5月5日 機械少女と雨音
僕は、あと1年で死ぬ。
死因は病気。
一切の違和感を覚えないこの身体が
それ程までに重大な欠陥を抱えているとは
到底信じられない話ではあった。
が、今となってはそんな事はどうでもいい。
大切なのは残された時間を楽しく生きることだ。
そうしてから、死にたい。
ただ、この状況がもたらしたのは
悪いことばかりでもなかった。
将来の事を考える必要がなくなったり、
何をしても責任をとらず逃げられたり。
未来が無い、というのは案外気楽で、
無理に生きるより良いと思う。
この世界で生きるのは大変だから。
カレンダーを見ると、今日は5月5日らしい。
僕はこの日も、やりたい事をやりたいように生きていた。
それは雨の降る昼下がりの事だった。
僕は人生で初めてのお菓子作りに挑戦するため、
材料を買いに近所のスーパーへ向かっていた。
作るお菓子は、シフォンケーキ。
ふわふわの生地と優しい甘さが素敵なスイーツだ。
旬の苺と生クリームを添えて、
自慢のコーヒーと一緒に食べようと思っている。
きっかけは深夜に見たアニメだ。
喫茶店を切り盛りする女の子達が登場する作品なのだが、
作中に出てくる彼女達の作る可愛らしいお菓子の数々に
その時夜食を食べていなかった僕は
スイーツを作って食べたい、という
衝動に駆られてしまった。
やりたくなったらすぐやる。
なにせ、残り1年しかないのだ。
家を出てすぐの十字路を曲がる。
余命の宣告を受けてから、
何故か世界がやたら綺麗に見えることに気づく。
降り注ぐ雨音は子気味よく、
傘を持つ右手に伝わる細かい振動が
僕の心音と混ざりあって一つになっていく。
歩いていると、スーパーへ到着した。
コストパフォーマンスよりも味を優先し、
動物性の生クリームと低脂肪でない牛乳をカゴにいれる。
そして苺も忘れない。
確か、小麦粉と卵は家にあったはずだ。
僕はレジに向かう。
その途中、
美味しそうなプリンを発見し、
一瞬で欲に負けカゴへと入れた。
会計を終え、傘を開き帰り道を歩く。
ふと、思う。
今、雨から僕を守っている
傘はとても高度な技術から
作られているのではないだろうか?
露出している傘の機構を見ても
どんな仕組みで開閉するのかまるで分からない。
考えてみると、
傘も、部屋の鍵も、僕の身体も。
普段当たり前に使っていているのにその物の正体すら
理解していないものは沢山ある。
その物の絡繰も知らないで
勝手なイメージで価値を知った気になる人間は
酷く愚かな生き物だと言えるかもしれない。
十字路を曲がった。
ここから家まではすぐだ。
「あれ?」
ここで僕は、異様な影の存在に気が付いた。
すぐそこの電柱の下に、
この雨の中、傘も差さずに
座り込む人影のようなものに見える。
その影はどうも弱々しく見えて、
今にも消えてしまいそうだった。
だからだろうか、気付けば僕は影の元へと近付いていた。
人影の正体は、
背の低い、長髪の女の子だった。
猫のような目、小さい顔、細い身体つき。
僕よりも歳下に見えた。
隣には大きなリュックサックが置かれている。
雨は、容赦なくその少女に打ち付けている。
すかさず声を掛けた。
目の前に困っている人がいたら助けなければいけない、
というような正義感からではない。
僕をつき動かしたのは、ただの下心でしかなかった。
「大丈夫?」
と聞くと、
女の子は僕の目を見て口角を上げ、悪戯な笑みを浮かべた。
「大丈夫じゃないかも」
「そっか。僕に何か出来ることはあるかい?」
「そうだなあ」
顔に手を当て、考える仕草をしている。
彼女は意外にも余裕ような口振りで話すようだ。
てっきり泣きついて来るかと期待していたのだが。
「決めた」彼女は言った。
「私を君の家で雇ってよ」
僕はわざと笑顔を作る。
「雇用条件はどんな感じかな」
「えっと、家事と料理、頑張る。割となんでもする」
割となんでも、ね。
「なるほどね。
その代わりに僕は何をしてあげればいいの?」
「居候、させてほしい」
「いいよ」
僕は即答した。
彼女は驚き、思わず
「え?ほんとに?」と聞き返してきた。
残り少ない人生だ。
こんな面白い出来事を
みすみす逃すわけにはいかない。
ご愛読ありがとうございます。
執筆ペースが信じられないほど遅いので
次の投稿まで期間は空いてしまうのですが
楽しみにしてくれていると嬉しいです。