クーデターではなく怨恨による暗殺
「おお、サハル、わが愛しの弟よ。よく帰って来た。無事か? 悪魔のようなあの女に、ひどいことはされなかったか?」
エメドラードの宮殿に帰ると、第一王子である兄のダレイオが出迎えた。王座から立ち上がり、近づいてきた。大きく広げられた腕の下を、俺は掻い潜って逃れた。
両腕が空を抱きしめ、兄はよろめいた。
おい。そんな馬鹿力で俺を抱きしめようとしたのかよ。
「あんな女ごときに、この俺が、なんかされるわけないだろ」
「だが、心配したぞ。サハル、お前、少し痩せたか」
心配そうに眉間が曇る。
ダレイオの肌は緑色だ。エメドラードでは、王位継承者の肌は、緑なのだ。
ちなみに、一般的なエメドラード人の肌は褐色に近い健康的な色をしている。どういうわけか俺の肌は白いのだが。病的な印象で、我ながらあまり好きではない。
「元々白かった肌が透けるように白くなって……そんなお前もまた……」
ダレイオは言葉を濁した。心配してくれているのだろうと、俺は思った。
「大丈夫だ。病気じゃねえから。部屋から出ない日が多くてな」
一応、王女の婚約者だったわけだから、監視がきつかったのだ。
「それより、なあ、ダレイオ。あんた、また、肌の緑が濃くなってねえか?」
さり気なくダレイオとの間に距離を置きつつ、俺は尋ねた。この兄は、接触過多なのだ。油断すると、肩や腰、下手をすると尻の辺りなど、あちこち触って来る。
正直、兄からの接触は苦手だ。男同士だし、兄弟だから気にすることはないんだけど、なんとなく、愛玩動物にされているような気がする。
「ああ。前王を弑し奉ったからな」
「弑し……?」
「殺したのだよ」
「そっか。父さんを……。なんだって!?」
驚いた。今、ダレイオの奴、父を殺したって言わなかったか?
「そうだよ、愛しいサハル。お前をインゲレに嫁がせようとするなんて、父王は、頭がおかしくなったに違いないのだ。頭がおかしい者に、この国を統治させるわけにはいかない。そういうわけで俺は、父王を殺した」
超絶三段論法である。わけがわからない。
俺をインゲレへ送り込んだのは間違いだと、そこは認めてもいい。でも、それがどうして、前王の殺害へと繋がるのか。
しかも、自分の父親だぞ? 俺にとっても父親だが。つまりこれは……。
「ダレイオ、お前、クーデターを起こしたのか?」
「違う。個人的な恨みによる、単なる暗殺だ」
「はあ」
「臣民もみな、俺の味方をしたぞ」
それは単に、憑かれたようなダレイオの眼差しが怖かっただけでは……と言いたいところを、危うくこらえた。
いくら兄弟でも、言っていいことと悪いことがある。それくらいのことは弁えているつもりだ。
「だがお前は、俺が迎えをやる前に、自力で帰って来た。さすがはわが弟だ。愛しているよ、サハル」
再びダレイオが距離を詰めて来る。俺はじりじりと後じさった。
「逃げることはない。わが愛しの弟よ……」
「いや、兄さん、怖いから」
「都合のいい時だけ、兄と呼ぶな」
テーブルにぶつかり、俺は追い詰められた。にやりとダレイオが笑う。緑の両腕が伸ばされてきた。すかさず椅子の背を掴み、振り下ろした。
全くの脊髄反射だ。ほぼ何も考えずに、俺の体は動いていた。
椅子は木っ端みじんに砕け、ダレイオの両腕から血が噴き出した。
「あ……ごめん」
そこまでするつもりはなかったのに。
「何、気にすることはない。お前につけられた傷だと思うと、吹き出る血潮もまた、愛おしい」
「変態かよ」
それは確かにその通りだった。
言い忘れたが、肌が緑だけあって、ダレイオの血液も緑色だ。噴き上げられた緑色の血は、あっという間に治まり、それどころか、ぐしゃぐしゃになった傷の上に、みるみる新しい皮膚が再生されていく。
これが、エメドラード王の魔力なのだ。王は太陽と生命を司り、高度の白魔法を発現する。つまり、治癒魔法だ。
ゆえに、王は民の絶大な信頼を得ることができる。
ある意味、王は不死身だ。彼を殺すことができるものは、同じく緑の肌を有する者。つまり、王の後継者のみ。
同じ王族であっても、肌の白い俺には、王位継承権がない。王を傷をつけることはできても殺すことはできない。その傷も、ご覧の通り、あっという間に修復されてしまう。
「それはそうと、弟よ。長旅で疲れたであろう。酒を飲むがいい」
すっかり傷が治ったダレイオの手には、盃が握られていた。
かぐわしい酒の香りが漂ってくる。
思わず、喉が鳴る。
だが、ダレイオの酒だ。なんとなく不安を感じる。たとえば、毒が入っているとか? つい最近、父を殺したばかりだっていうし。
「何をためらっているのだ? お前を思って醸した、特別な酒だ。心地よく疲れを癒してくれるぞ」
俺の為を思って醸した?
もう、怪しさしかない。
「いや、今日は止しておくよ。疲れている時に酒なんか飲んだら、一発で寝ちまうからな」
両手を背中に回し、強い拒否の姿勢を見せる。
ダレイオが眉を顰めた。
「そのまま眠ってしまえばよいではないか。俺が添い寝をしてやろう」
「遠慮しとく」
大の男が二人で同じ寝床に寝るとか、想像するだに気色が悪い。
くどいようだが、男同士で何か起こるとは思えないけど。これもまたくどいけど、兄弟だけどな。
「それに俺、タビサにもまだ会ってないし」
タビサというのは、ダレイオの妃だ。
そして、彼女の妹が、俺の許嫁だ。
もとい、許嫁だった。
父王に強引に、インゲレへ送り込まれるまでは。
ダレイオがにやりと笑った。
「わかっている。タビサは口実であろう? エルナに会いたいのだな?」
エルナはタビサの妹だ。そして俺の……。
「え? まあ……」
さすがに俺は言葉を濁した。
だって、本心はどうであれ、形の上では俺は、彼女を捨てて、隣国の王女と結婚しようとしたわけだから。
「エルナなら息災だ。早速、会いに行くがいい」
引き留められるかと思ったが、意外とあっさりと、ダレイオは俺を送り出した。
やっぱり、妃の名を出したのが良かったのだろうか。兄とタビサは、仲のいい夫婦だ。俺の目に映った二人は、いつだって、理想の夫婦だった。
「あ、サハル」
兄が呼び止めた。
「なんだ?」
「いや、何でもない」
「なんだよ……」
「エルナにあまりひどいことはするなよ」
「そんなことするわけないじゃないか!」
彼女を置き去りにしたのは俺だ。彼女が俺を引っ掻くことはあっても、俺が彼女に乱暴したりするわけがない。
ダレイオが意味不明なのは、今に始まったことではない。俺は振り返りもしなかった。だが、今に思えば、もっと深く追及すべきだった……。