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-春を呼ぶグラタン- ③

「お待たせいたしました。セットのバゲットはおかわりできますので、その際はお申し付けください」


 そう説明しながら、雪子の目の前に焼きたてのバゲットの、ふんわりとした香りが通り抜ける。

 古びた木のテーブルの上にはカゴに盛り付けられたバゲットに、バジルの葉がトッピングされたトマトソースのパスタと、とろりとしたチーズが食欲をそそるグラタン。お洒落な木製のキッチンボードにはリンゴの添えられたサラダと、オレンジのマグカップの中で、湯気を揺らめかせながらオニオンスープが鎮座していた。


「わあ……!」


 店の外観や作りもお洒落だったが、料理や盛り付け方まで随分と手が込んでいる。

 お洒落ではあるが、以前秋人が来たことがあるというくらいだから、味も抜群に違いない。


「「いただきます」」


 まずはサラダから。

 一口サラダを口に運んで、雪子は美味しい……!と目をキラキラと星のように輝かせた。

 ドレッシングはにんじんソースにほんのり酸味があり、それがシャキシャキのリンゴとサラダがよく合う。

 新鮮な葉野菜のサラダだが、果物を添えるとより何倍も贅沢に感じられる。

 じゃあ、スープはどうだろうとフォークからスプーンに持ち替えて、こちらも一口。


(玉ねぎがとろとろ……! さっきのサラダが酸味やったから、よりコクがあるように感じる) 


 この味の変化は楽しい。

 これならきっとメインのグラタンも間違いないはずだ、と雪子はあっつあつのグラタンを掬い、ふうふうと息を吹きかける。

 バケットをつけるのも美味しそうだが、まずはそのままからいただく。

 息を吹きかけて、表面温度の下がったグラタンを頬張る。


「美味しい……」


 グラタンにしておいて良かった。

 まだ春先の肌寒い季節に嬉しい暖かなクリームソースに濃厚なチーズとぷりぷりのエビ。

 サラダ、スープ、グラタン。

 それぞれの料理がそれぞれの良さを引き立てている。

 楽しい、美味しい、素晴らしい。


「……ぷっ、はははっ」


 素晴らしい料理の数々に舌鼓を打っていると、秋人の吹き出したような笑い声がして、雪子ははっと我に帰った。


「ごめんなさいっ! あんまりに美味しくて夢中になってしまって……っ」

「いや、全然気にしないで。あんまり美味しそうに食べるもんだから、つい」


 食事を共にしているのに、秋人は全く怒ったり不機嫌になったりする素振りを見せず、夢中になっている雪子をニコニコと見つめてくる。

 気にしないでとは言われたものの、面映くなってしまって雪子は一旦食べ進める手を止めた。


「とっても美味しいです。連れてきてくださって、ありがとうございます」

「それなら良かった。結構お気に入りなんだ、この店」

「うちも、お気に入りになっちゃいました」

「じゃあまた一緒に来ようよ。ここディナーもやってて、そっちも美味しいんだよな」


 一応この食事はお見合いで、その次の約束をするということは、秋人は雪子をそういう目でみて気に入ってくれたのだろうか。

 ――この誘いは、社交辞令かはたまた本気か。

 期待と戸惑いで心が落ち着かず、頬は熱っぽくて抑え切れない。

 一瞬ぎこちなくなった雪子を見透かしたかのように、秋人は「雪子ちゃんさえ良かったら」と優しく言い添える。


「全然っ、あの。こちらこそ、五乙女さんが良ければ……」


 スマートな大人の振る舞いをする秋人に対して、雪子が秋人にこのデートでできたことはなんだろう。雪子自身には、秋人に気に入ってもらえるような振る舞いをした覚えはさっぱりない。

 驚きと困惑で言葉に詰まる上、今時の学生より恋愛経験の浅い雪子は気恥ずかしさから、秋人と目が合わせられなかった。

 本当に良いのだろうか、こんな何の面白味のない自分と一緒で。と口にするとしたものの、秋人のほんのり頬を染めて口角の上がった表情を見てしまえば、閉口せざるえなかった。




デザートの自家製アイスクリームまでお腹にしまい込んだ雪子は、秋人と共に2人で駅の方へと戻ることになった。


「すみません、デザートまでいただいたのに……」

「いいよいいよ、気にしないで。こんなアラサーのおっさんに付き合ってくれた、お礼みたいなもんだから」


 お会計の際に自分の食べた分は自分で払うと頑として譲らなかったのだが、小銭は持ちたくないだのお礼だのと秋人に言いくるめられて、ご馳走になってしまった。

 今度絶対にお礼をしようと心の中で決意していると、ふと思い出したかのような口調で秋人が声をかけてきた。


「よかったらさ、今度都合のいい時に、俺が働いてるレストランに来てみない?」

「秋人さんの働いているレストラン……?」


 秋人は日本に帰国してから知人の伝手で、嵐山にあるホテルのレストランで働いているらしく、ぜひ食べに来てほしいというお誘いであった。


「ほんまにええんですか? お邪魔と違いますやろか……?」

「おひとり様でも、お友だち連れでも大丈夫だよ。日にち教えてくれたら俺が席も用意しとくから」


 今日のランチも絶品だったが、秋人が働いているレストランの食事も、さぞかし美味しいに違いない。

 食欲から来る好奇心に釣られてお誘いを受けると、秋人は声を弾ませながら「じゃあ連絡先も交換しておこう」とSNSの交換までしてしまった。

 それから2人はたわいも無い話をしながら、京都駅へと戻ってきた。


「じゃあ俺はここで。車で来てるからさ」

「あ……そうだったんですね」


 てっきり改札口の向こうまで一緒かと思ったのだが、秋人は車でここへ来ていたらしい。

 時間はまだ昼の4時を過ぎたくらいで、まだまだ外は陽の光が京都に降り注いでいる。

 こんな早い時間に解散するせいだろうか、秋人のその言葉に、ほんの少し声音が下がってしまった。


「今日はありがとうございました。色々お話が聞けて楽しかったです」

「こちらこそ。今度はうちのレストランで待ってるからさ」


 連絡先も交換したし、今日で顔もバッチリ覚えたからと笑う秋人に、釣られて雪子も微笑を浮かべた。

 年齢イコール彼氏がいない歴に加え異性の友人すらいない雪子だったが、秋人の春の日差しのような柔らかな雰囲気のおかげで、ちょっぴり緊張はしたものの、思いがけず楽しい時間が過ごせた。

 名残惜しい気持ちがするけれど、ここで帰りたくないなんて少女漫画やメロドラマに出てきそうなセリフとは、あいにく縁がない。


「じゃあ、また今度……」

「うん、気をつけて帰ってね。変な人に声かけられないようにね」


 つい数時間ほど前の出来事を思い出し、2人は顔を合わせてクスクスと笑う。

 雪子は改札前でもう一度丁寧に頭を下げてから、ICカードを取り出し改札を通り抜ける。

 まだ、秋人はあの場に立って自分を見送ってくれているだろうか。それとも、もうさっさと帰ってしまっただろうか。

 期待半分に振り返ってみる。

 しかし、先ほどまで立っていた場所に秋人の姿はなく、友人らしき集団が駅の電子掲示板で電車の時刻を確認していたり、家族連れがどこへ行くか相談していたり、恋人たちがドリンクカップを片手に手を繋いで歩いていた。

 その中に秋人の姿は見当たらない。


(もう行ってしもうたかな……)


 そう思い、踵を帰そうとした瞬間。


「雪子ちゃん!」


 どこからか雪子を呼ぶ声がして、慌てて辺りを見渡すと、改札横にある柵に身を乗り出すようにして秋人が手を振っていた。


「そのまま待ってて!」


 そう叫んでどこかへ走り去っていったかと思うと、人の波間をかき分けて、切符を片手に雪子の元へ駆け寄ってきた。

 車で来たと話していたのにどういうことだろう。

 突拍子もない秋人の行動に疑問符を浮かべる雪子に、秋人は“入場券“と記された切符をひらひらとして見せる。


「乗り場まで送るよ」

「えっ! で、でも……すぐそこですし……!」

「うん、俺が雪子ちゃんと少しでも一緒にいたいだけだから」


 ――大人の男性って、すごい。

 友人たちが女子会で絶対に付き合うなら年上がいい言っていた意味が、ほんの少しわかった気がする。

 心臓が早鐘を打ち、雪子の心のカップは期待で溢れかえりそうなほどいっぱいになる。

 秋人は雪子が電車に乗って、姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。

 男性はずっと苦手だと思っていたのに、秋人は雪子の思うよりずっとずっと優しい人だった。

 胸の奥に芽生えた小さな蕾を優しく抱き止めながら、窓の向こうを見つめ続けていると、背後から雪子と歳の変わらない2人組の女子の会話が聞こえてきた。


「さっきの男の人、めちゃくちゃかっこよくなかった!?」

「ほんまそれな。声かければ良かったかなあ〜」

「でもあの女の人の彼氏さんとかじゃないん?」

「え……それはないやろ。顔面偏差値違いすぎるし。なんかこう、もっと目がくりっとしてて、ふわふわ〜ってしてる人が彼女なら諦めるけどさ〜」

「ってかさ、あたしほくろ取りたーい。美意識高い人たちってみんな取ってるやん?」

「ほくろって、顔面のゴミやからな」


 クスクスと笑われている気配に、それまで浮き足立っていた心に、勢いよく冷や水が浴びせられた。


『お前みたいな地味な女、誰も相手にしねーよ!』


 同時に忘れていた言葉が脳裏に蘇り、雪子は心臓をバクバクさせながら、車窓に映る自分の姿を見る。

 女性にしては高めの160センチもある身長に、切れ長気味の目、肌は白いとよく褒められたが左目の下にある泣きぼくろが目立つので雪子はあまり好きではなかった。

 秋人のような見目の良い人の隣に立って欲しいのは、同じような綺麗な顔立ちの人であって欲しいという彼女たちの気持ちは理解できる。

 そして、雪子自身にそのレベルの容姿がないことも充分にわかっていた。


(一瞬でも浮かれた自分が恥ずかしい……)


 心の奥底で芽生えたはずの蕾が、力無く萎れていくのを雪子は切なげに見下ろしていた。


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