第3話:「私たちは、互いの光なのかもしれない」
王立魔法学院の中庭に、興奮と緊張が入り混じった空気が漂っていた。今日から始まる魔法大会の予選に、生徒たちの心は高鳴っている。
エリーゼは、完璧に整えられた制服に身を包み、凛とした姿勢で立っていた。しかし、その瞳の奥には、わずかな不安の色が宿っている。
「フォン・ローゼンクランツ家の名に恥じぬよう、必ず勝たなければ」
そう自分に言い聞かせながら、エリーゼは周囲を見渡した。そして、ふと目が止まる。
マリアンヌだった。
彼女は少し離れた場所で、緊張した面持ちで立っている。エリーゼは思わずその姿に見入ってしまう。マリアンヌの周りには、何か不思議な空気が漂っているように見えた。
「エリーゼ様」
セレーネの声に、エリーゼは我に返る。
「ああ、ごめんなさい。少し考え事をしていたの」
「大会が始まります。どうかお気をつけて」
セレーネの言葉に頷き、エリーゼは決意を新たにする。
大会の開始が告げられ、生徒たちは各々の持ち場に散っていく。エリーゼとマリアンヌは、運命のいたずらか、隣り合ったブースに配置された。
最初の課題は、「光の彫刻」の制作だった。与えられた時間内に、魔法で光を操り、美しい彫刻を作り上げなければならない。
エリーゼは躊躇なく魔法を繰り出す。彼女の手から放たれた光は、精緻な幾何学模様を描きながら空中で結晶化していく。それは、まるで氷の城のようだった。技術的には申し分ない。しかし、どこか冷たさを感じさせる作品だった。
一方、マリアンヌの魔法は、全く異質なものだった。
彼女の手から放たれた光は、まるで生き物のように蠢きながら形を変えていく。それは花のようであり、鳥のようでもあり、そして人の顔のようにも見えた。形を特定できないその彫刻は、しかし強烈な生命力を感じさせるものだった。
エリーゼは、自分の作品を完成させながらも、目の端でマリアンヌの魔法を観察していた。
「あの子の魔法は……なんて不思議なの」
エリーゼの胸に、驚きと共に何か温かいものが広がる。それは、尊敬の念だった。
審査が始まる。審査員たちは、一つ一つの作品を丁寧に見て回る。エリーゼの作品に来たとき、彼らは感嘆の声を上げた。
「素晴らしい技術です、フォン・ローゼンクランツさん」
エリーゼは礼儀正しく頭を下げる。しかし、彼女の心の中では、別の感情が渦巻いていた。
そして、審査員たちがマリアンヌの作品の前で立ち止まった。
「これは……驚異的だ」
「こんな魔法は見たことがない」
審査員たちは、マリアンヌの作品の前に立ち尽くしていた。彼らの目は、文字通り魔法にかけられたかのように、その不思議な光の彫刻から離れない。やがて、彼らの間で興奮した議論が始まった。
「これは……前代未聞の魔法技術ですね」
白髪の老審査員が、眼鏡の奥の目を輝かせながら言った。
「確かに! 従来の魔法理論では説明できない現象です」
若い女性審査員が、熱を帯びた声で応じる。
「しかし、果たしてこれを『彫刻』と呼べるのでしょうか?」
中年の男性審査員が、眉をひそめながら疑問を投げかけた。
「いや、むしろこれこそが真の彫刻というべきではないでしょうか」
別の審査員が反論する。
「形を固定せず、常に変化し続けるこの作品。まるで生命そのものを表現しているかのようです」
議論は白熱し、審査員たちの声は徐々に大きくなっていった。彼らの興奮は、周囲の観客たちにも伝染し、小さなざわめきが会場全体に広がっていく。
一方、マリアンヌは作品の横で、恥ずかしそうに頬を染めていた。彼女の細い指が、ドレスの裾を無意識に握りしめている。瞳は、うつむいた視線の先で小刻みに揺れ、長いまつ毛が時折震えるのが見て取れた。
「私の魔法が……こんなに注目されるなんて」
マリアンヌは小さく呟いた。彼女の頬は、夕焼けのように赤く染まり、その色は徐々に耳まで広がっていく。
突然、誰かが彼女の肩に手を置いた。驚いて顔を上げると、そこにはエリーゼが立っていた。
「マリアンヌ、素晴らしいわ」
エリーゼの目には、誇らしさと喜びが満ちていた。
「エリーゼさん……」
マリアンヌは、うれし恥ずかしそうに微笑んだ。その表情には、照れと嬉しさ、そして少しばかりの戸惑いが混ざっていた。
審査員たちの議論は、さらに熱を帯びていく。彼らの声が大きくなるにつれ、マリアンヌの頬の紅潮も深まっていった。彼女の姿は、まるで彼女自身の魔法のように、恥じらいと才能が融合した美しい光景を作り出していた。
エリーゼは、そんなマリアンヌの姿を優しく見守りながら、小さくつぶやいた。
「あなたの魔法は、本当に特別なのよ」
その言葉に、マリアンヌはさらに深く頬を染めた。しかし、その瞳には、小さな自信の光が宿り始めていた。
結果発表の時が来た。
「予選通過者を発表します」
オーロラ教授の声が、中庭に響き渡る。名前が呼ばれるたびに、歓声が上がる。
「エリーゼ・フォン・ローゼンクランツ」
エリーゼの名前が呼ばれる。彼女は静かに頷いた。そして――
「マリアンヌ・ラヴェンダー」
マリアンヌの名前が呼ばれたとき、エリーゼは思わず彼女の方を見た。マリアンヌは驚きと喜びで顔を輝かせている。その姿を見て、エリーゼの胸に温かいものが広がった。
予選が終わり、生徒たちが三々五々去っていく中、エリーゼはマリアンヌに近づいた。
「おめでとう」
エリーゼの言葉に、マリアンヌは驚いたような顔をした。
「エリーゼさんこそ、おめでとうございます。あなたの作品は本当に素晴らしかった」
「あなたこそよ。あんな魔法、見たことがなかった」
二人は互いを見つめ、小さく微笑み合う。そこに、言葉にできない何かが流れた。
「私たちは、互いの光なのかもしれない」
マリアンヌがふと呟いた言葉に、エリーゼは軽く目を見開いた。
「どういう意味?」
「エリーゼさんの完璧な技術が、私の曖昧な魔法を形にする光。そして、私の自由な発想が、エリーゼさんの厳格な魔法に命を吹き込む光。そんな風に思えて」
マリアンヌの言葉に、エリーゼは言葉を失った。それは、彼女の心の奥深くで感じていたものを、明確に言語化したものだった。
「そうね。そうかもしれない」
エリーゼは小さく頷いた。その瞬間、二人の間に新たな絆が生まれたように感じた。
しかし、その時だった。
「エリーゼ様」
セレーネの声が、二人の間に割って入る。エリーゼは我に返ったように、マリアンヌから距離を取った。
「ごめんなさい。行かないと」
そう言って去っていくエリーゼを、マリアンヌは静かに見送った。
その日の夜、エリーゼは自室の窓辺に立ち、夜空を見上げていた。星々が、まるでマリアンヌの魔法のように輝いている。
「互いの光……か」
エリーゼは小さく呟いた。その言葉には、不安と期待が入り混じっていた。これから先、二人の関係はどうなっていくのか。それは誰にもわからない。
しかし、確かなことが一つあった。二人の魂は、もう離れられないほどに引き寄せられ始めているということ。
王立魔法学院の夜は更けていく。星々の瞬きの中に、エリーゼとマリアンヌの未来が、静かに、しかし確実に刻まれていくのだった。