第六話 「Guilty or Not Guilty」〜1〜
「被告人に判決を言い渡す」
裁判長はそこで言葉を区切り、大きく息を吸った。
「被告人は事件当時、極度の精神的異常により、精神分裂症を患っていた可能性は極めて高い。
それ故まだ未成年の被告人に責任能力があるとは断言できない。
よって被告人に無罪を言い渡す」
その瞬間、法廷内にどよめきが起こった。皆一様に信じられないと言う言葉を使い、その表情は驚愕している。
「よし!!」
被告人の弁護士、田宮 良一は声には出さずに心でガッツポーズを取った。
「今後は精神病棟での治療に専念し、殺害した被害者への自責の念を常に持ち、社会復帰を目指して欲しい」
「ふざけるな!!」
裁判長がそう言った時、被害者側の親族席で憎しみの篭った声が上がった。
「冗談じゃない!娘を殺しておいて、無罪だとっ!こんなことがあってたまるか!!」
被害者、新山 小春の父、勝次が叫んだ。
「精神病だからなんだと言うんだ、ええっ?人を殺して無罪とはどういうことなんだ!!」
勝次は席を立ち上がり、鬼の形相で加害者の大場 要に向かって突進した。
咄嗟に警備員たちが勝次を止めに入る。
「日本の裁判は加害者を守るためにあるのか?ええっ?被害者の我々はどうでも良いってのか」
「静粛に。席へお戻りください」
「冗談じゃないぞ、手塩にかけて育てて来た大事な娘を・・・親の我々がどんな思いかお前に分かるか!!」
勝次の必至の形相を見て、大場の顔は引き攣った。
「日本の裁判は何のためにある?ええ?人を殺してどうして許されるんだ!」
勝次は大場に近づこうともがきながら進もうとする。だが押さえつける警備員の力によって進路は開けない。
「俺の・・・俺の娘をなんだと思ってんだ!!大事な・・・大事な娘だったんだ・・娘を、娘を返せ!!」
最後の方はもはや嗚咽のような声だった。悲痛なまでの叫びに傍聴席の人々は胸を痛めた。
我が子を失った勝次たち親の気持ちは痛いほど良く分かる。それが故にどうする事もできない現実にただただ唇を噛むしかなかった。
勝次の妻、美紀は席で泣き崩れている。その泣き声は傍聴席まで届いた。
弁護士の田宮は大場に駆け寄った、そして彼を守るように立ちはだかる。
「貴様!!そんな人間の弁護なんぞしやがって!!許さんぞ!」
「被告人に弁護士が付くのは法律上の義務です」
「なんだとっ!貴様、それでも人間か。子供はいるか!ええっ?子を失った親の気持ちが貴様に分かるか!」
勝次は警備員に連行され、法廷の外へと繋がる扉へと連れて行かれた。
「許さんぞ・・・絶対に許さんからな!裁判で裁かれないなら、俺が殺してやる!!殺してやるぞ!!」
怒気を含んだ凄まじい憎しみの声は、法廷の外まで響いた。
「大丈夫かい?」
「はい・・・・」
「もう大丈夫。君は無罪だ。今後は精神病院で観察を受けながらの生活だ」
「あの・・・僕は・・・」
「何も言うな。もう終わったんだから」
「・・・・・」
大場は下を向いたまま田宮の言うことを聞くしかなかった・・・。
女子高生バラバラ殺害事件は、今から2年ほど前に起こった事件だった。
当時18歳だった被害者の新山小春は、学校からの帰宅途中、加害者の大場要に拉致された。
移動手段に車を使った犯行だったが、拉致する際、小春をクロロホルムで眠らせて移動した形跡が見つかった。
自宅に監禁された小春は、それから半年もの間性的暴行を受け続けた。
捜索願を受けた警察が大場要の存在に辿り着いたときには、既に小春はバラバラにされていたのだ。
小春のバラバラになった遺体は大場の家にある庭先の花壇の下から発見された。
死後1週間程度が経過しており、バラバラにされた遺体は腐敗が進んでいたと言う。
その後、逮捕された大場には7人もの弁護士が付くと言う異例の事態に発展した。
と言うのもこの事件は加害者が未成年である上に、犯行の手段が極めて残忍な事から
被告人に対する死刑の可能性が濃厚と言われていたのだ。
大場に付いた7人の弁護士は皆「死刑廃止運動」に所属する弁護士たちで、田宮良一はそのリーダーだった。
「被告人に対する死刑を無くす」を合言葉に、各メディアからも注目された裁判へと発展して行った。
一審では死刑が下され、二審では無期懲役が下された。しかし被告人の供述に曖昧な部分が残ると指摘され
最高裁から「精神鑑定」の依頼を受ける事件となった。
それにより裁判の争点は精神鑑定の結果によって大きく左右されると言う見方が強まったのだ。
精神鑑定の結果、被告人の精神に著しい異常が発見され、精神科医によって正式に精神分裂症である事が判明した。
この事実がこの事件の裁判を大きく揺るがした。
未成年、そして精神異常。この二つの観点が考慮され、終ぞ大場は無罪を言い渡される結果となった。
「なるほど、それで俺に依頼してきたわけか。その大場を殺すために」
「はい・・・・」
ベンチに座り、項垂れる新山勝次は力なくそう言った。
勝次の座るベンチの後ろに歪は立っていた。「振り向くな」と言わなくても、勝次は振り向かなかった。
もはや天誅、死神の正体など彼の眼中には無いようだった。殺害された小春の積年の思いを告げるのがやっとだった。
「貴方なら殺ってくれると聞きました。お金ならいくらでも払います」
「俺からすればあの裁判は茶番だ。そもそも加害者に7人の弁護士が付く事自体奇妙な話だ」
「私もそう思いました。そう思いながらもなんとか頑張って戦ってきました。
だけど結局は法の壁に閉ざされ、大場は無罪に・・・私はね、悔しいんですよ」
歪は黙った。実は歪の隣に紅麗もいる事を勝次は知らない。
紅麗もこの裁判に興味を持っていたようで、単独で受けた依頼だったのだが「私も行く」と言って聞かなかったのだ。
「あの子は・・・小春はね、我々親が頑張って頑張って、ようやく授かった娘なんです。
妻の美紀は体の構造上、なかなか妊娠し難い体質で、ほとほと困り果てていたんです」
歪は何も言わず勝次の話に耳を傾けた。
「ようやく授かった素晴らしい命・・・。しかも娘ですよ。可愛い娘だったんです。気の優しくて利発な娘です。
それを・・・それをあの男は!!」
勝次の頬に大粒の涙が零れた。
「私たちはね、ずっと手塩にかけて大切に育ててきたんです。子供のためならなんでも出来る。目に入れても痛くないのが子供です。
分かりますか?大事に育ててきた娘が突然目の前から居なくなってしまうんです。こんな辛い現実はありません。
それなのに、裁判はまるで加害者を守るような判決を下した。こんな事が・・・こんな事が許されるなんて・・」
「精神鑑定と言う現実が彼を生き長らえさせた・・・と言うわけか」
歪は静かに言った。
「はい・・・だから貴方にお願いしたいんです。どうか、どうかあの男を・・・大場を殺してください。
お金ならいくらでも払います。だからお願いです。妻の美紀はあの一件以来鬱病になってしまって・・・
お願いします・・・お願いします・・・」
勝次の涙はその後も絶える事がなかった・・・。
「悲しいね。上手く言葉が出ないよ」
「残された遺族側の事を思えば、確かに悲しくもある」
アジトに戻ってきた歪と紅麗は重い空気のままそれぞれの時間を過ごした。
「他に何かあるの?」
微妙な言い方をした歪に紅麗が尋ねた。
「いや、これが加害者、被害者だけの問題なら悲しいの一言で済まされるだろう。
しかし、万が一そうでなかった場合、その悲しみは憤りに変わるだろう」
「どういうこと?」
「加害者側に死刑廃止運動に属している7人の弁護士が付いたと言っていたな」
「うん。ニュースでも取り上げられてた。前代未聞だって。それがどうかしたの?」
「ちょっと気になることがあってな。これを見ろ」
歪はそう言うと封筒の中から数枚の書類を出し、テーブルの上に投げた。紅麗がそれを受け取る。
「それは今回の裁判に置ける審査内容の詳細を綴った文面だ」
「ちょ、ちょっとどうしてこんなもの歪が持ってるの!?」
「いつもの事だ。裏ルートで入手した貴重なものだ」
歪がニヤリと笑う。紅麗はその書類に目を通した。
「別に気になるところは無いと思うけど・・・」
「注目すべき点は裁判時の加害者の発言だ。良く見てみろ」
「うん」
加害者の発言欄は書類の中央に記されていた。
裁判官の質問、そして弁護士の質問に答えている文章が載っている。
そのほとんどは「はい」「いいえ」であり、素っ気無い感じが伺える。
「なんかそれだけかよ・・・みたいな感じがするね」
「ああ。だが注目すべき点はそこではない。加害者と弁護士のやり取りだけを掻い摘んで見てみろ。おかしなことに気付くはずだ」
そう言われた紅麗は弁護士と加害者のやり取りだけを抜き取って目を通した。
「あれ・・・全部はいで答えてるね」
「そうだ。おかしいだろ、いくら弁護士とは言え、加害者からしたらNoと答える質問だって出てくるのが当然だ。
だがこの法廷でのやり取りは見事にYesしかない」
「偶然って事?」
「それはまず有り得ん。どうして加害者はYesとしか言わなかったか。一見するとお前の言うように偶然とも取れる。
しかし逆に考えるとこうも言える。加害者の選択肢はYesしか無かった・・・とな」
「あっ!」
紅麗は歪が言おうとしている事に気付いたらしい。
「どうやら何が真実か、それを先に突き止める必要がありそうだ」
2へ続く・・・。
END