還俗しろって言われても
たまには婚約破棄されて追放されてからの展開を
一年前。
王太子の婚約者であったヴァイオレットは学園内で平民の特待生を虐めたと婚約破棄された。そんな悪女は家に置いておくわけにはいかないと父であるトリネコ公爵は娘を勘当して、修道院で性根を叩き直してもらえと戒律の厳しいと有名な北の修道院に無理やり連行して、馬車から振り落とすような勢いで置いて行った。
悪女は成敗されて、王太子はその虐められていた平民の少女を妻にすると宣言してめでたしめでたし。
「で、そんな悪女である勘当した娘にわざわざ何の御用でしょうか」
北の修道院の面会室で尼僧の格好に身を包んだヴァイオレットは不思議そうに首を傾げて尋ねる。彼女の目の前には一年前よりも痩せて健康的になった父であったトリネコ公爵。
「勘当を解いてやる。帰ってこい」
命じる口調に、
「まあ。なんででしょうか。お前などもう娘ではないここで野垂れ死ねと言われましたのに」
不思議そうに首を傾げる。
「そんなことを言った覚えはないな。さっさと用意しろ」
と無理やり連れて行こうとするが、
「お断りします。わたくしはここでの暮らしが気に入っていますので」
「貴様っ!!」
殴ろうと思ったのか椅子から乱暴に立ち上がってつかつかと向かって来ようとするトリネコ公爵だったが、
「叩くのですか?」
額の7枚の花弁のような紋様を見て、トリネコ公爵の手が止まる。苛立ったようにわたくしを叩こうとした手の向きを変えて、机を叩き、
「くそっ!!」
乱暴に腰を下ろす。
「……わたくしは王太子の婚約者という身分を利用して様々な悪事をした悪女なんでしょう。そんな悪女を家に戻したら家の名に傷がつくのではありませんか?」
そう。王太子の婚約者であった。だが、特待生の少女を虐めたとか。
「それが偽りだと判明したんだ」
不機嫌そうに苛立ったように告げる公爵に、
「おや、おかしいですね。確かわたくしの罪の証拠は異母弟であったナサニエルが集めて見せてきましたよ。ああ、そういえばナサニエルはどうしたんですか?」
貴方自慢の息子。出来損ないのわたくしとは大違いの息子は。
「……………偽りを述べたと牢に入れられた」
「まあ」
そんな話は初耳ですね。やはり首都から遠く離れた北のはずれでは情報に遅れが生じるのですねと微笑んで告げる。あくまで他人ごとだ。もはや首都には興味などない。
なんであんな場所で生活できたのか不思議だとこの地に慣れてしまうとそんな風に過去の自分の行いに疑問しか湧かない。
「…………………………………北の修道院に入って半年で、聖女の証である7枚の花弁の花を思わせる紋様がお前に現れたことによって王太子たちの集めた証拠の真偽が問われる結果になり、特待生が虚偽の申告をしたこととそれぞれ王太子の側近が偽造した証拠を用意して、王太子はそれを見抜けなかったことと側近の行いの責任を取る形で王族から除籍された」
「あら、わたくしの噂が伝わるのは早いのですね」
口元に手を持っていき驚きましたと告げると、
「どうやら特別な伝達方法があるらしいし、主な神殿全てに神託が下された。
この国だけではなく、世界中のすべての人々が知っている」
「っ⁉ ま、まあっ⁉」
先ほどからまあばかり言っていたわたくしの顔が恥ずかしさのあまり赤くなっていくのを感じて慌てて顔を隠そうとする。
「それは……恥ずかしいですけど、ある意味皆の励みになりますね。わたくしというかつて罪を犯した者でも神に祈り罪を償っていけば聖女として選ばれると」
ヴァイオレットからすれば本心からの言葉だが、公爵にはそうは聞こえないだろう。
言っている自分でも理解しているつもりだ。
王太子の婚約者は特待生の平民の少女を虐めて罪を犯していた。そして、悪女として北の修道院に追放されて半年後に聖女の証が現れた。
彼女は本当に悪女だったのだろうか。
悪女を神が聖女にするだろうか。
もしかしたら……いや、絶対に、彼女の罪は偽りであり、何者かに嵌められたのではないだろうか。
疑心暗鬼になった人々は聖女のかつての噂を……真実を探し出す。
考えてみたら王太子の婚約者だったが、王太子は特待生の少女を妻にすると宣言していると言うことは浮気していたのだろう。
王太子の浮気相手に苦言を呈していたのは婚約者として当然の権利なのにそれを虐めだと騒がれたのなら聖女は被害者ではないか。
証拠を提出した聖女の弟は異母弟で聖女の母が亡くなったらすぐに再婚してその時にはすでに異母弟が居たのなら不倫していたと言うことだろう。
聖女はずっと家族内で冷遇されていて、聖女の父が再婚した時に使用人は総入れ替えになっていたのだと――。
「お前の所為で我が家の評判は下がっているんだ!! 帰って来い!!」
「ご冗談を。北の修道院で務めを果たし続けてきたのを神が見ていたのでこのような名誉をいただけたのですよ。それなのに貴族に戻るなんて……」
聖女の証が消えてしまうかもしれませんと言外に告げるとグヌヌと公爵が唸り声をあげている。
「聖女などと言われて付けあがって」
「――自分の立場が分かっておらぬようだな」
と実はずっと面会室のソファに踏ん反り返って最初からいた男性が公爵の言葉を遮るように声を掛ける。
「なっ、何者だっ⁉」
今までいることに気付いていなかった公爵が男性を指差す。いや、そもそも北の修道院には男性はほとんどいないのに男性がいる時点でおかしいのだ。
「あら、オラクルさま。黙っているおつもりだと思っていましたが」
わたくしが声を掛けると男性――オラクルが起き上がる。
寒い北の修道院に関わらず薄着で日に焼けたような褐色の肌。波打つ長い紅い髪。どんな宝石すら霞みそうな黄金の瞳。
それは修道院含む教会全てに飾られているご神体とそっくりな姿。
主神オラクルである。
「オラクルさまっ!! いっ、いや……まさか……」
「――ほう。そなたは我のお気に入りを奪うつもりのようだな。なるほど、王太子の立場が弱くなって自分たちも落ち目なのだから聖女である娘を第二王子と結婚させれば次代の父として権力を取り戻せる。という考えか」
「な……なんでそれを……」
汗をだらだらと流して動揺している公爵を無視して、
「オラクルさま。わたくしの問題なので黙って見ていてください」
貴方さまが出るともっと大きな問題になりますのでと伝えると、
「つまらないな」
と残念そうに告げて壁に置かれている棚に腰を下ろして、あっという間に石像に変化する。
「っ!!?」
「……オラクルさまは自分自身を模した石像などを媒体にして降臨が可能なのですよ。まあ、尤も聖女であるわたくしがそばに居る事が前提ですが」
常にオラクルさまは見ておられる。
「わたくしに何か行ったら天罰が下るかもしれませんね」
にっこりと微笑むのと対照に公爵の顔は青ざめて逃げるように去って行く。
「やっといなくなったわ」
清々したと本音を漏らすと、
「――こんなわたくしは聖女に相応しくないと思いますけど」
石像に向かって告げる。
すると石像は再び人の姿として降臨される。
「――罪人は許せという神の教えは加害者に甘い神だと思わないか」
「………………」
「苦しめられて、傷付いて、憎まないといけないほど追い詰められている存在に罪を許せなど言えるわけなかろう。そう言い切れる輩が居たらよほどの愚か者だ」
反省してもいないのに許されるべきだという輩に苦しめられてきた者たちの心の闇など救えやしない。
「お前は許せない。それでいいだろう。そんな怒りや悲しみを抱いても自分の輝きを失っていないお前の様な魂こそ神が許すべきものだ」
「……………」
この方はいつだってわたくしを肯定してくれる。
聖女になった時にも。
「自分に与えられた環境で与えられた役割のために努力する魂は神にとって必要不可欠だが、その環境をいきなり奪われてもその価値を失わず新たな生き方で輝ける魂こそ我の興味を引く」
貴族のままでは興味を持たなかった。北の修道院で必死に暮らす様こそオラクルさまは気に入られた。
「この地を去らない。賢明な判断だったぞ。去ったが最後我のお気に入りではなくなるしな」
オラクルさまはわたくしの額に口付けを落とす。
「聖女というのは我の妻のこと。我から妻を奪うと言うことだからな」
にやりと笑う様に、
「どこにも行きません」
そっともたれるようにくっつく。
「だって、わたくしのすべては貴方さまのものですから」
わたくしを利用する輩もわたくしを悪人にしたい輩もいらない。わたくしのすべてを肯定して愛してくれる方が欲しかった。
「わたくしは幸せです」
そう胸を張って言えるのは神に愛されている。ただそれだけで心が満たされているから。
「ならばその輝きを守り続けろ」
命じるような声に、頷く。
王太子妃教育で味わった苦労よりも多いだろうが、それよりも充実する日々に想いを馳せながら――。
首都は大荒れ当然だけど。