岩山
「なぜあいつらは、岩山の上を舞っているんだ?」
ホライヨンは首を傾げた。
「岩山の上?」
「ほら、母上、あそこです」
ホライヨンが指さす先は、遠く険しい山の頂上だった。
「あなた、あんなに遠くが見えるの?」
「ええ」
「ここから三日三晩はかかるところよ?」
「もちろんですとも、母上」
二人は今、前王派の力の強い南部地方にいた。決して裕福な暮らしではないが、民たちは前王の妻子を匿ってくれた。天候を読むことのできるタビサは、正確に気候の変化を予見して、村の農業に役立てている。
「私には何も見えない。あの山の上に何があるというの?」
「山頂ではありません。山の上空です。鷲が数羽、舞っています」
「鷲ですって!?」
タビサが素っ頓狂な声を上げた。
「私には何も見えないわ」
ホライヨンは微笑んだ。不意にその笑みを引っ込める。
「おかしいな」
「何が?」
「あの山は、水さえも湧かない岩場なのです。猛禽類の餌になる小動物なんかがいるわけがない」
タビサは肩を竦めただけだった。
「ちょっと様子を見てきます」
言い終わるなり、ホライヨンは折り畳んでいた羽を広げた。
あっけに取られている母を置き去りに、大空高く舞い上がる。
数日後、ホライヨンが帰ってきた。
「早かったわね。足の速い者で3日はかかるというのに」
「空を飛びましたので」
あっさりとホライヨンは答えた。
「それより、母上。お喜びください。山の頂に父上がおられました」
「なんですって!」
「岩の上に、御身体が横たわっておられたのです」
タビサの目が輝いた。
「岩山にあの人が……ダレイオがいたというのね?」
「はい」
「動いておられたかしら。ちゃんと生きていらしたのよね?」
「もちろんですとも。」
力強くホライヨンが頷いた。
緑の肌の人間が手を下さない限り、前王が死ぬことはない。彼を切り刻んだ王弟サハルは、白い肌の王だ。
「脚はちゃんとあったかしら? 中洲島でサハルは、盗んだ脚は体のあるところに転送したと言っていたけど」
「ございました。両脚とも確かに」
息子が請け合うと、タビサは深い安堵のため息をついた。
「よかった。でも、脚があるのになぜあの人は、私達を探しに来てくれないのかしら」
ホライヨンの表に影が走ったことに、タビサは気がつかなかった。
「まさか、エルナを探すことに忙しかったのかしら。エルナと、不義のあの息子、ルーワンを探していたとか!」
「母上。あれから14年が経ちました。もう父上を許して差し上げたらいかがです?」
あれからというのは、隣国の艦隊が攻め込み、それがきっかけとなってダレイオとエルナの不倫が明らかになった年のことだ。許嫁を兄に寝取られ、自分の子だとばかり思っていたルーワンがダレイオの子だと知ったサハルは狂気に囚われ、兄を切り倒し王都を破壊した。荒れ狂うサハルの手から逃れる為に、タビサはホライヨンを連れて、王宮から逃げ出した。
「そうね。今ではエルナもルーワンも行方不明だし」
母の妹のエルナは、ホライヨンには叔母に当たる。彼女の息子ルーワンは、従弟であると同時に、父を同じくする兄弟でもある。
「それにしても、岩山のてっぺんとは。蘇った死人たちを探していても見つからないわけよね。あんなところに死者を葬る人はいないから」
「そうですね」
まるで棒読みのようにホライヨンが応じる。彼は他の何かに気を取られているようだ。
「ねえ、ホライヨン。あの人と何か言葉を交わしたの?」
息子の変化に全く気付かず、タビサが尋ねる。彼女は少しでも、愛しい夫の消息を知りたかった。
「それが……」
ホライヨンの眉間が曇る。
「言葉を交わすことはできなかったのです」
「なぜ?」
ホライヨンはためらった。
「なぜ父上は、貴方に声を掛けてくださらなかったの?」
畳みかけられて、とうとうホライヨンは答えた。
「エスぺシオンの山の頂上には、確かに父上の御身体がありました。けれどそこには、頭部がなかったのです」