祭礼の日
タバシン河上流のフィラン神殿から漕ぎだした船が、中洲島に静かに静かに停泊した。船からは美しく飾られた神輿が担ぎ出され、荘厳な音楽が鳴り響く中、島の中央の頓宮へ運ばれていく。
少しして、下流からも船がやってきた。テンドール神殿からやってきた船にはやはり神輿が載せられ、先ほどと同じように恭しく頓宮へ向かって担がれていく。
「お前はここで待っていて」
中洲島の船着き場で母は言った。彼女は、巫女の装束に身を包んでいた。島には大勢の聖職者たちが来ている。その中に紛れ込むつもりだと言っていた。確かに子ども連れでは都合が悪い。
中津島には大勢の人々が集まっており、そうした人々を目当てにした物売りもたくさんいた。中でも、子猫の頭くらいの大きさの赤い飴が気になってならない。市が立つ時によく売られている、棒にリンゴを刺して飴をからめた菓子だ。
昔、食べたことがある気がする。でも、宮殿で暮らしていて、いつ食べたのか思い出せない。
「いい子だから、どこへも行くんじゃないのよ。私が来るまでここを動いたら駄目。わかった?」
「うん」
赤い飴に気をとられ、上の空で返事をする。
「どこを見ているの? うん、じゃなくて、はい」
「はい」
母に目を戻し、慌てて俺は訂正した。
数日前に立ち寄った村で、フィラン神殿の噂を聞いた。雨期の洪水を鎮める為に人柱に立てられた娘たちの死骸が起き上がったという怪異譚だ。神殿の神官たちが総出で娘たちの霊を鎮め、ようやく埋め直すことに成功したという。
「同じようなことがテンドール神殿でも起こったという噂もある。もっともこちらは、厳重な戒口令が敷かれていて詳細はわからないけれど」
母は口を濁した。
「ねえ、ホライヨン。前に私が言ったのを覚えている? お前のお父様の遺体はばらばらにされて、周囲には厳重な結界が貼られているのかもしれない、と」
そういえばそのようなことを言っていた。けれどそれが俺たちがここに来たこととどう関係しているのだろう。
「今回、祭りの準備の途中で何らかの事故で、神殿の結界が破られたのだとしたら? 真っ先に反応したのが、堤防に埋められた死骸よ。フィラン神殿を洪水から守る為に人柱となった娘たちが蘇ったの。同じころ、恐らくテンドール神殿近くに打ち捨てられていた死人たちも呼び寄せられた。それはどういうことかわかる?」
「ええと……」
「頭の悪い子ね。いいわ、教えてあげる。あの人の……お前のお父様の御身体の一部が、フィランとテンドールの両方の神殿に安置されているのよ! あの人の体には、強靭な生命力が宿っているわ。だから、近くに埋められていた死体たちが蘇ってしまった」
「あっ!」
思わず俺は声を上げた。やっぱり母さんは頭がいいと思った。
「蘇った死骸の数から考えると、神殿にあるのは、腕よりもよほど大きな体の部分だわ」
「脚だね! 父上のおみ足だ!」
そこだけは分かった。
「そうよ! いい子ね、ホライヨン。フィランとテンドールの両方の神殿に恐らく片方ずつ……あの人の脚が祀られているんだわ!」
「でも、ならなんで中洲島に来たの? フィラン神殿とテンドール神殿へ行かなくちゃ!」
「それはね。祭礼で両神殿の神体がここへやってくるからよ。なんでも今回の神事には、珍しく国王が降臨するという。お前の叔父、あの驕慢なサハルがね。あいつがわざわざ祭礼にやってくるなんて、きっと何か訳があるはず。多分……」
母は眉間に皺を寄せた。
「悪辣なサハルの考えそうなことだわ。土属性といえば聞こえはいいけど、操る鬼どもは地下の暗黒世界に属している。あの男の術は地上の術ではなく妖魔の術よ。あいつは清浄な神域を苦手としてる。神の結界で守られた脚を奪還するには、神殿の外に出た時を狙うしかない」
黒魔法、妖魔の術、鬼。
次々と繰り出される恐ろしい言葉に俺は身震いした。
俺の叔父、現在のエメドラード王サハルは、彼は俺の叔父でもあるはずだが、そんなに恐ろしい男だったのか。
「本当になぜあの男は、一度捨てた兄の遺体を再び回収しようと思いついたのか……」
母は眉間に皺を寄せた。
「いい、ホライヨン。前に預けた革袋を絶対になくしちゃだめよ。サハルの手に渡ったら、きっと恐ろしいことになるに違いない」
「うん」
「うんじゃなくて、はい」
「はい」
「必ずここで待っているのよ」
俺が返事をする間もなく、母は前を歩く僧について歩き始めた。袈裟をつけていない下っ端の僧だ。母の姿に気がつき、僧が馴れ馴れしく母の腰の辺りに手を回すのが見えた。




