第2話:「あなたの中に、私の答えがある気がする」
王立魔法学院の図書館は、魔法の歴史と知識が凝縮された静謐な空間だった。夕暮れ時、黄金色の光が高窓から差し込み、無数の本の背表紙を優しく照らしている。
エリーゼは一人、山積みの本に囲まれて必死に勉強していた。彼女の瞳には疲労の色が濃く見えたが、それでも諦めることなく次々と魔法書のページをめくっていく。
「これでも、まだ足りない……」
彼女は呟きながら、新たな本を手に取った。エリーゼの脳裏には、常に家族の期待が重くのしかかっている。フォン・ローゼンクランツ家の娘として、絶対に恥をかくわけにはいかない。その重圧が、彼女を休む間もなく勉強へと駆り立てていた。
そんなエリーゼの姿を、図書館の入り口から見つめる者がいた。マリアンヌだ。彼女はしばらくためらっていたが、やがて小さな決意を固めると、エリーゼの座る机に近づいていった。
「あの、エリーゼさん……」
おずおずと声をかけるマリアンヌに、エリーゼは一瞬驚いたような表情を見せた。しかし、すぐに冷たい仮面を被る。
「何かしら?」
「一緒に勉強してもいいですか?」
マリアンヌの声には、わずかな震えがあった。エリーゼは一瞬考え込むような素振りを見せたが、やがて小さく頷いた。
「構わないわ。ただし、邪魔をしないでね」
その言葉に、マリアンヌの顔が明るくなる。彼女は静かにエリーゼの向かいの席に座り、自分の本を広げ始めた。
時間が過ぎていく。二人は互いに言葉を交わすことなく、それぞれの勉強に没頭していた。しかし、時折、二人の視線がこっそりと交差する。そのたびに、二人の心の中に奇妙な温かさが広がっていった。
やがて、マリアンヌが小さなため息をつく。
「どうしたの?」
思わずエリーゼが声をかける。マリアンヌは少し驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「この呪文の意味がよくわからなくて……」
マリアンヌが指さす本を覗き込むと、エリーゼは思わず目を見開いた。
「これは上級魔法よ。あなた、どうしてこんな難しいものを?」
「私の魔法は……普通じゃないみたいなんです。だから、もっと複雑な理論を学ばないと、自分の力をコントロールできないんじゃないかって」
マリアンヌの言葉に、エリーゼは複雑な表情を浮かべた。確かに、マリアンヌの魔法は型破りだ。しかし、それは同時に大きな可能性を秘めているということでもある。
「……教えてあげましょうか?」
エリーゼの言葉に、マリアンヌの顔が輝いた。
「本当ですか? ありがとうございます!」
こうして、二人の勉強会が始まった。エリーゼは的確に理論を説明し、マリアンヌはその説明を独自の視点で解釈していく。時には激しい議論になることもあったが、そのたびに二人の理解は深まっていった。
気がつけば、外はすっかり暗くなっていた。
「もう、こんな時間……」
エリーゼが呟く。マリアンヌも慌てて立ち上がる。
「エリーゼさん、今日はありがとうございました。とても勉強になりました」
マリアンヌの笑顔に、エリーゼは思わず目を逸らした。
「別に、大したことじゃないわ」
そう言いながらも、エリーゼの口元には小さな笑みが浮かんでいた。
しかし、その瞬間だった。
「エリーゼ様」
冷たい声が二人の間に割って入る。振り向くと、そこにはエリーゼの侍女、セレーネが立っていた。
「お待たせいたしました。お迎えに参りました」
セレーネの目には、マリアンヌを見下すような冷たい光が宿っている。エリーゼは一瞬たじろいだが、すぐに貴族の仮面を被り直した。
「ええ、わかったわ」
エリーゼはマリアンヌに背を向け、セレーネと共に図書館を後にする。その背中を見送りながら、マリアンヌの胸に寂しさが広がった。
しかし、図書館を出たところで、エリーゼは立ち止まった。
「セレーネ、少し待って」
エリーゼは慌てて小さな紙切れに何かを書き付け、それを図書館に戻って置いていく。
しばらくして、マリアンヌがその紙切れを見つけた。そこには、エリーゼの几帳面な文字でこう書かれていた。
『明日も、同じ時間に』
その言葉に、マリアンヌの胸が高鳴る。
「エリーゼさん……」
マリアンヌは紙切れを大切そうに胸に抱きしめた。
その夜、寮に戻ったエリーゼは、窓辺に立って夜空を見上げていた。
「何をしているのかしら、私」
自問自答する彼女の瞳に、戸惑いと期待が交錯していた。マリアンヌとの時間は、確かに心地よかった。でも、それは許されることなのか。
一方、マリアンヌも自室で、今日のことを思い返していた。
「あなたの中に、私の答えがある気がする」
彼女は小さくつぶやいた。エリーゼとの出会いが、自分の人生を大きく変えていく。そんな予感が、マリアンヌの心を満たしていた。
二人の少女は、まだ自分たちの心の真実に気づいていない。しかし、確実に二人の魂は引き寄せられ始めていた。それは、やがて大きなうねりとなって、二人の運命を大きく揺り動かすことになる。
王立魔法学院の夜は更けていく。星々が瞬く空の下で、エリーゼとマリアンヌの物語は、静かに、しかし確実に進展していくのだった。