3.無銭飲食
首都ルクールは、英雄トーナメントの挑戦者たちで満ち溢れていた。
砂嵐に乗るようにしてやってきた彼らは、ふてぶてしい顔つきの、いかにも強そうな者ばかりだ。
「おいおい、この菓子が、3ギネニだって?」
屋台の店先で男が凄んでいる。
「9ギネニでございます。お客様は3個、お召し上がりになりましたから」
おずおずと店主が答えると、男はいきり立った。
「たかが食いもんに10ギネニも払えるものか!」
「9ギネニで結構でございます」
「結構とはなんだ。あと1ギネニで10だ。大金だろうが!」
「ですが、あの……」
困り切った店主の胸倉を男が掴んだ。
「俺はインゲレから来たんだ。今回の英雄大会での優勝者は俺だ。その俺様に、菓子の代金を払えだと?」
「ええと、どなた様にも公平にお支払い頂いておりますです」
「うるさい!」
男の右手が高く上がり、左手で首元を掴まれたままの店主は、思わず目をつぶった。集まったやじ馬たちも首を竦める。中には泣き出しそうな子どもの姿もあった。
「止めとけ」
勢いをつけるために振れた手を、後ろから誰かが掴んだ。
弾みで店主の胸倉をつかんでいた左手が外れた。勢いで倒れかけた店主を、やじ馬たちが支える。
「何をしやがる!」
叫んで男が振り返った。彼の後ろには、褐色の肌の青年が立っていた。
ホライヨンだ。彼は、英雄トーナメントに参加する為に、首都まで来ていた。
「無銭飲食はいけないよ」
涼しい顔でホライヨンが言う。
「なんだと? 俺は無銭飲食などしてない。10ギネニは高すぎると言っただけだ」
「だが、店主を怯えさせていたろう?」
言いながら、相手の手を後ろに引っ張る。
「そんなことはない」
外れそうな肩の痛みに耐えつつ、男は喚いた。
「そうかな」
体つきは男の方ががっしりしていたが、身長はホライヨンの方が高い。その彼に、後ろからしっかりホールドされ、男は身動きが取れない。
「なあ、みんな。俺は無銭飲食なんかしてないし、店主を虐めてもいないよな」
野次馬を見渡し、男は同意を求める。
「してないだろ? もし無銭飲食をしてたなんて嘘をついたら、後でどういう目に遭うか……」
凄む男のあまりの険悪さに、人々はしぶしぶ頷いた。
「みろ。みんな俺が正しいと言ってる」
ぎろりと男はホライヨンを睨み据えた。
「お前は俺を侮辱した。タダで済むと思うなよ」
「侮辱なんかしてないさ。気の毒な店主を助けただけだ」
「まだそんなことを言う。俺が正しいと多数決で決まっただろうが」
男の主張に、ホライヨンは鼻で笑った。
「決まってないよ。みんなは、君に脅されただけだ」
「そんなことはない!」
後ろに捻られた手首が、高く持ち上げられる。あまりの苦痛に男は呻いた。
「放せ!」
「店主に謝ってお金を払ったらね」
さらに手首が上に吊り上げられる。男の両脚が地面から持ち上がった。
「痛てて! 痛いっ!」
「代金は払わなければいけないよ」
「わかった。払う。払うから!」
手首と肩の痛みに耐えかねたようだ。
「よかった。話が通じて」
「はやく手を放せ!」
「おっと、これは失礼」
ぱっとホライヨンは自分の手を離した。急に自由になった男の体が、前へつんのめる。肩がぎりりと音を立て、締め付けられていた手首は、赤く変色していた。
「骨折はしてないはずだ。君も英雄トーナメントに出るそうだから、手加減してやった」
「くそっ、この馬鹿力が!」
手首をさすりながら、男が吐き捨てる。
「ごめんよ。インゲレ人だと聞いたから、つい力が入っちまった」
男は目を剥いたが、もう言い返さなかった。無言で懐を探り、取り出した金を、遠くで震えながら見ていた店主の足元に投げつけた。
「俺に恥を掻かせやがって。お前も大会に出るんだな。覚悟しとけよ」
言い捨てて、逃げるように去っていった。
ホライヨンは、腰が抜けた店主を抱え上げた。屋台の横に出されていた椅子に座らせてから、宿に帰ろうとした。
やじ馬たちはとっくに立ち去り、人の輪は、すでになくなっている。
向こうから、男が歩いてくるのが見えた。
「君は、インゲレ人が嫌いなのか?」
すれ違いざま、彼は、耳元で囁いた。
見たこともない人だった。人というより、人種である。白い肌に金色の髪、青い目。こんな妙ちくりんな人間は、始めて見た。
「誰だ、あんた」
思わず尋ねた。
「僕? 誰だっていいじゃないか。僕はインゲレ人だ」
「なるほど。インゲレ人っていうのは、不躾なやつが多いんだな」
「おいおいおい」
男は笑い出した。
「さっきのやつの件は謝るよ。あんなのは、インゲレ人の風上にも置けない。同国人として恥ずかしく思う」
「何もあんたが謝ることはない」
無愛想にホライヨンは応じた。警戒していたのだ。
「ところで、君は何で、インゲレ人が嫌いなんだ?」
「なんでって……」
改めてホライヨンは考えた。
「よく覚えていないが……。子どもの頃、好きな人を盗られそうになった気がする。インゲレ人に」
相手の目に青みが増した。
「なんだ。君、覚えていたのか」
「何を?」
ホライヨンはきょとんとした。
「好きな人を盗られそうになったんだろ?」
「それが、よくわからないんだ。僕はずっと母と二人暮らしで、身の回りに特別に好きな人なんていなかった。客が来たこともないから、盗るとか盗られるとか、ありえない。唯一可能性があるのは母さんだが……」
ホライヨンは首を横に振った。
「僕の母さんを盗んでいく命知らずがいるとは思えない。返り討ちに逢うだけだ」
「ほう」
男が相槌を打ち、ホライヨンは言い過ぎたと思った。
「ところで、あんた、誰?」
「インゲレ人だよ」
一言答えて、男は立ち去っていった。




