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Prologue.-春を呼ぶグラタン- ①

 春麗しい桜の季節。

 澄み切った青空に向かって伸びる京都のシンボルの1つ、京都タワー。

 その眼前に立っている京都駅のターミナルには、京都の桜を一目見ようと国内外からやってきた観光客でごった返していた。

 最近巷で騒がれているインバウンド需要の功罪が如実に現れている京都。

 八坂神社や清水寺のエリアはもちろんだが、この京都駅も新幹線が停まる大きなターミナル駅であるため、人の往来が激しい。

 あちこちから聞こえてくる様々な言語の話し声、キャリーケースを転がす無機質な音、電車の出発を繰り返し告げるアナウンス――京都でありながら、古都の静寂とはかけはなれた喧騒が京都の玄関口を支配していた。

 そんな京都駅の改札口の外で、卯ノ宮雪子(うのみや ゆきこ)は1人スマートフォンの画面と睨めっこをしながら立っていた。


(いくらお見合いやからゆうても、もっとカジュアルな方がよかったやろか)


 京都に生まれ育って24年。

 子供の頃から子守唄のように聞いてきた京言葉で1人心の中でぼやきながら、スマートフォンを鏡代わりにして、身だしなみの最終チェックを行う。

 一度も染髪のしたことのない濡鴉色の髪をキュッとまとめた、春の季節に合わせた桜のかんざし。

 選んだ着物は桜霞色の落ち着いた印象の生地で、裾の方に少しだけ花の刺繍が施された、よそ行きの訪問着。帯は萌葱色で締め、桜餅のような春にぴったりの可憐な装い。

 女子校育ちな上に、今の職場も女性ばかりでとんと異性との縁がなかった雪子には、お見合いに来ていけるような衣服が和装しかなかったのである。


(おばあちゃんの遺言やけど、断った方がよかったやろか)


 今ではだいぶ記憶も薄れたが、幼少期に雪子の両親は後継である兄にばかり世話を焼き、女の自分は碌な食事さえ摂らせずとことん放置されていたのだという。

 目も当てられないほど酷い状態だった祖母が両親に代わって、雪子を短大に出してくれるまで育ててくれた。

 そんな祖母が1人で仕切っていた小料理屋で突然倒れて救急搬送されたのが1年ほど前のこと。

 検査の結果、余命半年と診断され、数ヶ月前この世を去ってしまった。

 料理を作ってお客さんを喜ばすことが生き甲斐だった祖母が亡くなったあと、弁護士が預かっていたという雪子宛の遺言書があった。


『おばあちゃんの幼馴染だった人と、この間病院で再会しました。久しぶりに話していたら、その人にもお孫さんがいるらしいので、ぜひ会ってみてください。きっと雪子の力になってくれると思います』


 “おばあちゃんの最後のお願い“と、その幼馴染だという老人のメールアドレスが記載してあった。

 その老人とは何度かメールを交わし、祖母の喪が明けてからでいいのでぜひお見合いを、と打診されたのである。

 きっと祖母も実親と縁の切れた状態である雪子を置いていくのが不安だったのだろう。

 老人からも無理にとはいわないので、一度でいいから会ってみてほしい。とお願いされたら、男性は少し苦手で、という浅い理由で断ることなどできず今日に至る。


(それにしても、いったいどんな人が来るんやろ)


 スマホの画面に映し出された一枚の画像。

 老人からお見合い相手だという写真が送られてきたものの、よりにもよってどこかのレストランで撮ったらしい集合写真。

 ざっと数えて二十人以上が写っている上に、画像が粗くて誰が誰だか分からない。

 今さら別の写真をお願いするのには気が引けてしまい、相手の人相が分からないままここへ来てしまった。

 目の前を行き来する忙しない人々の横顔をちらりと見つめる。

 せめて相手が自分の顔を認識してくれているといいけれど。と不安でいっぱいの胸を抑え、雪子はふうと緊張と不安の混ざったため息をついた。


「Hi. Excuse me,could you tell me the way to Yasakazinzya?」


 英語で話しかけられたことに驚いて、そちらの方を振り返ってみる。

 そこにはラテン系の風貌をした男性がニコニコと笑いながら雪子を見下ろしていた。

 雪子には英語はさっぱりだが、八坂神社という単語は聞き取れたので、恐らくそこへ行く道を尋ねられているのだろう。

 特にここ数年は京都にいると、道を尋ねられることはしばしばあったので、大方の予想がついたのだ。


「えっと……キョート・地下鉄・トレインでゴートゥー祇園四条ステーション……OK?」

「……?」


 やっぱりダメか。

 拙い英語でなんとか説明しようとしてみるが、微塵も伝わらなかったようである。

 だがしかし、ここで放り出すのは忍びない。

 そう思った雪子は手にあったスマートフォンの翻訳機能を駆使し、『京都市営地下鉄で祇園四条まで行ってください』と表示して、外国人の男に画面を見せた。

 すると相手の男性はオーケーオーケーと納得した素振りを見せる。

 これでもう大丈夫だろうと安心していたのも束の間、何を思ったのか急に男性に手を握られて雪子は弾かれたように顔を上げた。


「Thank you,lady.If you don’t mind,would you like to join me?(お嬢さん、助かったよ。良かったら、このまま僕と一緒に行かないかい?)」

「えっと……?」


 いよいよさっぱり何を言っているのか分からず、困った雪子は眉を八の字にしつつ曖昧な笑みを口元に浮かべる。

 すると相手は文化からの違いか、その笑みをYESと捉えてしまったらしい。

 ぐっと雪子の手を握って、そのままズカズカとどこかへ歩き出そうとする男性に、雪子はサッと頭から血の気が引いた。

 まずい。なんとかして手を離してもらわないと、と突然の男性の振る舞いに焦った雪子は「ノー!」と声をあげる。


「Oh,Don’t be so shy.I’ll definitely make sure you have a good time!(ああ、恥ずかしがらなくっても大丈夫だよ、絶対に君を楽しませてみせるから!)」


 なんだか話がややこしくなっているような気がして、雪子は違う違うとひたすらに首を横に振った。

 片手が塞がれたままスマートフォンを取り出す。なんていう器用なことはできないうえ、英語は聞き取ることも話すことだってできない。

 今まで道を尋ねられたことはあっても、こんなトラブルにまで巻き込まれた経験はなかった。

 すると雪子が怖がっている様子を感じ取った男性が、徐々に語気を強めて早口で雪子を捲し立ててくる。


「What? Are you going to reject me?(この僕を拒否する気か?)」

「I came here looking forward to it because I heard Japanese women are easy……(日本人女性は尻が軽いっていうから楽しみに来たってのに……)」


 男性の激しくなる剣幕に完全に気圧されて、雪子は二の句をつげなくなる。手足の先から急速に冷えていき、無意識のうちに呼吸が浅くなっていく。

 激しく自分を罵る声、蔑むような視線に過去の記憶が重なっていく。

 ――そうだった、確か父が自分を殴るときがこんな感じだったような――。


「Stop」


 外国人の男性と雪子の間にするりと割って入るようにして、見知らぬ男性が現れた。

 見知らぬ男性は雪子を背中で守るようにして立っているので、顔は見えない。だが雰囲気からして、日本人のようだった。


「She’s my significant other. Could you please stop?」


 サラサラと流暢な英語でそう言うと、外国人の男性は驚いた表情をして雪子の手を離したかと思うと「Sorry,Sorry」と手をヒラヒラさせて去っていった。

 一体どんな魔法の言葉を使ったのだろう。

 突然の出来事の連続に雪子がポカンとしていると、助けに入ってくれた男性がこちらを振り返った。


「困っているように見えたので、割り込んじゃったんですけど大丈夫でしたか?」


 落ち着きのある低めの声は先ほどまで流れるような英語ではなく、関西弁訛りを薄らと感じる日本語を紡いでいた。


「ええ、大丈夫です。助けていただいて、ありがとうございます」


 戸惑いながらも雪子はぺこりと頭を下げる。

 それから再び顔をあげて、男性と目が合うも反射的に目を逸らしてしまった。

 助けてもらった身で失礼な態度だとは思うものの、モデルのような整った顔立ちをしていたので、咄嗟に目を逸らしてしまった。

 この男性は日本人であったが、異国の人に負けず劣らず手足の長いスラリとした長身で、160センチある雪子でも視線を上げなれば目線が合わない。

 少し失礼な真似をしてしまった雪子を咎めるようなことはせず、丁寧な口調で声をかけた。


「あと、もし間違いだったら申し訳ないんですけど、卯ノ宮雪子さんじゃないですか?」

「え? ええ……そうですけど……?」


 どうしてこの美男子が自分の名前を知っているのだろう?

 状況を把握できず小首を傾げる雪子とは正反対に、男性は良かったあと呟きながら、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


 「初めまして、五乙女秋人(さおとめ あきひと)って言います」


 その名前を聞いて、雪子もあっと声を上げた。

 同姓同名の別人でなければ、その名を持つ人が、祖母の勧めからお見合いすることになった男性の名前であった。


 桜舞う青空の下、ほんのり甘い花の香りがそよ風に乗って運ばれてきたのだった。


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