その結婚、待ったぁ~!
結婚式の日は、晴天だった。
エメドラードは、密林と大河、そして急峻な山岳の国だ。式は、山を切り開いたその頂上で行われた。そこしか、来賓全員が収容できるスペースがなかったからだ。
王位継承権がないとはいえ、なにしろ俺は王族だからな。お相手のエルナも、王妃の妹だ。姉妹の実家は、有力な公爵家でもある。
弦楽隊が荘厳に国家を奏でる中、俺とエルナはしずしずと祭壇に向かう。牛刀が振り上げられ、生贄の首が、さっと切って落とされた。飛び散った血潮が、新婦に降りかかる。
「おお!」
人々の口から感嘆の声が漏れた。新郎新婦に生贄の血が降りかかれば、この結婚は幸福なものになるという。
「いやねえ。生臭いわ」
来賓に聞こえないよう、エルナが小声で囁く。彼女は顔を顰めていた。
「……」
別の意味で、俺も顔を引きつらせていた。あんなに大量に血が噴き出したにもかかわらず、俺には一滴も、掛からなかったのだ。俺の肌はあくまでも白く、婚礼衣装もまた、目に痛いほど真っ白なままだった。
「なんと。新郎に生贄の血が、一滴も掛からなかったとは。こんなに近くにいたというのに」
祭壇に控えていた尊師が眉を曇らせた。
「不吉な」
「うるせえ。なんか文句あっか」
俺は凄んだ。
人生の晴れの日だ。全く気にしていないといったら嘘になるけど、掛からなかったものは仕方がない。
幸いにも、来賓には何も聞こえていなかったようだ。あまりにも多くの客人がひしめいていて、俺に生贄の血が掛からなかったことがわからないらしい。
何食わぬ顔で俺は屈みこみ、手袋をつけた手を、生贄の血に浸した。真っ白だった手袋は、みるみる赤く染まった。
「よし。これで儀礼どおり。結果オーライだ。さあ、結婚式を続行だ。とっとと済ませちまおうぜ」
尊師が咳払いをした。
「汝、エルナ、傍らなるサハル=サハルを夫と認め、病める時も健やかなる時も共にあると誓うか」
「誓います。……多分」
エルナが言い、俺は頷いた。そうだ。人の人生なんてわからないものだ。そうそう簡単に生涯を誓ったりできるものか。
やはりエルナは素晴らしい。こんなに聡明な女性を射止めることができて良かった。
ため息をつき、尊師は俺に向き直った。
「では、貴方の番です、王弟殿下。殿下はご病気の時も健やかでいらっしゃる時も、傍らなる……」
「その結婚、待ったぁーーーっ!」
その時、周囲の密林を揺るがして、大音声が轟いた。
全く実用的でないひらひらとしたローブを羽織った若い男が、人々をかき分け、祭壇に向かって突き進んでくる。
「僕はこの結婚に反対です!」
「ジョルジュ王子……」
思わず口が、ぽかんと空いてしまった。
この青年は、ジョルジュ・オブ・インゲレ。隣国インゲレの第一王子、つまり、かのアマゾネス、ヴィットーリアの弟だ。
「僕は、サハル=カフラー殿下と、そこの女性との結婚に異議を呈します」
「まあ、生意気ね」
小さな声が聞こえた。傍らにいた花嫁の声だ。
「……え?」
なんだかいつもと雰囲気が違う。思わず問い返した。
「あら、私何も言ってなくてよ、サハル」
「そうだよね……」
俺も混乱していた。なぜ、ヴィットーリアの弟がここに? そしてどうして、俺の結婚に反対しているのだ?
「異議といったって……」
尊師が途方に暮れている。
この尊師は、幼いころからの俺の宗教教育の教授でもある。俺が無神論者になった元凶だ。
「ええと、この者は、殿下の御結婚に反対しています。お心当たりは、殿下?」
「ありません」
端的に俺は答えた。
「衛兵! こやつをつまみ出せ!」
一際声を高くして命じる。なにしろ、新婦に恰好いいところを見せなければならないからな。
わらわらと、警備の兵らが、ジョルジュを取り囲んだ。
「いくらあなたの為とは言え、神聖なる隣国の祭壇を血で汚すような真似はできません」
鞘も抜かずに、ジョルジュが剣を構えた。
「小癪な。生け捕れ!」
警備隊長が命じる。今頃命じたって、手遅れだ。大事なエルナとの結婚式に、よそ者が入り込んだ時点でこの警備隊長は死刑確定だというのに。
続く武闘は、警備隊長の罪を、一層重くした。剣を抜くことさえなく、ジョルジュは、警備隊の兵士全員を、殴り倒したからだ。
「この結婚に僕が反対することに、貴方は心当たりがないと言った。でも、僕には理由がある」
累々と倒れている兵士たちを背後に残し、ジョルジュが近づいてくる。
尊師と新婦は、とっくに逃げ出していた。来賓の殆ども、下山の途中だ。山を切り開いたてっぺんには、俺と隣国の王子しか残っていなかった。
「なぜ、僕に内緒で帰国してしまわれたんですか? 黙っていなくなってしまうなんて、僕がどんなに悲しかったか、貴方におわかりになりますか?」
「いや、まったくわからないけど」
経験がないのでわからないが、姉の婚約者がいなくなるって、そんなに辛いことなのか?
「ああ、その美しい目。ふっくらとした唇。そして、輝くばかりの白い肌。サハル殿下、貴方はちっとも変っていない」
「俺がインゲレを出てから、まだ1年しか経っていないぞ。そんなにすぐに変わったりするもんか」
「1年! なんて長い……そんなにも長いこと、僕は貴方に会えなかったんだ!」
ジョルジュが手を伸ばした。俺の頬に指を走らせる。
「美しい人。どんなに貴方に会いたかったか」
「俺はそれほどでもなかったぞ。姉さんは息災か?」
「姉のことはどうでもいいんです!」
芯から不快そうだった。
「そんなこと、言うなよ。実の姉だろ? 姉弟は仲良くしなくちゃ」
「貴方がそう言うなら……。そうですね。考えてみれば、姉には感謝しなくちゃいけませんね。彼女がいたからこそ、僕は貴方に会えた。敵国の王子であるあなたに!」
「いや、戦場で見かけてるぞ。君は岩の上にいたんで、俺の放った矢は、届かなかったんだ」
「違います。矢なら、確かに突き刺さりました」
「えっ!? 嘘だろ? どこに?」
俺はまじまじとジョルジュの全身を見渡した。敵の王子を射止めたなら、大手柄だ。しかし残念ながら、ジョルジュの奴、どこかしこぴんしゃんしていやがる。
戦場で、俺の矢に射止められたようには全く見えない。
「貴方の矢は僕の心臓を深々と貫き、僕は貴方の虜となったのです」
「俺は、君を捕虜にし損ねたはずだが」
それはどんなに苦い後悔だったろう。戦闘の後、駐屯地で俺は、戦隊長に当たり散らしたくらいだ。
「恋の天使の放った矢は、僕の胸に突き刺さり、僕はあなたへの恋の、囚われの身となってしまったのです」
「ジョルジュ……君、頭、大丈夫か? いつの間にそんなファンタジー脳になったんだ?」
「愛してます、サハル」
幻聴が聞こえた。だっていきなり、抱き寄せられたのだ。まともに音声認識なんか、できるわけがない。年下だが、ジョルジュの方が背が高い。生意気な奴だ。
背中に回した手に力が入る。もう一方の手を、ジョルジュは俺の顎の下に添えた。強引に顔を上向かせる。青い空はどこまでも青く、眩しさに俺は目を閉じた。
突然、太陽の光が遮られた。ジョルジュの顔が落ちてくる気配がする。