妖精令嬢の本性
私の妹は美しい。見た人を卒倒させたこともある。何度も。
王都に行けば妹くらいの美しさの少女くらい、数人はいるのだろうと思っていた時期もある。しかし、どれだけ美しいとされる女性も、妹と比べると霞んで見えてしまう。身内の贔屓目? 彼女を見たことない人間ならば、そう思っても仕方あるまい……。
私の妹は美しいだけでなく、ありとあらゆる才に溢れている。齢5歳で武器を握らせれば、8歳で男の私を遥かに超える実力を見せた。
勉学を教えれば、父上を超えた領地経営の才を見せる。父上の名誉のために言っておくが、父上は貧乏男爵家をここまで盛り立てた名君だ。我が家は貧しかったが、父上のおかげで領民たちは豊かになった。
父上の領地経営の才がなかったとは言えないだろう。しかし、我が家を有名な男爵家の一家と押し上げた、我が領土の名産、製法が門外不出の羽織りの絹布。あれの作り方を考え、製品価値を与え、市場流通の調整まで行っているのは妹だ。
神は二物も三物も与えるのか。そう疑問に思ったこともあった。しかし、神は、妹に決定的なものを与えてくれなかったのだ。
私がそのことに気がついたのは、妹が初めて言葉を発した時だ。
「くそ」
「今、フレンツィアがはなしました! ちちうえ! ははうえ!」
「おおおお! なんと?」
「くそ、やろぉ」
「え?」
「はらへった」
我が家の名誉のために言っておくが、そんな言葉遣いをしている者は一人もいない。領内ですら、いないのではないだろうか。
「ちち、よこせ」
言葉を発してすぐに単語を組み合わせることのできたフレンツィアは、天才であろう。しかし、決定的な欠点があったのだった。性格が壊滅的だったのだ。
◇◇◇
「王子の婚約者を探すための夜会……か」
「父上。フレンツィアを我が領から出すことは危険すぎます。不敬で一族取り潰しになるかもしれません」
「しかし、フレンツィアを隠し続けて早10年。美しさが噂に噂を呼んで、今回は絶対に欠席しないように圧力をかけられている」
「……体調不良での欠席は?」
「治り次第、フレンツィアだけを呼んだ茶会を開くと仰せだ。子女全員に王子の婚約者となる平等の機会を与えるとか言っておるが……」
「無理です。相性が悪すぎます。フレンツィアがあの王族に耐えられるわけありません」
「……仕方あるまい。挨拶終了次第、お前とフレンツィアは即座に帰宅しろ」
「それしかありませんね」
私と父上のそんな密談の末、フレンツィアの夜会参加は決まった。
◇◇◇
「お願いだから、フレンツィア。ずっと口を閉じておけ。話したいことがあったら、私にだけ聞こえるように言え。わかったら頷いてくれ」
夜会の会場に入る前に問いかけた私の問いに、フレンツィアはこくりと頷いた。
目立たないようにできる限りシンプルに、そんなことを念頭に考えて誂えたドレス。しかし、正装したフレンツィアは、人形……いや、人の手ではこの美しさは作れまい。そう、まるで伝承上の存在である妖精のようであった。
「アルトリス・シュトーレン男爵令息、並びにフレンツィア・シュトーレン男爵令嬢の入場です」
この時ほど、入場アナウンスを邪魔に思ったことはない。有名なフレンツィアの名前に、会場が静まり返り、視線が一斉にこちらを向く。
「まぁ……」
「妖精のようだ……」
そんな感嘆の声とため息、そして、人の倒れる音。私たち家族は、他人がフレンツィアを見た時の反応に慣れているが、夜会で人が倒れる珍事にあちらこちらで大騒ぎが起こっている。
「フレンツィア、いくぞ」
魔獣を初めて倒しに森に入った時よりも緊張した私は、フレンツィアを片手に夜会へと向かうのであった。
◇◇◇
「ほぅ。これは本当に美しいな。儂の妾に迎えてもいい」
「父上! ダメです! これは、僕の婚約者を探す夜会です! 僕の婚約者は彼女にします!」
「たまには、儂にも貸してくれるか?」
「仕方ありませんね、父上は」
国民の飢餓を考えぬ贅肉にあふれた肉体。それに加えて、横柄な会話。これは、我が家の爆弾であるフレンツィアに向けられたものだ。言葉の主は、この夜会の主催者である国王とその一人息子の王子だ。正直なところ、これだから、王子には婚約者が決まっていなかったとも言える。王子曰く、自分がふさわしいと思った女性にまだ巡り会えていなかったと言っていたが、各家は様々な策略を練って忌避していたのだった。
「フレンツィア、耐えられるか? 挨拶を終えたら早々に帰るぞ」
こくりと頷くフレンツィアのその愛らしい口から、溢れた単語に私は頭を抱えた。
「何あの豚」
そんな私たちを横目に、会場で合流した父上と国王への挨拶を迅速に済ませる。
「お久しぶりでございます、国王陛下」
「久しいな! それにしても、令嬢は噂以上の美しさではないか!」
ご機嫌な様子の国王に王子。その横で表情の読めない王妃。
無意味ではあるが、私は、フレンツィアを隠しながら、父上の後ろで頭を下げる。
「面をあげよ、フレンツィア」
その言葉に小さくため息を吐いたフレンツィア。そっと微笑みを浮かべて顔をあげた。まずい、あの顔は感情を必死にこらえている時の表情だ。お願いだ。大切な領民の命は、フレンツィアにかかっているのだ。領民なんていう存在は、フレンツィアにとってはどうでもいい存在かもしれないが。
「ほうほう、美しいな。気に入ったか?」
「うん! 父上。とっても気に入ったよ。僕、この子にする」
まるで買い物でもしているかのような気軽さで婚約者を決める国王と王子。
そんな二人に、父上は必死に言葉を紡ぐ。
「その、フレンツィアは男爵令嬢でございます。身分的にも不釣り合いであります。それに、見た目は良くともフレンツィアには他家に決して出せない欠点があります。加えて、身体も大変虚弱でして、男爵領ならともかく、王都で過ごすことは難しいかと」
はじめて言葉を発した時点で、我が家ではフレンツィアの嫁入りなんて期待していなかったし、婿を取ろうと思っていた。しかし、王家に娶られるくらいならばと、それも諦めて父上は必死に止める。
そんな父上の言葉にこくこくと私も頷く。意味があるかわからないが。
「ふむ、どう思う?」
国王の言葉に王妃が言葉を紡ぐ。
「確かに、見た目だけ美しい少女なら、次期王妃に相応しくないでしょう。それに、男爵令嬢だなんて」
フレンツィアを鼻で笑う様子の王妃の行動には、王妃としては問題があるかもしれないが、今はそれどころではない。ありがたいと言わんばかりに、私たちは頷き続ける。人生でこの時以上に頭を動かしたことはない。
「うーん……フレンツィアの調査結果はあるか?」
「幼少から兄を武芸で凌駕している。その上、領地経営の才もあり、知性も高い、と。どこに問題があるのだ。領地に隠しておきたいだけでないのか!?」
「いえ、そうではなくて、その、本当にフレンツィアはとてもではない性格の悪さでして、婚約者を期待できないものでして。見た目だけの娘なのです」
父上の言葉に必死に頷く。首がとれたっていい。領民が救えるのなら。そんな私の横でフレンツィアは不満そうな表情を浮かべ、私にだけ聞こえる声で言った。
「この豚親子気持ち悪いんだけど、煮豚にして輸出しない? あとあのドブスも無理」
「お願いだから、今は何も言わないでくれ。フレンツィア」
不敬に不敬を重ねるフレンツィア。やっぱり王家との相性は最悪だ。もっと言うことを聞かせられそうなか弱そうなご令嬢を勧めたい。いや、見た目だけならば、フレンツィアもそうなのだが。
「日常的な会話からあふれ出る性格の悪さ、発する言葉は歩く核爆弾の様な娘です。今までの家庭教師にも金を握らせて口止めしていたため、醜聞が広まらなかっただけです。本音を言うと、貧窮している末端貴族で子だくさんの家のご子息と婚姻させ、領内に館を建設し、そこに監禁……その、住まわせる予定だったのです。貧窮している家庭のご子息ならば、実家には逃げ帰ることもできないでしょう」
父上は、王家に妹を出すくらいならと実情をぶちまけまくりだ。実際のところ、すでに婿が絶対に抜け出すことのできない館建設も婚約打診もすすんでいる。会場の隅で顔色を悪くしているあの夫婦。あそこの子爵家の五男を狙っていたのだが、あの様子だと無理そうだ。
「ふん、そのようなことを抜かして、隣国の王妃の座でも狙っているのだろう?」
「なにをおっしゃいます。国内ですら内密に処理を進めようとしていたこの核爆弾を、隣国に輸出できるはずないでしょう、国王陛下」
思わず、父上が国王へとツッコミを入れた。
「正直なところ、産まれた瞬間は、高位貴族とのつながりができる可能性も考えました。しかし、はじめて発した単語が”くそ”だったのですよ? できることならば、言葉を発することができないようにしてしまいたいと願ったこともありました。しかし、下手に賢い知能に兄をも凌駕する武力。言葉という武器を封じられた彼女がどんな方法をとるのか、凡人の私にはわかりかねました。その次に、人道的に反すると理解して悔い改めました。我が子にそんな感情を抱く親の気持ちが、おわかりになりますか?」
父上のやまぬ弁論に、国王は少し引いている様子だ。あの息子をここまで育てた国王と王妃だ。父上のような感情を抱くことはなかっただろう。
「でも、父上はいつも言っているじゃない。美しい女を王妃にすればいい。王妃なんて美しくて子がなせれば、誰でもできるって」
王子のそんな発言に王妃は、青筋を浮かべている。実際、現王妃は、仕事なんてほとんど官吏に任せていると有名だ。
余計の発言しやがって、この王子が! あぁ、思わずフレンツィアの話し方がうつってしまった。
「それもそうだな……。ふん、どの程度のものか見せてみよ。発言をゆるす」
国王陛下の発言に、父上は首を振ります。
「フレンツィアに発言を許すのならば、”どんな発言も不敬とせず、我がシュトーレン男爵家に金銭上・行政上、この件に関わるその他一切の事由での不都合を認めず、またそれを男爵領ならびに男爵領民にも適用する”と、この夜会の場で宣言し、書面に誓約の上、教会の大司祭の前で誓約し、誓約魔法を交わしてください。それ以外は、フレンツィアに発言させることはできません」
「……本当にそこまでなのか?」
「そこまでです。手続きのほう、お願いいたします」
国王と父上のそんな会話を聞いた会場の皆様がざわめいています。国王に誓約魔法を求める不敬を犯してでも、誓約しないといけない驚きでしょう。
◇◇◇
「誓約魔法を行使する」
「誓約を完了したぞ。さあ、話してみよ。フレンツィア」
国王のその発言を受けて、フレンツィアは私、父上と順に見遣って、口を開きました。
「ねぇ、豚。あ、豚に失礼だった。でぶではげたおっさん。なんであんたとあんたのバカ息子と婚約しないといけないわけ? 気持ち悪いし、生理的に無理。貸し借り? 物じゃねーんだわ、こっちは。あ、ぶっさいくなおばさんが若い少女の美しさに嫉妬してキモいし、こっち見てる男どもも嫉んだ目で見てる女どもも無理。あんたたちそんな無能でよく貴族やってられるね。あ、兄上。ちゃんと黙ってたんだから、あとでしごかせろよ? あと、贈り物も期待しているから」
「フレンツィア、君のしごきはリンチと言うんだ。わかっているか? あと、贈り物のリクエストはあるかい?」
「え、無能なの? てめぇのそのスカスカの頭で考えろよ。……そこで他人事の振りしている父上、お前もだよ」
「すまない、フレンツィア。考えておこう」
「はー。私の美しさに叶うイケメンもいないし、王子ならもっと格好よく産まれろよ。まあ、その両親じゃ無理か。あ、そこのデザート、持ち帰りで。は? それくらいいいだろ。民の税? 知るかよ」
両手でデザートをつかんで食べ始めたフレンツィア。いつも言っているのだが、マナーの類いは”マナーを守って、思いやる価値もない人間しかいないから”と言って、まったく行わない。
あまりの動向に静まり返った会場は、居心地が悪い。
「あ、そこのおっさん。邪魔」
「お前の顔、ぶさいくすぎてウケるな」
「あの王子と婚約したい女とかいないだろ。ま、男もか」
好き放題したフレンツィアを前に、王族の皆様は言葉を失った。
「シュトーレン男爵」
「なんでしょう? 国王陛下」
「あれは演技か?」
「いえ。素でございます」
「では、あれは何かが憑依しているのか?」
「いえ、素でございます。脳が処理を拒絶しているのでしょう。私にも経験があります」
「そうか……」
「何こっち見てんの? でぶ」
相変わらずのフレンツィア。その愛らしさの1かけらでも性格にいってくれたらよかったのに。
「兄上。あのぶすの顔が気に入らないから、赤ワインぶちまけてきていい?」
「人様にそのようなことを言ってもしてもいけません」
「うっせぇな」
フレンツィアの様子を見ていた国王陛下が静かに告げた。
「……シュトーレン男爵。婚約の話はなかったことにしよう」
「えー父上。ああいう女を屈服させてやりたいです」
「え、きも。お前頭おかしいから、私が直してあげようか? 給仕。ワインの瓶を持ってきて」
「やめなさい、フレンツィア!」
挨拶を終えた私たちは、フレンツィアを回収して帰るのだった。