子に向かって丁寧にお辞儀をし、挨拶をしてくれる。

 平日ということもあるせいか、フロントにはお客は雪子しかおらず一斉に視線を浴びて雪子は固まってしまった。


「お困り事がございましたら、どうぞお申し付けくださいませ」

「えっえっと……レストランを予約してまして……」

「かしこまりました。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「卯ノ宮です……」

「ありがとうございます、ご案内いたします」


 皺1つない制服を着用したホテルマンが雪子に声をかけてくれ、案内をしてくれることになった。

 ホテルの中も外観と同じように、ラグジュアリーかつセンスの光る内装で、あまりに場違いすぎて追い出されやしないかとヒヤヒヤしてしまう。

 迷宮のようなホテルをスタスタと歩くホテルマンの後を親鳥を追うアヒルのような気持ちでついて行くと、とある入り口の前へと辿り着いた。 


「ご予約の卯ノ宮様です」

「はい、卯ノ宮様――五乙女の言ってた女性ですね。どうぞこちらに」

「どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ」

「あっありがとうございました」


 レストランの入り口で待機していた従業員にバトンタッチして、雪子はレストランの中へと更に足を進めた。

 レストランの中もしんと静まり返っているので、もしやと雪子は頭に浮かんだ説を従業員に尋ねてみる。 

「も、もしかして貸切だったりします……?」

「この時間帯は通常営業していないので、そういうことになりますね」

「ひえっ」

「日中はランチもしていますが、今の時間帯はディナータイムとの切り替えと準備で閉めているんです」


 そうして雪子が案内されたのは、格式の高そうな内装の個室であった。

 カーテンや仕切りで作ったなんちゃって個室ではない。

 しっかり扉で仕切られた先ほどまでとは違う空間が広がっていた。

 桂川を独り占めできる眺望に、埃一つない純白のデザイン。無駄な飾りや調度品もない。

 テーブルクロスの上には綺麗に折り畳まれたナプキンを乗せたお皿を中心に、左側には一回り小さめのお皿が、右側にはナイフとフォークが置かれている。 


「本当にこの部屋でいいんですか……?」

「ええ、もちろん。どうぞごゆっくり」


 雪子は残された空間で、生まれたての子鹿のように足を震わせながらイスに腰を下ろした。

 なんというところに来てしまったのだろう。

 このホテルは完全に富裕層向けで、雪子のような一般人がおいそれと来る場所ではない。

 子供の頃であれば非日常的空間に素直にはしゃぐこともできただろうが、それなりに酸いも甘いも経験した大人では畏れ多くて動悸がする。

 血の気を失った表情で桂川を眺めることしかできなくなっていると、コンコンというノックの後、秋人が雪子を呼ぶ声がした。

 すると扉の向こうから秋人がひょっこりと顔を覗かせた時には、君臨した天使を崇めるような気持ちで雪子はぱあっと表情を輝かせた。

 見知った人がいる安心感から、立ち上がってよろよろと秋人の方へ吸い寄せられた。


「あっ、五乙女さんっ! よかったです、五乙女さんがいてよかったです! こんなお高そうなところ、生きた心地がしなくって……!」

「あはは、そんなにかしこまなくってもいいのに」 


 秋人は雪子を落ち着かせつつも、今日の雪子の着飾った姿を見て眦を下げて、新緑の葉からこぼれ落ちる陽の光のようにキラキラと目を輝かせた。


「ようこそいらっしゃいませ――着物も似合ってたけど、今日のワンピース、すっごくかわいいね。お姫様みたい」


 ちゃん付け呼びの次はお姫様ときた。

 フランスやイタリアにいると、そんな言葉までスラスラ言えるようになるのだろうか。

 今から顔の熱で茶が沸かせそうな気がするほど、お子様な雪子は羞恥でクラクラとしてしまった。

 雪子はどちらかというと地味な大人っぽい顔立ちで、今流行りの目がぱっちりとした華やかで可愛いらしい――それこそお姫様やお人形さんのような容姿とは正反対なのに。 


「そゆな……お、お姫様という柄では全然……!」


 動揺のあまり噛んでしまったが、秋人はそんなことは全く気にしない素振りで雪子の顔をそろりと覗き込む。 


「お化粧も前とは違うよね? 前は清楚な感じだったけど、今日の華やかな感じもかわいいね」


 どうしてそんな細かいところにまで気がつくのか。

 心に吹き荒れる春の嵐に、心臓がドキドキと心拍数を上げている。

 でも、忘れないうちに手土産を渡さなくては。


「あの、これこの間のお礼も兼ねて……ちょっとしたお土産です」


 雪子は大事に抱えていた、百貨店のロゴ入りの紙袋を秋人へとおずおずと差し出す。

 秋人は予期せぬ雪子からのプレゼントに、子供のような無邪気な笑顔を咲かせた。


「めっちゃ嬉しい! ありがとう、大事に食べるね」

「よかったら、職場の方とも分けていただいて……」

「やだ、全部俺が食べる」 


 間髪入れずにそう断言した秋人がなんだか子供っぽくて、雪子は照れつつも穏やかな笑みを深める。


「じゃあ今日はちょっとしたスペシャルコースを用意するから。飲み物はどうする? 一応うちは食前酒(アペリティフ)をおすすめしてるけど」

「じゃあ、それでお願いします。うちは外の景色でも眺めてゆっくりしてるので」

「了解。ぜひゆっくりしててね、素敵な景色と食事。その2つを心置きなく味わってもらうための部屋だから」


 テラス窓の向こうに広がる嵐山の眺望と、テーブルの上の苔玉。

 そしてこれからやってくる料理を五感で感じてもらうために、極限までに無駄を省いた部屋――それがこの個室の特徴なのだという。


「では、お料理が運ばれてくるまでごゆっくりお過ごしください」


 姫に仕える騎士のように恭しく一礼をし、部屋を後にする秋人を見送った。

 

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