7幸せの中で(完)
いつもありがとうございます。
これにて完結です。どうぞお楽しみください!
リエさん…。
余命一か月と宣告されていた。だから、近いうちに、こういう日が来ることも分かっていた。しかし突然訪れた思いも寄らぬ別れに、ユウの頭は真っ白だった。まさか、こういう別れ方になるなんて、全く思っていなかったから。が、そんな止まってしまったユウの思考は、看護師さんの言葉により、あっさり溶けた。
「あの、内緒なんだけどね、木下さんね…実は妊娠していたんですよ。まだ初期の初期。勿論赤ちゃんは木下さんと一緒に亡くなっちゃったけどね。独身だし、携帯の履歴見ても彼氏らしい人いないから、一応ね、仲良しの森さんにだけ伝えようと思って。時々、木下さんのお部屋に行っていたの、私見てたから」
ベテランの看護師さんはユウにだけ聞こえる声でそう言うと、絶対に他言しないように目配ばせする。
良かった…ユウは安堵した。
実は…リエが妊娠しているんじゃないかって、薄々勘づいていた。
まだ初期の初期。妊娠検査薬だって、反応するかどうかって頃だけれど、それでもあの日に結ばれてから、毎日のようにリエの部屋に通っていた。
もし俺があの事故で死んでしまっていたら、リエは悲しみの中、我が子と共に逝かねばならない。それは最悪だ。でも、現実は俺だけが生き残り、リエは子どもと一緒に天国へ還ることができた。
もし母親になれるなら、子どもとずっと一緒にいたい。
自分の気持ちより、何よりリエの気持ちを叶えてあげたかった。
それほどリエは大切で、かけがえのない存在なのだ。
だから良かった。本当に良かった。
リエと過ごした学生時代、何度もフラれた悲しい記憶、そして病院で再会してからの幸せな日々。宝物を一つ一つ取り出すように、頭の中の記憶のアルバムをゆっくり捲っていく。しかし、事故の衝撃で、ユウは記憶の一部が曖昧なことに驚く。医師に相談すると、どうやら脳を損傷した影響で、これからも記憶が少しずつ失われていくおそれがあるとのことだった。
どうしよう、俺はいつか大好きなリエさんとの思い出も、忘れてしまうかもしれない。
だいたいリエさんだって、天に還ったら、俺の事なんて忘れてしまうかもしれない。だって、心が通い合ってから過ごした日々は、僅か十日間なのだから。
ユウは動かぬ体のまま目を閉じる。
どうか一生のお願いです。もし神様がいるなら、リエさんの心の中の俺と言う存在が、せめていい奴でありますように。恋人じゃなくなっても、人として彼女が好きでいてくれますように。
お願いします。どうか、恋人じゃなくてもいいから、人として…。
これさえ叶えば、もう他には何もいらない。とユウは思った。
リエさんが幸せでいてくれれば、それで…。
色々考えて少し疲れたのか、そのままユウの意識は落ちていった。
十五年後、結城は鏡の前に立っていた。
整えられた髪は、ちょっぴりお洒落にセットしてある。黒い細かい水玉模様のシャツに、黒い細身のパンツ。どっからどう見てもそうは見えないけれど、結城はこれでも中学の教師だ。
森野結城。いつからそういう名前だったのか覚えが無いけれど、それが今の自分の名前だとユウは知っていた。
そして、こざっぱりしてお洒落なインテリアに囲まれたマンションには、リエさんがいる。
「ユウくん、はい、お弁当」
そう言って毎日手渡してくれるのは、料理が得意なリエさんが作った愛妻弁当だ。
「行ってきます」
玄関で挨拶して学校へ行く。十五年前、二十五歳で二歳年上のリエと結婚して以来、ずっと幸せに暮らしている。
しかし学校へ着くと、上司の顔を見てため息を漏らす。何と上司である学年主任は、あの高校時代からの腐れ縁のトオルだからだ。
トオルは森野結城が森ユウだと知っているのか、最初から仲良くしてくれた。と言うか、俺が仲良くしてやって、面倒を見てやっていると自負している。
十五年前、ユウは死んだ。
交通事故で脳を損傷して、リエの幸せを祈りながら、天国へと旅立った。
が、どういう神様のいたずらか、天国へ行ってすぐ、ユウはある二人のところへ戻された。
それはユウとリエにそっくりの二人。
森野結城と山村理恵子。
結城の体に入った時、理恵子は確かに「ユウくん」と呼んだのを覚えている。
どうやら中学教師の結城になって、トオルを助けるためにもう一度戻されたらしい。リエさんはそんな俺を支えるために、やっぱり理恵子の体に入ったばかりだ。
「リエさん、結婚しよう」
「ユウくん」
そう言って愛おしそうに唇を重ね、三日後にユウとリエは結婚した。
生きていた体では叶わなかった甘い生活と引き換えに、大切な何かを見守るために。
「リエさん、この生活もあと少しかもしれない。トオルの所に、あの女の子が来たから」
「そう、やっと来たんだね。じゃあ、その子とトオル君の未来を見守るまで、あと少し頑張らなくちゃね」
そう言ってはにかんだように微笑むリエに、ユウは優しい眼差しを向ける。
「あと少しじゃなくて、永遠に。リエさんと一緒にいさせてよ。役目を終えて、再び天国へ還っても永遠に」
「ありがとう。私もずっとユウくんと一緒がいい」
もう離れない。見つめ合う二人は手を取り合う。
二度とユウの手を離さないと、リエはその小さな手に力を込めた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
これにて完結です。
まだリンクする「透夏」は続きますので、併せて楽しんでいただけますと幸いです。