田舎から上京した令嬢、夜会で「太ってる」とからかわれ、“寄生虫ダイエット”にのめり込む
王都に到着した乗合馬車から若い娘が降りる。
エイミー・ルース、地方出身の男爵家の令嬢である。
亜麻色の髪を後ろで結わいてまとめ、ブラウンの瞳を持つ、素朴で可愛らしい娘だ。
エイミーは王都を見回すと、大きな声で独りごちる。
「王都は華やかだなぁ~、人もいっぱい!」
彼女からすればまさに異世界にでも来たような気分で、気後れしそうになる。
しかし、エイミーは気合を入れ直す。
「私を送り出してくれたお父様、お母様、みんなのためにも頑張らなきゃ!」
エイミーが王都にやってきたのはもちろん観光のためなどではない。
彼女には使命があった。
ルース家も領地を持つ貴族なのだが、この王国では伝統的に中央が優遇され、地方の運営にはあまり力を入れていなかった。
そのため、地方は寂れる一方。なので、エイミーの父は常々「王都で暮らす貴族とパイプを作り、地方を盛り立てたい」と願っていた。
そこで白羽の矢が立ったのは娘エイミーである。
エイミーを王都に上京させ、夜会に参加させ、中央の有力貴族と婚姻を結んでもらう。
そうすれば、地方の活性化に繋がる。
エイミーにも自信はあった。
領地では皆から愛され、可愛いと褒められ、地元のミス・コンテストでも優勝している。
きっと素晴らしい殿方と出会ってみせる、と心に誓っていた。
下宿先はすでに手配してあるので、エイミーは王都の街中を歩く。
市場があった。露店が立ち並び、賑やかな光景に、エイミーの顔は思わずほころぶ。
すると――
「この実、なんていうの?」
「アロッカの実さ。美味しいよ! おひとつどうだい?」
「じゃあ一つ頂こうかな」
焦げ茶色のジャケットを羽織った黒髪の青年が、買い物をしていた。
やや細めの眼に淡褐色の瞳を宿し、整った顔立ちをしており、服装は庶民的ながら雰囲気はやけに高貴だった。
アロッカは赤い皮に覆われたジューシィな果実で、おやつにしてもよし、料理に使ってもよしの万能フルーツである。
ただし――
「あれ……?」
いくら爪を立てても皮をむけない。
ならばと直接かじってみるが、アロッカの皮は固く、とても歯でかじれるものではない。
無理矢理かじったところで苦みを味わうだけだし、確実に歯を悪くする。
美味しいと言われて買ったが、どうやって食べればいいんだという状況になってしまった。
たまたま彼を見かけたエイミーが声をかける。
「それ、アロッカですよね?」
「あ、うん……」
「アロッカは食べ方にちょっとコツがあるんですよ」
エイミーはアロッカの実を受け取ると、実の中心部分、つまり芯の部分を地面にぶつけた。
すると、その部分の皮がペロンとめくれる。
「あとはこれを剥けば……」
皮は簡単にはがれ、アロッカのジューシィな果肉が露出する。
「はい、どうぞ!」
さっそく青年は一口食べる。甘く濃厚な味が口内に広がる。
「これは美味しい……!」
「ふふっ、でしょう?」
「それにしても、買ったのに実の食べ方も知らなかったなんてお恥ずかしい」
「いえいえ。そんなことありませんよ。私だってたまたま知ってただけですから」
エイミーの笑顔に青年は救われた思いになる。
「君はどうして知っていたの?」
「私がいた地方ではアロッカはそこら中になってて、しょっちゅう木から取っては食べてまして……って、私の方が恥ずかしいかも」
エイミーが赤面して、二人で笑い合う。
「じゃあ、私はこれで……」
エイミーが行こうとすると、青年が呼び止める。
「あ、そうだ。君の名前は?」
「私はエイミー・ルースです!」
「エイミーか。僕はレンドルフ・ソレイユって言うんだ」
お互いに自分の名を明かす。
「それにしても王都ってすごいですね。こんなに人が多くてビックリ!」
「ん? 君は王都には初めて来たのかい?」
「はい。私は地方出身でして」
「王都には観光で?」
「いえ、実は……」
エイミーは自分が王都に来た理由を説明する。
「そっか……。重い使命を背負って出てきたんだね」
「ええ。ですがきっと、父やみんなの期待に応えてみせます」
「僕も応援してるよ。君のような優しい女性なら、きっといい出会いができる」
「ありがとうございます、レンドルフさん!」
二人は別れる。
レンドルフはエイミーの背中を見つめ、つぶやく。
「エイミーか……また会いたいな」
一方のエイミーも足取りは軽い。
「いいことすると気持ちいいな~」
これから先、エイミーは王都の社交界に飛び込むわけだが、その前に人助けをしたことで、「きっと上手くいく」と心を強く持つことができた。
意気揚々と下宿先とするホテルを目指す。
「よーし、頑張るぞ!」
***
しかし、エイミーは自分の甘さをすぐさま思い知らされることとなる。
さっそく数日後にはある屋敷で行われた夜会に参加したエイミーだったが――
「みんな、なんて美しいの……」
口から思わずこぼれる。
夜会の参加者たちは皆、着ている衣装は華やかで、細かな所作にも品があり、優雅さを全身から放っている。
特に令嬢は、手足が細く、腰は砂時計のようにくびれ、自分とは違う生き物にさえ思えてしまう。
エイミーも自分なりに精一杯着飾っているのだが、明らかに野暮ったく、浮いてしまっている。
エイミーにとって不幸だったのは、都の貴族女性の間では、腰にコルセットを巻いて体のくびれを強調するファッションが流行していたことだ。
なのでエイミーと彼女らの間には見た目ほど体型や体重に差はなく、単にエイミーが流行を知らなかっただけなのだが、貴族としてはこうした流行に疎いこと自体が致命的である。
自信をなくし、誰に話しかけることもできず、会場を迷子の仔犬のように右往左往してしまう。
そんなエイミーに、一組の男女が近づいてくる。
「なんだぁ? ずいぶん野暮ったいのがいやがるな」
「本当ですわね。全く場にそぐわないわ」
伯爵家令息のディラン・リンゲと子爵家令嬢のスーザン・ラクス。
美男美女カップルといえる二人であるが、社交界ではそれ以上に“あること”で有名だった。
「また始まったな……」
「あの二人の“新顔潰し”が……」
「気の毒に……」
ディランとスーザンは夜会などで見慣れない出席者を見ると、絡み、心ない言葉を浴びせることで有名だった。
本人たちからすれば「煌びやかな場に相応しくない異物を排除」しているつもりなのだという。
「お前、名前は?」とディラン。
「私は……エイミー・ルースと申します」
「聞いたことない家ですわね。どこの田舎から出てきたの?」スーザンが鼻で笑う。
エイミーが出身地を答えると、二人は「あんな田舎からわざわざ」と大笑いした。
ディランは値踏みするようにエイミーの体つきを見つめる。
「……にしても、こんなに太ってる令嬢、初めて見るぞ」
「え……」
「本当ですわ。ぶくぶくと太って、まるで豚さんのよう」
「……!」
先述したように、エイミーは決して太っているわけではなく、今の流行を知らないだけである。加えてこの二人には明確な悪意がある。だが、そんなことは知らないエイミーは二人の“口撃”を受け、ただただ意気消沈するのみ。
これを見て気をよくした二人は「せいせいした」とばかりに立ち去っていった。
この日のエイミーはもはや社交どころではなくなってしまった。
***
散々なデビューから数日。
エイミーはやや暗い面持ちで、再び王都の市場を歩いていた。
「おーい、エイミー!」
エイミーが振り向くと、そこにはレンドルフがいた。
「あっ、レンドルフさん!」
先日の夜会で心に傷を負ったエイミーだったが、レンドルフの姿を見るといくらか癒された。
しばらく、店で何を買ったかなど、他愛のない雑談を楽しむ。
そして思い出したようにレンドルフが切り出す。
「ああ、そうそう。夜会はどうだった?」
「あ……」
夜会は酷いものだった。
場の雰囲気に呑まれ、他の出席者にからかわれ、まともな社交は何一つこなせなかった。
だが、エイミーは――
「とても楽しかったです! 皆さん、とてもいい人で……」
嘘をついた。
見栄もあっただろうが、せっかく知り合ったレンドルフに心配をかけるようなことを言いたくなかったというのも大きいだろう。
「……そうか、ならよかった」
レンドルフが少し残念そうな素振りをしたことに、エイミーは気づかない。
「それより、二人で何か食べませんか? お腹すいちゃって……」
辛いことを鮮明に思い出す前にエイミーは話題を切り替える。
「いいね。だったらあっちにワッフル屋があるから……」
二人で食べ歩きをする。
エイミーはレンドルフさんといると楽しいなぁ、と思う。
しかし、楽しい時間が続くほど気が重くなる。
夜会が開かれたらまた参加しなければならない。そしてそこから逃げることは許されていないのだから。
***
エイミーは逃げずに夜会に参加し続けた。
しかし、いい出会いなどあろうはずもなかった。
自信がない。自信がなくて会話ができない。さらに自信をなくす。という悪循環。
ディランとスーザンは完全にエイミーをターゲットにしたらしく、毎度のように絡んでくる。
「お前、また来てるのか。どうりで今夜は脂肪の臭いがすると思った」
「豚はとっとと豚小屋にでも帰ればぁ?」
いびり方もますますエスカレートしていく。
反撃もしてこず、しかも懲りずに姿を現す。彼らからすればこれほど叩きがいのあるサンドバッグはそうはあるまい。
エイミーは鏡を見るたび、自分の姿を呪うようになった。
「なんで私はこんなに太ってるのよ……!」
だが、それでもエイミーは諦めなかった。家族や故郷の民を思い出し、奮起する。
ダイエットを始めてみる。走ったり、食事を抜いてみたり、布団にくるまって汗をかいてみたり。
しかし、思うようにはいかない。なかなか体重は落ちない。
そのはずである。ただでさえ自己流のダイエット。しかも、元々彼女は理想的な体重といってよかったのだから。
だが、そんなことを知りもしない彼女は無茶な減量を繰り返してしまう。
***
そんな日々が続き、ある夜の夜会。
ディランとスーザンが近づいてきた。
また罵られるのだろうかとエイミーは身を強張らせる。
「そう怯えるなよ。今までは悪かった」
「……?」
いつになく優しい口調だった。エイミーも警戒を解く。
「少し痩せたじゃないか。おおかたダイエットに励んでるんだろう?」
「はい……。ですが、思ったようにはいかなくて……」
「やっぱりな。そこで、いいものを持ってきたんだ」
ディランが小瓶を取り出す。中には白い粒が入っていた。
「俺の祖父は寄生虫の研究をやっていてね。これはその卵だ」
「はぁ……」
エイミーには話が見えない。
「祖父が言うには、この卵を人間が飲むと、胃や腸に寄生虫が住み着くんだってさ。するとどうなると思う?」
「いえ……」
「なんと寄生虫がその人が食べたものの栄養とかを吸い取ってくれて、みるみる痩せることができるんだってさ」
卵を飲むだけで痩せられる。ダイエットに苦心しているエイミーからすれば夢のような話である。
「とりあえず、これあげるよ。これを飲めば、君は必ず素敵な女性になれる」
にこやかに微笑むディラン。
「エイミーが痩せたら、私としても嬉しいわ」
スーザンも今までに見せたことのない朗らかな笑顔を浮かべる。
エイミーも自然豊かな地域で育っている。寄生虫の恐ろしさは父から教えてもらったこともある。
だが、体力も気力も衰えた今のエイミーは、二人の悪魔が見せた天使のような優しさにコロッと騙されてしまう。
「ありがたくいただきます!」
エイミーは快く小瓶を受け取った。
二人きりになったディランとスーザンは――
「ディラン様ったら、一番重要なことを話さないんだから。あの寄生虫に寄生されたら『命に関わることもある』って……」
「あー、話すの忘れてた。“ついうっかり”ってやつだ」
「なら仕方ないですわね。だけどもし、あの女が本当に飲んで死んでしまったらどうしますの?」
「知るかよ。王都から田舎臭い女が一人消えるだけの話だ」
「それもそうですわね」
二人は肩をすくめ、高らかに笑い合った。
***
ディランから受け取った寄生虫の卵。
エイミーは悩んだが、痩せて綺麗になりたい、社交を成功させたいという思いには勝てず、飲み下してしまう。
「これで……痩せられればいいんだけど……」
三日後、エイミーは早くも効果を実感し始めた。
「分かる……体の中に何かが住み着いたのを感じるわ」
胃や腸でうごめくものがあり、どうにか食事をしても、まるで元気が出てこない。
寄生虫が栄養を奪い去っているからだ。
一週間経つと、容姿にも変化が訪れる。
血色は悪くなり、頬はこけ、目には隈ができている。
明らかに健康を損なっているのだが、エイミーは歓喜の笑みを浮かべる。
「すごい……私、痩せてる!」
これで憧れだった王都の令嬢たちに大きく近づけた。
ホテルの一室で鏡を凝視しながら、エイミーはひたすら笑い続けた。
***
曇り空のある日、エイミーは街をさまよっていた。
よれよれの衣服、瞳孔の開いた虚ろな笑顔で、足取りにはまるで力がない。その姿は亡者のようだといっても差し支えなかった。
誰もが割れる海のように彼女を避ける。
そんな中、彼女を見て目を丸くする者が一人。
「……エイミー!?」
「あ……レンドルフさん……。お久しぶり……」
エイミーがニコリとする。ほとんど唇は動いていないが。
「どうしたんだ、その体……ひどく痩せて」
「ああ、これですか? ダイエットが上手くいったんです」
「ダイエット……?」
「ええ、これでもう太ってるだの豚だのバカにされずに済みます……」
えへへと笑うエイミー。レンドルフはその肩を掴む。
「病院へ行こう!」
「え、どうしてですか……? 私はこんなに綺麗になったのに……」
「綺麗になんかなってない! 以前の君の方がずっと綺麗だった!」
「……」
エイミーは黙り込む。
そう、彼女とて最初から分かっていた。
自分はただ体を壊しているだけで、綺麗になどなっていないことに――
それでも、どうすることもできなかった。
「レンドルフ……さん……」
エイミーの目に涙がこみ上げる。
自分がやってしまったことへの後悔、レンドルフに会えた安堵、はっきりと「以前の君の方が綺麗」と言ってもらえた歓喜、さまざまなものが入り混じった涙だった。
「行こう。大丈夫、すぐ診てもらえるようにする」
「はい……」
レンドルフはエイミーをエスコートしつつ、まっすぐ病院を目指す。
エイミーはそんなレンドルフに寄りそうように、ただ黙ってついていった。
***
王都の大病院でエイミーは診察を受ける。
白衣を着た壮年の医者は眉をひそめた。
「危ないところでしたな……。もう少し治療が遅れれば、寄生虫が内臓に完全に定着してしまい手遅れになるところでした」
エイミーの容態はまさに危機一髪だった。
「しかし、薬を飲んで安静にすれば、じきに寄生虫は体内から排出されるでしょう。一週間は入院なさって下さい」
エイミーはそのまま個室に入院することになった。
一日、二日と経つとエイミーの体の具合もよくなり、レンドルフの見舞いにも無理なく応じられるようになった。
「食事の許可が出たそうだからアロッカの実を持ってきたよ。一緒に食べよう」
「ありがとう、レンドルフさん」
レンドルフはアロッカを丁寧にむいて、ナイフで切り分け、いくつかをエイミーに差し出した。
弱り切ったエイミーの体にはアロッカの栄養豊富な果肉が染み渡った。
「美味しい……」
「ハハ。少しはあの時の恩返しができたかな」
「恩返しだなんてそんな……。もう十分すぎるほど返してもらいました。こんないい部屋に入院までさせてもらって……それこそ返しきれるかどうか……」
「いや、気にしなくていいよ。それより……なんでこんなことになったのか教えてもらえるかな」
エイミーは少しためらう。自分の恥を晒す上、密告のような形になるからだ。しかし、自分にここまでしてくれたレンドルフに明かさないわけにはいかないだろうという考えに至った。
「寄生虫の卵を……なんてひどい奴らだ」
「私も悪かったんです。そんな楽なダイエット方法、あるわけがないと分かっていたのに」
「君に落ち度はないよ。夜会でそんな目にあわされたら、そこまで思い詰めてしまうのは当然のことだ」
レンドルフの顔がにわかに険しくなっていく。
「レンドルフさん……?」
「とにかく君はゆっくり体を治してくれ。今の調子ならすぐ退院できるとのことだし」
「ええ、そうします」
レンドルフは部屋を出ていった。
エイミーはレンドルフが持ってきてくれたアロッカを頬張りつつ、考える。
レンドルフの対処が少しでも遅れていたら、おそらく自分の命はなかった。
そして、こうした大病院は飛び込みで診察してもらうことは難しいはず。にもかかわらず、レンドルフはそれをあっさりやってのけた。
彼は一体何者なのだろう――
***
星が舞い散る夜。今宵も王都の大ホールで夜会が開催される。
多くの令息や令嬢が集まる中、あのディランとスーザンも仲良く酒を酌み交わしていた。
今夜はエイミーのように標的にすべき相手もなく、純粋に社交を楽しんでいる。
その中に、一人の男が入ってきた。
レンドルフだった。タキシードを着こなし、他の参加者を寄せ付けない気品を身にまとっている。
参加者が気づき始める。
「あれ……レンドルフ様じゃないか?」
「本当だ!」
「こうした社交は好まないと聞いていたんだがな……」
レンドルフはまっすぐにディランとスーザンの元に歩いていく。
目ざとい二人は、すぐさまご機嫌取りモードに入る。
「これはこれはレンドルフ様!」
「お会いできて光栄ですわ!」
「ディラン・リンゲとスーザン・ラクスだな?」
レンドルフに名前を知られていることに二人は喜ぶ。
「おっしゃる通りです。まさか公爵家のお方が私なんかの名をご存じだなんて……」
このまま揉み手でも始めかねない勢いのディラン。
それもそのはず、レンドルフは国内屈指の名門であるソレイユ家の次男。社交界に興味は薄く、庶民に扮して街を出歩く変わり者だが、将来を嘱望されている。気に入られることができれば、そのメリットは計り知れない。
レンドルフは穏やかに微笑むと、白く丸い粒の入った小瓶を二人に差し出した。
「お近づきの印に二人にはこれを飲んでもらえるかな」
「これは……?」
「まあ、いいから。私は仲良くなりたい人にこれを飲ませることにしているんだ」
断れるはずもなく、その理由もなかった。ディランもスーザンもなんの疑いも持たず“粒”を飲み込む。
「飲んだな?」
「ええ、今のはなんなのでしょう?」
「お前たちがある令嬢に飲ませたものと似たようなものだ」
「え……?」
「エイミー・ルース。この名を忘れたとは言わせないぞ」
なぜここであの娘の名前が出てくるんだと思いつつ、ディランは自分の所業を思い出す。
「あ……!」
「彼女は苦しんだが、どうにか一命は取り留めた。次はお前たちの番だ」
「ひっ……!」
ディランとスーザンは青ざめ、震え出す。
今飲んだ物を必死に吐き出そうとするが、上手くいかない。
「やだぁっ! 寄生虫なんていやだぁっ!」
「なんでこんなことになるのよぉ!」
必死の形相でえずきを繰り返す二人に、周囲は眉をひそめる。
二人を見かねたレンドルフは言った。
「さっき渡したのは、ただの小麦粉の塊だ。なんの危険もない」
「え……」
「だが、くれぐれも忘れるな。お前たちはこのレンドルフ・ソレイユを怒らせたということはな……」
レンドルフはそのまま会場を後にする。
ディランとスーザンは青ざめたまま、動くことができなかった。
***
本来の見立てだった一週間を待たずして、エイミーは無事退院することができた。
病院から出た二人は街を散歩する。風が気持ちいい午後だった。
やがてレンドルフが切り出した。
「君は地方の活性化のために、王都の貴族と太いパイプを作るべく、王都にやってきたと言っていたね」
「はい」
「その役目、僕に任せてくれないだろうか」
「……!」
エイミーもそれがどういう意味かをすぐに理解した。
「僕はこれでも公爵家の血筋だ。きっと役に立てるはずだ」
エイミーも自分が容易に入院できた件や、周囲のレンドルフへの態度から、すでに彼の正体には気づいていた。
「ありがとうございます。レンドルフ様」
レンドルフの好意を受け入れつつ、エイミーはもじもじする。
「どうした、エイミー?」
「でも、私は……家や領地のことだけでなく、心の底から本当にあなたのことが……」
レンドルフがそうだったように、エイミーもまた、彼にアロッカの食べ方を教えたその時に、すでに惚れていたのかもしれない。
ずいぶんと回り道をしたが、ようやく自分の気持ちに気づくことができた。
二人はそのまま抱きしめ合った。
***
一方、ディランとスーザンは焦っていた。
「レンドルフ様のあの怒りよう……あれはきっと寄生虫の卵だったんだ!」
「ええ、きっとそうよ! ハッタリとは思えない!」
あれほどの怒りをぶつけてきたレンドルフが、“無害な小麦粉”など飲ませるわけがない。恐怖という楔を打ち込まれ、二人は疑心暗鬼に陥っていた。
そして、とんでもない解決策を思いついてしまう。
「虫には虫をだ! 祖父の家にはもっと強力な寄生虫の卵がある! それを飲んで、体内で寄生虫同士を戦わせよう!」
「それしか方法はないわね……!」
無茶なダイエットに走ったエイミーのように、彼らは冷静な判断力を失っていた。
“目には目を”とばかりに、よりたちの悪い寄生虫の卵を飲んでしまい――
「うううっ……は、腹が! 裂けるようだぁ……!」
「痛い! 痛いわぁ!」
大いに苦しむことになる。
かろうじて命は拾ったものの、後遺症は免れず、レンドルフとの一件もあり社交界では腫れ物のような扱いをされるようになった。
以後、彼らが“新顔潰し”を行うことはなかったという。
***
エイミーの体調はすっかり全快した。
このタイミングで、レンドルフはエイミーの故郷に行きたいと申し出た。
婚約者としてエイミーの両親に挨拶をしたいのだという。
「本当によろしいんですか? 私の父と母をこちらに来させた方が……」
「いいんだ。君の故郷をぜひこの目で見たいしね」
「分かりました!」
レンドルフが用意した馬車に揺られ、二人はエイミーの故郷に向かう。
座席で仲睦まじく寄り添う二人。
「幸せになろう」
「はい……」
故郷のために王都に出てきたエイミーは、社交界に潜む悪意に晒され、寄生虫に蝕まれ、命を落としかねない事態となった。
だが、そんな境遇の中レンドルフに支えられ、彼と結ばれることができた。
そして今、愛しいレンドルフと共に、帰省中――
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。