第十三話 「新興宗教」〜4〜
「そう言えば304号室の患者さん、最近ご家族の姿見なくなったわよね」
「ああ、なんか見放されたとか言う噂が流れてるのよ」
「ええっ!そうなの?」
「うん、最初は可愛そうだとか言って面会に来ていたけど、親族の間で不幸があったらしいのね」
「うん、うん」
「それから家族の間で溝のようなものが出来たみたいなの。彼女は関係ないのにね」
「それってもしかして遺産相続とか?」
「ピンポン。遺産を相続するに当たっていろいろと事情があったみたい。もう彼女の面倒は見れないとか言ってた」
「酷い親よね、最低だわ」
「同感。治療費だけはちゃんと払っているみたいだけど、お見舞いにはもう来ないらしいよ」
噂好きの看護婦たちはそんなやり取りをしながら歪の横を去って行った。
歪の風貌は一見すると目立つ。何せ全身真っ黒なのだから。おまけにウエスタンハットを被っているせいで顔の表情も見えない。
そのため不審者に見えなくも無いが、天誅、死神の風貌を知らない世間では
例え仕事のときと同じ風貌でも、自分が天誅、死神であると疑われる事はなかった。
歪と病院・・・それはあまりにも釣り合いの取れない両者だったが、今日はこの病院に用があった。
歪はあれからずっと麻薬組織を追っている。一応アジトには戻っているが紅麗には会っていない。
彼がアジトに戻るのは明け方だ。既に紅麗は寝ている。そのためここ2日ほど彼女とは会っていなかった。
とは言え紅麗が何をしているかは知っている。紅麗は恐らく歪は何も知らないだろうと思っているだろう。
しかし歪は紅麗が「天誅会」に関して探りを入れている事を知っていた。
高校時代の友人が天誅会に入会した事をきっかけに、彼女たちが変化したと言う話を別の方面で情報を得ていたのだ。
「止めておけ」と言おうと思ったのだが思い留まった。どちらにせよ自分ではどうしようもなくなって連絡をしてくるだろうと
歪はそう踏んだのだが、昨日から何の連絡も無かった。おまけに昨日は戻っていない様子だった。
やれやれと言った思いは拭い取れない。大方自分でもやれるんだと言う事を証明したかったのだろう。
彼女が考えそうな事だ。だがそんな紅麗の気持ちは、いつもそれをカバーする歪に取っては溜息が出るほどの厄介な事だ。
「いつも面倒ばかり掛けやがる・・・・」
歪は一人そうごねたが言っていても仕方が無い。いつもの事なのだ。
張り切って飛び出したは良いが、いつも何かが抜けており途中で躓く。それが紅麗だ。
最終的には歪によって難を逃れている。今回もそうなるだろう。歪はすぐにでも動くつもりだった。
しかしその前にやって置く事があった。その目的の人物がこの病院に入院しているのだ。
彼女の名前は涼風 杏里
2ヶ月ほど前まで、彼女は歪が追っている麻薬組織のメンバーだった。
メンバーとは言え幹部クラスの重役ではなく、組織拡大の斡旋に伴う窓口を務めていた。
彼女が組織に加わったのは今から3年ほど前になる。
歪の掴んだ情報に寄れば彼女はエスカレートする組織の方針に疑問を抱き、組織からの脱会を決心した。
だが組織内の幹部たちはそれを善しとせず、彼女に暗殺者を仕向けたのだ。
無論、暗殺者の手から逃れられるはずも無く、彼女はすぐに捕まった。
そこで彼女は記憶を抹消する薬物を投与され、更に視力を奪われて廃人寸前となってしまった。
組織が彼女を殺さなかった理由は明らかになっていないが、何かしらの理由があったはずだと歪は見ている。
薬物を投与され、光を失った彼女は東京の郊外を彷徨っているときに地元の警察によって保護された。
これがきっかけとなり、麻薬組織の存在が日本でも明るみになったのだ。
警察では現在この組織を追っているとの事だったが、「組織壊滅」の言葉を聞かない以上、捜査に進展はないのだろう。
彼女は現在、この病院の精神病棟にある個室で入院している。
彼女に会えば組織について何らかの情報が掴めるかも知れない。そう考えやって来たのだ。
「ずいぶん肩入れするんだね、この組織に」
階段を歩き始めた歪の頭の中に、先日紅麗から言われた言葉が反芻した。
傍から見れば肩入れしているように見えるのだろう。いや、事実確かに力は入っている。
歪はそれが可笑しくて口元が緩んだ。歪が麻薬組織を付け狙うには理由があった。
歪は日本人だが生まれた場所はベトナムだった。
何故ベトナムで生まれたかについては歪自身知らない。何故なら歪の親はとっくに死んでいるからだ。
察するに恐らく父親の仕事の関係上ベトナムにいたのだろうと推測している。
当時ベトナムは異なる宗教同士の争いが絶えず、毎日のように内乱が続いていた。
兵士たちは昼夜問わず戦うことを強いられ精神状態はまさに極限だった。
敵の兵士たちは昼夜、どの時間帯に攻めて来るか分からない。どの時間帯にも対応できるように時間差で兵士たちを配備させたが
それには限りがある。当時のベトナムは貧困から戦争ではなく、餓死によって命を落す兵士が大勢いたのだ。
日に日に数を増す飢えによる死。もはやこのままでは戦いに勝てないと判断したベトナム宗教勢は金字塔に打って出たのだ。
それが「シャイニングスター」と呼ばれる薬物の投与だった。
シャイニングスター、文字通り輝き続けるスター。これを摂取すると脳内にあるアドレナリンとグルタミンが過剰に上昇し
常に身体を興奮状態に維持する事が出来ると言う薬物だった。つまり寝なくても平気な身体になるのだ。
おまけにアドレナリンの異常な上昇によって筋力は3倍にも膨れ上がり、動きも俊敏になる。
敵軍に勝つ事だけが正義だと勘違いした宗教勢は悪魔に魂を売った。
宗教勢は次々とシャイニングスターを投与され、「戦う狂戦士」となって行った。
症状は人によって異なるが、中には敵味方の区別が付かなくなる者も出た。これによってベトナムの戦地は血塗れの戦いを回避する事は出来ず
とうとう当時のベトナム軍事政府まで制圧してしまったのである。
歪の両親はシャイニングスターの犠牲となった。歪の前の前でシャイニングスターを投与された両親は
まるで獣のように雄叫びを上げ、敵が死ぬまで攻撃を止めなかった。
これによってまだ少年だった歪の心はもはや崩壊した。
更に悪い事は続き、シャイニングスターの効果が切れたときの症状がまさに地獄絵図だった。
名前は横文字でも薬物は薬物。効果が切れれば待っているのは禁断症状のみである。
歪の両親は狂った。禁断症状で激しい幻覚を見、行動が狂乱へと変わって行った。
手が付けられないと判断した宗教勢はシャイニングスターを投与した人々を次々と銃殺して行ったのだ。
歪の両親もその犠牲となった。歪の目の前で頭をぶち抜かれ、辺り一面に粉々になった脳味噌が散らばる。
見開かれた眼光からは銃殺による衝撃で眼球が飛び出ており。口からはだらりと舌が垂れる。
歪は宗教勢の人々から死体を片付けろと命じられた。「お前は狂戦士の子供、忌み子だ」と罵られ
無数に転がる死体をひたすら処理し続けた。焼却炉で燃やすと言う手段だったが
焼却炉の入り口は狭く、とても人間が入る大きさではない。焼却炉に放り込むためには
死体をバラバラに刻むしかなかった。首を切断し、手足を掻っ切る。それでも入らない部分は更に切断する。
歪は両親の死体は勿論、100体以上ある死体全てを切り刻み、焼却炉に放った。
その時、少年だった歪の心に鬼が宿った。悪があるからいけない。悪こそ全ての邪悪。
憎むべきは悪を操る人間。憎むべきは罪ではない、人間なのだと・・・。
歪は階段を上がりながら小さく頭を振った。久しぶりに思い出した記憶はやはり嫌なものである。
涼風杏里のいる病室の前まで来ると、中で誰かが喋っているのが聞こえてきた。どうやら担当の医師のようである。
しばらくすると医師たちが部屋から出てきた。歪は廊下の影に身を隠し、医師たちが去るのを待った。
病室のドアは開いたままになっていた。閉め忘れたのではなく、わざと開けられているようだった。
歪は気配を消し、足音を建てずに病室へ入った。
涼風杏里はベッドの上で座り、本を読んでいる。読んでいる本は「罪と罰」有名な書物だ。
歪は物音一つ立てずに部屋の脇にある壁にもたれ掛かった。
涼風杏里は想像していた以上に落ち着きのある女だった。瑞々しい黒いロングヘアーに凹凸のある目鼻立ち。
両目には包帯が巻かれており、患者専用の入院服を着ている。ほっそりとした指は古風な雰囲気を感じさせる。
しなやかに伸びた両足を斜めに折り、その佇まいは上品そのものだった。
杏里は静かに本を閉じると、そのままの体制で歪のいる方角へと頭を動かした。
見えるはずが無い。彼女は光を失っている。おまけに歪は気配も消しているのだ。
「こんにちは」
驚いた事に杏里は笑顔でそう言った。顔は歪の方を向いている。
歪は驚きの余り言葉を失った。何故分かる・・・。
「どなたですか?一度もお会いになった事の無い方ですよね」
歪は黙った。しばらく様子を見ようと判断した。
「見えるはずが無い・・・そう思っているのですね。確かに私は見えません。でもそのおかげで心の目が開いたんです。
試しに貴方がどんな方なのか、当てて見ましょうか?」
これにも歪は答えなかった。彼女が自分をどう言い当てるのか興味があったからだ。
「男性の方ですね。身長は180はあるんじゃないかな。黒系の服を着てます。頭には・・・帽子を被ってませんか?」
「驚いたな。何故分かるんだ」
歪はようやく口を開いた。
「光が存在するのは何も目だけでは無いんです。心にも光は宿るんです」
杏里はニッコリと微笑みながらそう言った・・・。
5へ続く・・・。
END