第8話:「お前は本当に、この娘と共に歩む覚悟があるのか?」
応接室のドアが開くと、重厚な空気が二人を迎え入れた。エリーゼの父アルフレッド・フォン・ローゼンクランツ伯爵と母ヘレナ・フォン・ローゼンクランツ夫人が、厳かな表情で座っている。部屋の隅には、セレーネが控えめに立っていた。
「エリーゼ」
アルフレッド伯爵の声は、氷のように冷たかった。
「父様、母様」
エリーゼは背筋を伸ばし、毅然とした態度で応えた。その手は、まだマリアンヌの手をしっかりと握っていた。
「これはどういうことだ?」
アルフレッド伯爵の視線が、二人の繋がれた手に向けられる。
「説明します」
エリーゼは深呼吸をして、言葉を紡ぎ始めた。
「父様、母様。この方は、マリアンヌ・ラヴェンダー。私の……恋人です」
その言葉に、部屋の空気が一瞬凍りついたように感じた。
「な、何を言っているの、エリーゼ!」
ヘレナ夫人が、驚きの声を上げる。
「冗談はよしなさい。お前には、既に政略結婚の話が……」
「それは断ります」
エリーゼの言葉に、両親の表情が硬くなる。
「エリーゼ、よく考えなさい」
アルフレッド伯爵が、諭すような口調で言う。
「フォン・ローゼンクランツ家の娘として、お前には果たすべき義務がある。個人の感情で、家の未来を左右するようなことは許されん」
「でも、父様」
エリーゼが反論しようとした時、マリアンヌが一歩前に出た。
「あの、失礼いたします」
マリアンヌの声は、小さいながらも芯が通っていた。
「私は確かに平民の娘です。エリーゼさまのような高貴な方とは釣り合わないかもしれません。でも……」
マリアンヌは、まっすぐにアルフレッド伯爵とヘレナ夫人を見つめた。
「私とエリーゼさまの魔法は、互いを高め合うんです。それは、単なる個人の感情ではありません。私たちは、共に魔法界に貢献できる力を持っているんです」
マリアンヌの言葉に、両親は言葉を失ったように黙り込んだ。
「本当です」
エリーゼが、マリアンヌの言葉を引き継いだ。
「父様、母様。私たちの魔法をご覧ください」
エリーゼとマリアンヌは、手を取り合って魔法を繰り出した。氷のような透明な魔法と、柔らかく揺らめく魔法が、美しく融合していく。
その光景に、アルフレッド伯爵とヘレナ夫人の目が見開かれた。
「これは……」
アルフレッド伯爵が、驚きの声を漏らす。
「まさか、伝説の"魂の共鳴"……?」
ヘレナ夫人が、小さくつぶやいた。
「セレーネ」
アルフレッド伯爵が、突然セレーネを呼んだ。
「は、はい」
セレーネが緊張した面持ちで前に出る。
「お前は、エリーゼの様子をずっと見てきたな。正直に答えよ。エリーゼは、この娘と一緒にいる時、どんな表情をしているんだ?」
セレーネは一瞬戸惑ったが、すぐに決意を固めたように答えた。
「エリーゼ様は……輝いています。マリアンヌ様と一緒にいる時、エリーゼ様は本当に幸せそうで……私は、そんなエリーゼ様を見たことがありません」
セレーネの言葉に、両親の表情が柔らかくなる。
「エリーゼ」
アルフレッド伯爵が、深いため息をついた。
「お前は本当に、この娘と共に歩む覚悟があるのか?」
「はい、父様」
エリーゼは、迷いのない眼差しで答えた。
「マリアンヌは私の魂の伴侶です。彼女と共に、フォン・ローゼンクランツ家の名を輝かせ、魔法界に貢献していきます」
その言葉に、アルフレッド伯爵とヘレナ夫人は長い沈黙を守った。やがて、アルフレッド伯爵がゆっくりと立ち上がる。
「わかった。お前たちの決意は理解した」
「父様……」
「しかし」
アルフレッド伯爵は、厳しい眼差しでマリアンヌを見た。
「マリアンヌ・ラヴェンダー。お前にはフォン・ローゼンクランツ家の娘として恥じぬ教養と品格を身につけてもらう。それが条件だ」
「はい!」
マリアンヌは、力強く頷いた。
「必ず、ご期待に添えるよう努力いたします」
ヘレナ夫人も立ち上がり、二人に近づいた。
「エリーゼ、マリアンヌ。あなたたちの前には、まだまだ多くの試練が待っているでしょう。でも、今日見せてくれた魔法のように、二人で乗り越えていってください」
その言葉に、エリーゼとマリアンヌの目に涙が浮かんだ。
「母様……ありがとうございます」
エリーゼが、両親に深々と頭を下げる。マリアンヌも、それに倣った。
「これからも、精進してまいります」
アルフレッド伯爵は、最後にもう一度二人を見つめた。
「お前たちの未来を、見守っていよう」
その言葉と共に、重苦しかった空気が少しずつ和らいでいった。セレーネは、安堵の表情を浮かべながら、静かに部屋を出ていった。
応接室を後にしたエリーゼとマリアンヌは、廊下で深いため息をついた。
「終わったね……」
マリアンヌが、小さくつぶやく。
「ええ。でも、これが新しい始まりよ」
エリーゼは、マリアンヌの手を強く握った。
「私たちの魔法が、きっと道を切り開いてくれる」
二人は互いを見つめ、小さく微笑み合った。窓の外では、夕陽が二人の姿を優しく照らしていた。これからの道のりは決して平坦ではないだろう。しかし、二人の心は既に固く結ばれていた。その絆が、どんな困難も乗り越えていく力を持っていることを、エリーゼとマリアンヌは信じていた。
◆
夕暮れ時、エリーゼとマリアンヌは学院の屋上にいた。二人は手を繋ぎ、沈みゆく夕日を見つめている。
「大丈夫ですか、エリーゼさん?」
マリアンヌの問いかけに、エリーゼは小さく頷いた。
「ええ、なんとか……。父様と母様は、まだ本心からは納得していないと思うけど、少なくとも聞く耳は持ってくれたわ。それは私にとってとても大事なことよ」
「よかった……」
マリアンヌの声には、安堵と共に、まだ残る不安が混じっていた。エリーゼはそっとマリアンヌの頬に手を添える。
「心配しないで。私たちの魔法が、きっと道を切り開いてくれるわ」
エリーゼの言葉に、マリアンヌの目に涙が浮かぶ。
「エリーゼさん……」
二人の唇が、そっと重なる。夕日に照らされた二人の姿が、一つの影となって屋上に映し出されていた。
その日の夜、エリーゼは自室で日記を書いていた。
『今日、私たちの関係が周りに知られた。様々な困難が待っているけれど、マリアンヌと一緒なら、きっと乗り越えられる。私たちの魔法は、二人でこそ輝く。そして、私たちの愛も同じように……』
エリーゼは、ペンを置いて窓の外を見た。満月が、彼女の決意を見守るように輝いていた。
一方、マリアンヌも自室で、小さな魔法の光を手のひらに浮かべていた。その光は、エリーゼの魔法の色を帯びている。
「エリーゼさん、私たち、きっと大丈夫、大丈夫よ……」
マリアンヌの囁きが、静かな夜の空気に溶けていった。
王立魔法学院の夜は更けていく。エリーゼとマリアンヌの前には、まだ多くの試練が待っているだろう。しかし、二人の心は既に一つになっていた。その絆が、どんな困難も乗り越えていく力を持っていることを、二人は信じていた。
そして、彼女たちの愛の物語は、まだ始まったばかりだった。