きみにまたがって
pixivにも同様の文章を投稿しております。
(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
(!)桜えび
早朝のことである。
ドアを激しく叩く音で目が覚めた。眠たいので無視しようかと思ったが、近所迷惑になってはいけないのでドアを開けることにする。
どうせ、友人の誰かだろうと思っていたのだが、
「アタシ、桜えび。自治体から来たの」
そいつは、僕がドアを開けると同時に部屋にあがり込んで来て言った。
桜えびというのは、もっと小さくて、もっと愛らしいものではなかったか。
しかし、僕の目の前にいる桜えびを名乗るそいつは、姿こそはえびであったが、僕と同じくらいの体長であった。それを指摘してやると、
「アタシ、自治体桜えびの集合体なの」
そいつは言った。
「ああ、自治体桜えびの集合体ね」
それがどういうものなのかサッパリわからなかったけれど、面倒くさかったので、僕はわかったふりをしておいた。
「アンタ、町内の桜えびを買い占めてるでしょ」
僕は頷いた。確かに僕は、町内の桜えびを買い占めていたからだ。
「困ってんのよ、アタシたち」
どうやら怒っているようだ、と、その声色から判断できた。
「アンタが買い占めるから、他のご家庭に桜えびが行き届かないじゃない」
自治体桜えびの集合体は、ぷりぷりと怒っている。
「それは、すみませんでした」
僕はとりあえず謝っておいた。
「アンタにひどい罰を与えなきゃいけないって、自治体で決定したの」
自治体桜えびの集合体は、僕の謝罪を聞こえなかったふりをして話を進めた。
「アンタの部屋を桜えびでいっぱいにして、もう桜えびなんてコリゴリって目にあわせてやるわ」
それを聞いた僕は、歓喜に震えた。
「本当かい? 僕は常日頃から、桜えびを部屋中に敷きつめて、その中を泳ぎながら、腹いっぱい桜えびを食べたいと思っていたんだ!」
僕が言うと、
「なによッ!」
自治体桜えびの集合体は悔しそうに怒鳴りながら、ぶるぶると震え始めた。
「なによ、なによ、なによッ!」
ぶるぶる震えながら、自治体桜えびの集合体は頭のほうから崩れ始める。
ぱらぱらぱらぱら崩れていって、完全に崩れてしまうと、狭い狭い僕の部屋は見事に桜えびで埋めつくされてしまった。
ようやく部屋が静かになったので、僕はもうひと眠りすることにし、桜えびの海に身体を沈めた。
(!)きみにまたがって
自転車が家出をした。
三日前のことである。サドルの高さに関する些細な言い争いが原因だった。
僕はサドルを少し低くしたかったのだが、そんなダサいの嫌だと言って、自転車は譲らなかった。サドルの位置は少し高いくらいがお洒落なのだそうだ。
そんなの知るか、乗りにくいんだよ! と怒鳴ったら、自転車は僕を振り落として、ひとりで走って行ってしまった。
それきり帰ってこない。
どこかで撤去されていたら面倒だな、お金かかるし。そろそろ探しに行こうか。そう思っていたら、見たこともない三輪車を連れて帰って来た。
「その三輪車、どうしたんだよ」
自転車は、チリチリとベルを鳴らした。
「駄目。うちじゃ飼えないよ。もとのところに返して来いよ」
チリチリチリチリチリ。
「駄目だよ。三輪車って、すごく食べるって聞くよ」
チリ、チリリ。
自転車は、三輪車が何を食べるのかと問うてきた。そんなことも知らずに拾ってきたのか。
僕は溜め息を吐いて、自転車に説明してやった。
「子どものうぶ毛だよ」
チリン……。
自転車のテンションが明らかに下がった。
「わかった? うちには子どもなんていないんだからさ、三輪車に食べさせてあげられないの」
自転車はすねたようにペダルを逆回転させている。
ぱぷ、と三輪車がぐずり始めた。
ぱぷ、ぱぷん。
チリリリ、チリリリ。
自転車は自分も泣きながら、それでも懸命に三輪車を慰めている。そのいじらしい光景は、僕の意固地な心を動かすには充分だった。自転車のいない三日間が、思いのほか寂しかったという事実も手伝ったのかもしれない。
「わかったよ」
僕がそう言った瞬間、自転車はピタリと泣くのをやめた。
まさか、嘘泣きだったんじゃないだろうな。
ああ、まんまと引っ掛かってしまったようだ。
「じゃあ、もう、子どもつくるよ。これから」
なかば投げやりに言うと、自転車は嬉しげにブレーキをきゅきゅっ、と締めた。
僕は、三輪車をアパートの駐輪場の支柱にチェーンで繋ぎ、自転車にまたがった。
「いい子にしてるんだよ」
ぱぷ。
三輪車は素直に返事をする。
僕は自転車を漕いで、元気な子どもを産んでくれそうな女の子を探しに出かけた。
「ねえ、やっぱりさ、サドルもう少し低くしたいんだけど」
チリン。
「なんだよ。三輪車飼うの許してやったじゃないか」
(!)シャボン玉中毒
「シャボン玉中毒です」
と医者は言った。
「はあ」
僕は曖昧に頷いた。初めて聞く病名だ。
「シャボン玉がストローから独立した時点で、そこには宇宙が発生します」
医者は、ここまではわかりますよね、と僕に同意を求めた。
「はい」
僕は素直に頷く。
「それを一度吸い込んでしまうと、その宇宙を壊したくなります。それが、あなたのその破壊衝動です」
医者は、穏やかに説明する。
「それじゃあ、地球儀を壊したいのも、林檎を潰したいのも、金魚鉢を割ったのも、」
「え、割ったんですか!」
医者の保っていた穏やかさが崩れる。
「ええ。我慢できなくて……」
居心地が悪くなり、僕はもじもじと俯いた。
「とにかく、それは全部、僕がシャボ中だからですか」
「あなた、言葉を省略するのは良くないですよ」
医者は穏やかさを取り戻し、宥めるように僕に言った。
「すみません」
「なんでも省略すればいいってもんじゃないんです」
そう言って、医者はカルテに向き直り、質問を始めた。
「破壊衝動は、いつ頃から」
「五日前くらいからです」
「五日前ということは、あなた、その一ヶ月くらい前にシャボン玉を割りましたね」
僕は、記憶箱を探り、奥のほうから該当する案件を引っ張り出す。
「ええ。割った、と言いますか。公園のベンチに座っていたら、誰かの作ったシャボン玉が僕の鼻先に当たって割れました」
「ふん。それ、一度きりですか」
「はい」
「なるほど、なるほど。よっぽど強力な宇宙だったようですね。それに、鼻先というのも良くない」
医者は、ぶつぶつ言いながら、カルテに何やら書き込んでいる。
チラリと見たけれど、なんだかぐるぐるした文字で、僕には解読することができなかった。
「それから、何か変わったことはないですか」
「変わったこと」
「たとえば、好物に襲われるとか、ご近所さんやご友人の様子がおかしいとか、家に帰るまでの道でいつも迷うとか」
僕は、再び記憶箱を探った。比較的上のほうに、その案件はしまってあったはずだ。
「三日前、自治体桜えびの集合体が家に来ました。桜えびは僕の大好物です」
「なるほど。それでどうしました」
「食べました」
「え、食べたんですか!」
医者の穏やかさが再び崩れ、僕は怯む。
医者は、コホンと咳ばらいをし、「他には」と先を促した。
「友人が突然、三輪車を飼い始め、子どもが必要だからと生殖活動をしています」
「なるほど、なるほど。あなたの周りの宇宙バランスが崩れてきていますね」
医者は頷きながら、カルテにぐるぐるした文字を、ぐるぐると書く。
「僕のシャボ中が原因ですか」
医者は、やはり略称が気に入らなかったのか、一瞬咎めるような眼で僕を見、
「金魚鉢を割ってしまったからでしょうねえ」
と残念そうに言った。
「まず、その部分の宇宙が崩れました」
「はあ」
「それから、桜えびを食べたのが良くない」
「食べちゃいけなかったですか」
「崩れた宇宙を体内に取り込んで、良いわけがないですよ。すぐに掃除して捨てるべきでした」
医者のその言葉に僕は逆上した。涙ぐんでしまったほどだ。
「そんなもったいないこと、できるわけがないじゃありませんか!」
「お気持ちはわかりますがね」
医者は、涙ぐむ僕の肩を優しく叩く。
「飲み薬を出しておきます」
医者は慰めるような口調で言った。
「それを朝晩食前に飲んでください。それから、三日間は家から出ず、誰とも会わないでください」
「わかりました」
僕は薬の処方箋をもらい、病院を後にした。
その後三日間、僕は医者の言うとおり、引きこもって過ごした。
四日目、部屋には相変わらず、食べきれなかった桜えびの残りが散らばっていたし、友人のアパートを訪ねると、彼は相変わらず健康な女性を探しに出かけている、と駐輪場に繋がれた三輪車が教えてくれた。
何も変わっちゃいない。
僕の周りの宇宙は、最初から崩れていたようだ。
僕は、三輪車に指毛を食べさせてやると、自分の部屋に戻った。
そして、部屋に残っていた桜えびを全部たいらげた。
了
ありがとうございました。