-春を呼ぶグラタン- ④
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「それ絶対ユキちゃんのことが好きってアピールよ! 良かったわねえっ」
「……そんなことないと思います」
「いいやっ、おばちゃんの目に狂いはないわ! 絶対そうよ、そうに決まってる!」
雪子の職場である料理教室はそこそこの規模でほぼ全国に教室があり、雪子が配属しているのは京都河原町駅が最寄りの百貨店にテナントを構えている。
たまに他店で欠勤者が出た時は大阪や神戸の方にまでいくこともあるが、やはりこの京都支店が雪子にとって一番居心地のいい職場であった。
スタッフが全員女性ということもあり、お互いを呼ぶときは下の名前でさん付けが基本。
昼休みの時間になると、こうしてその日の出勤者でテーブルを囲んで色々おしゃべりをしながらランチを取るのが楽しいのである。
今日は特に、前々からお見合い相手に会うための相談に乗ってもらっていたので、その報告会として盛り上がっていた。
中でも京都支店の店長で年長者である甲斐田志穂は五十を過ぎているというのに、まるで十代の女子高生のようにはしゃいでいる。
「ようやく雪子さんの良さをわかってくれる男性が現れたのよ、お祝いしなくっちゃ!」
「志穂店長、喜ぶにはまだ早いですよ。ちゃんと見極めないと、アタシみたいになっちゃいますから」
「経験者の言葉には重みがありますね……」
はしゃぐ志穂店長を嗜める有沢亜美はショートカットのよく似合うキリッとした美人だが、旦那と離婚して男児1人を育てるシングルマザー。
その亜美の言葉に同意するように、生涯現役独身を公言している友田エリカが腕を組んで感慨深い表情で頷いている。
今日のシフトメンバーであるこの4人で、あれやこれやと話し込んでいる様はまさに女子会であった。
「だってそんなに良い条件の男がお見合いなんてします? そんなことしなくたって、女なんてよりどりみどりじゃないですか」
「そう、それなのよエリカちゃん! 絶対に何かある気がするの」
「そうかしら、ただ単に三十代になって結婚を意識した相手を探しているだけじゃなあい?」
「うう……その線もあるのか……。いや、でも借金とかギャンブル好きとか、酒乱だとか……両親の介護役を探しているっていう可能性も……」
「ダメだ、亜美さんが元旦那さんの幻覚に囚われ過ぎている」
夫とよくデートでどこへ行っただとかプレゼントでこれを貰ったと普段からそのおしどり夫婦っぷりを話している志穂店長。
そんな彼女とは対照的に、妊娠が分かった直後にギャンブルで作った借金が発覚し、姑とも折り合いが悪かったことから弁護士を挟んだ泥沼離婚を経験した亜美。
2人の経験の差からか、秋人に対する意見が真っ向から対立していた。
「まあその五乙女さんが雪子さんに好意を抱いているという可能性は高いですね。祖母を介してのお見合い話プラス早い時間に解散してくれている、という点で遊びの可能性は低いですし。それに、男って好きじゃない女にはとことん冷たいですからね。それこそ口うるさい近所のババアみたいな扱いとか平気でしてきますもん」
あの温和な秋人なら嫌いな相手でも、そのような扱いをするようには見えないのだが。
小首を傾げる雪子と志穂店長とは裏腹に、亜美だけがエリカの発言に激しく賛同するように首を縦に振っていた。
「いや、本性なんて結婚するまで……子供ができてから豹変する場合もあるからね……」
「雪子さん。アタシたちの言った注意事項、覚えてる?」
注意事項とはお見合いに行くにあたって、こういうことをする男はやめておけと暗唱させられたフレーズのことである。
「ええと、ベタベタ触ってくる男。車とかカラオケとか密室に行こうと誘ってくる男。無理矢理お酒を飲ましてくる男。女を見下している男。しつこい男……あとは……」
あとは何だったけ、と頭を悩ませた時。
店舗の入り口から「すみませーん」という声が聞こえてきた。
その声の持ち主の顔を思い浮かべ、楽しい女子会ランチから一転、ピリリとした険しい雰囲気が流れる。
「雪子さんは裏で待機してて。エリカさんと亜美さんは私のフォローをお願い」
「「かしこまりました」」
仕事モードになった志穂店長が、長年培ってきた満点の笑顔を浮かべ、教室の入り口の方へ向かって行く。
待機を命じられた雪子が志穂店長の代わりにお弁当を片付けていると、亜美とエリカが休憩室の扉の隙間から志穂店長の対応を観察し、雪子に耳打ちをする。
「富山さん、また雪子さんに会わせろってごねてるみたいよ」
しつこいわよねえ、と呆れた表情の亜美に対して雪子も眉を八の字にして「ご迷惑をおかけしてすみません」と頭を下げるほかない。
――富山勘司。最近この料理教室に通い始めた五十代の男性会社員なのだが、なぜか雪子のことをえらく気に入っており、レッスン中にも関わらず雪子に付き纏っているよう注意人物である。
志穂店長が聞き出した情報によると、きっかけは自粛期間中に会社で始まったオンラインサービス。
新型ウィルスが流行り、不要不急の外出を控える呼びかけにより始まったオンラインでの料理教室のレッスン。短大でもZOOMで授業を受けたりなどで多少経験のあった雪子がぜひに、と抜擢され断れずに話を受けたことがあった。
もともと富山勘司の母が別の支店の料理教室の会員だったらしく、お家時間を活用して雪子のオンラインレッスンを受けていたらしい。その頃富山勘司自身も在宅で、そのオンラインレッスンに映った雪子の姿に一目惚れ。こうして雪子目当てにこの料理教室に来た、という流れらしい。
『若くて料理も出来て、男慣れしていない。こういう大人しい女が結婚相手にちょうどいいと思ってな!』
対面でのレッスンが再開し、初対面であるはずの雪子に向かって全く悪びれる気配もなく、そう言い放ったのだ。久方ぶりの対面レッスンが騒然としたことを思い出し、雪子は戦慄した。
料理教室に通っている男性は少数ながらいるものの、そんなことをしてきたのは富山のみである。
そのあまりの強烈さに本社から迷惑行為をする男性会員の対応について、マニュアルが発表されたくらいだ。
これでは普通に通っている男性会員が可哀想だと、スタッフから溢れるくらい強烈な富山に、ベテランの志穂店長も手を焼いている様子だった。
「今日は勘司さんだけ何ですね。レッスンが終わったらさっさと帰ってくれると良いけど」
「たまに母親まで連れてきてるんですよ。五十にもなって、仮にも女口説くのにママなんて連れて来んなよ」
エリカと亜美の毒舌がゴジラよりも高い火力で富山に向けられている。
富山が参加する今日のコースで作る料理はきのこのあんかけ和風の豆腐ハンバーグで、雪子の得意な和風メニューだった。本来なら自分がメインの講師で料理を教えるはずだったのに、と雪子は肩を落としながら休憩室の片付けに入った。
レッスンが始まるまであと20分。そこからレッスンが始まって、作った料理を食べて終わるまでざっと2時間半ほど。
その間雪子は何も手伝えないので、こうして休憩室に身を隠して部屋の隅の埃を掃除するしかない。
店長である志穂店長も気にしなくても良いとは言ってくれている。だがしかし、みんなが忙しそうに動き回っている中、自分だけが暇を持て余しているのに何もできないというのは想像以上の苦痛だった。
窓際族に追いやられて精神を病んでいく人の気持ちが、ほんの少しわかるような、そんな感覚だった。
(皆さんよくしてくれとるけど、富山さんのこともあるし……それに……)
このまま、この職場に迷惑をかけながら居続けてもいいのか。
雪子の脳裏に浮かび上がるのは、祖母の大事にしていたあのお店。
祖母が亡くなったことをきっかけに店仕舞いをしてしまったが、あの土地は遺産として雪子に譲渡された。
あのお店は祖母がずっと大切にしてきた思い入れ深い場所であり、いつか祖母と一緒にお店をするのが夢だったことを思い出し雪子は1人ため息をつくのだった。