第一話「ジャッジマスター」
「う、う、うわああああっ!!」
男はあまりの恐怖に逃げ出した。自分たちのアジトと言う事もあって、走る速度は速く、動きは俊敏だ。
「コン・・・コン・・・コン・・・」
後ろから迫り来る革靴の音。時折「ピチャ」と言う水分の音が含まれるのは床と共に血溜まりを踏みつけているせいだ。
逃げ惑う男の背後から別の男が迫ってくる。決して走ろうとはしないが、確実にターゲットを追い詰めている。
「うわっ!」
男は白い粉の入った袋に躓き、派手に転倒した。その際額を激しく強打してしまい、わずかに血が滲んでいる。
「コン・・・」
「ひっ!!やめろ!!止めてくれぇ・・・頼む、何でもするから命だけは・・・!」
「哀れなもんだな。自分で集めたヤクに躓き、ヤクの中にコケるとは」
転倒した男の顔には白い粉末がこびり付いている。上物のヘロインだ。
わずか1グラムで数十万と言う値がつく代物である。
男の声は不穏そのものだった。
身長は有に180を超えているだろうか。全身に黒いスーツを纏い、その上にブラックレザーのロングコートを羽織っている。
頭にはウエスタンハットを被り、髪は腰まで伸びており色は金髪。
ウエスタンハットを深々と被っているせいで表情までは見えないが、まるで不敵な笑みを浮かべているようにも思える。
「こ、これ・・・商売なんだ・・・これでも列記とした商売さ・・・」
「商売?非合法で人を騙し、その効果は人間を廃人とさせる・・・それが商売だと?」
ウエスタンハットの男はポケットの手を突っ込んだまま、ジリジリと迫ってくる。
「そもそもあ、あんたはなんなんだ!我々にどんな恨みがあってこんな・・・」
「恨みなどない」
「だ、だったら何故こ、こ、こんな酷い事を・・・」
酷い事・・・それはこの男によって惨殺された仲間の事だった。
彼の仲間はこの男の手によって惨たらしい死を遂げた。頭部を切断された者。皮を剥がれた者。
眼球を抉り出された者。いずれも見るも無惨な死がそこかしこに転がっている。
「あ、あんたは・・・・」
「死神・・・」
「えっ・・・」
「俺はお前の死神だ」
「し、し、し、し、死神っ!!」
男は失禁した。
「悪には悪を持って征する。悪に善意や更正など必要ない」
死神と名乗った男は更に男に近づいた。
「この世には悪でしか征する事ができない悪がある。法律や憲法など役に立たん世界がな」
「ひっ!!や、やめろ!!」
「俺は死神。死を司る者。お前の死は俺がジャッジする」
「うぎゃああああああっ!!」
その瞬間、麻薬売買の常習犯だった男の首は、無惨にも宙を舞った。
「皮肉なもんだ。悪人でも血だけは綺麗なんだからな」
死神は首の飛んだ男の血液を指に滲ませ、白紙の紙にこう書いた。
「天誅、死神」・・・・と。
「殺害された男は麻薬組織の幹部としても有名な人物で、警視庁でもマークしていた人物だったようです。
この麻薬組織は日本のみならず、アジア近辺で巨大なマーケットを所有しており
様々な国による多国籍の巨大麻薬組織である事が分かりました。
日本の暴力団を始め、チャイニーズマフィアなども関わっていると見られており
組織の根絶、そして天誅、死神の行方を追っています。では次のニュースです・・・」
仕事から帰った死神はソファに腰を下ろし、テレビを眺めていた。
やはり思ったとおりあの男は麻薬組織の幹部だったようだ。さすがパートナーが調べた情報だけあって適格だった。
死神はテレビを消すと、静かに目を閉じた。どうやら雨が降り出してきたらしい。窓に打ち付ける雨音が響いた。
死神・・・男の本名は黒神 歪巷では「天誅、死神」として名が通っている。
歪には様々な呼び方がある。まずは本名の「歪」これはパートナーの夜美也 紅麗だけが使う名前だ。
「天誅、死神」、そして裏社会の最深部「魔界」の住人が着けた「ジャッジマスター」と言う名前。
彼を形容する名前は3つある。これだけあるとどれが自分の本性なのか分からなくなりそうだが
当の歪はそうでもないと思っている。どれも自分であって自分では無いのだ。
「ああもういきなり降り出すんだからぁ!!」
テレビの音が消えた無音の部屋に、今では慣れきってしまった紅麗の声が響く。
相変わらず騒々しい事この上ない。おまけに声質が高いため、時折耳障りだなと思うときがある。
「あれ、帰ってたんだ。相変わらず仕事が早いわね」
「出なきゃ始末屋家業なんてやってられんさ」
「それもそうね」
紅麗は買い物袋から食材を取り出すと、それを冷蔵庫に詰めた。
夜美也 紅麗歪の知っている限りでは歳は21歳。変わった苗字と名前だが性別は女だ。
160にも満たない身長は、180を超える歪とは大人と子供ほどの差がある。
髪型はセミロングで色はブラウン。赤縁の眼鏡を掛けており表情はあどけない。
これでロングヘアー、長身であれば大手企業の秘書のような風貌になるだろう。
事実、紅麗はそういうタイプに成りたかったらしいが、その辺は理想と現実の差だろう。
「約束のお金、振り込まれてたよ。ねぇ、今度バッグ買って良い?」
紅麗の甘える声は危険だ。いつも何か欲しがるときはこうして声のトーンが甘くなる。
バッグだの化粧品だの、何かと金の掛かる女の費用は馬鹿にならない。
「自分の取り分の中からなら好きに使え」
歪は素っ気無く言った。
「たまには乙女にプレゼントしようとか思わないわけ?私、一度も歪からプレゼント貰った事ないな〜」
「プレゼントするほど金に困っているとは思えんが」
「まったく、仕事に関しては超一流だけど、女の扱いは三流以下よね、歪って」
「一流には一流の扱いを。三流には三流の扱いをするのが俺のやり方だ」
「あらそう・・・・ってそれって私が三流ってこと!?」
「違うのか?」
「キィィ!今度その口にダイナマイト突っ込んでやるから!」
「楽しみだ」
「憎たらしい!!!死んじゃえ!バカ!」
「死神に死ねとは穏やかじゃないな」
「フン!」
いつものやり取りだ。歪とは正反対の性格を持つ紅麗とはいつもこんな感じなのである。
歪は紅麗が持ってきた新聞を広げた。案の定一面は「天誅、死神事件」が掲載されている。
自分で起こした事件の記事を、自分で眺めるのは妙な気分だが、悪くない。
「ところで、あの男が麻薬組織の幹部だと何処で知ったんだ?」
「ふふん。凄いでしょ。今はネットワークで繋がっててね、何でも分かる時代なのよ」
「これで連中に天誅、死神が知れたわけか」
「いつか襲ってくるかな」
「さあな。俺だと分からん限り無理だろう。いずれにしてもそれならそれで好都合だがな」
「殺っちゃうって」
「そうだ。いずれその時がやって来る。遅いか速いかの差に過ぎん」
「それはそうと、次の仕事の依頼入って来てるよ」
「表か?それとも裏か?」
「ウ・ラ」
表と裏。これは歪の仕事の世界を示している。表は「何でも屋」裏は「始末屋」という事になる。
「依頼者は女性で、詳しい事は良く分からないんだけど、詐欺にあったみたい。
お金は取られ、おまけに妊娠までさせられたらしいわ。子供は結局堕ろしたみたいだけど」
「ターゲットは男か」
「うん。だけどこの男が癖者よ。この界隈では有名なヤツみたい」
「つまり詐欺の常習か」
「そう。彼女が言うには殺して欲しいって。報酬のことも話したらOKだってさ。現金ですぐに払えますって」
「金持ちの考える事は分からんな。それだけの金があるなら詐欺の男などすぐに忘れ、金の力で解決できそうなもんだが」
「それがそうも行かないみたい。実はその詐欺男は彼女の初恋の人らしいのよね」
「初恋?」
「うん。小学生の頃一緒だったらしいんだけどね。あれから数十年経って、まさか初恋の人が詐欺の常習犯になっていたなんて、私でもショック受けそう」
「なるほど、初恋だからこそ増殖した憎しみか」
「そう。初恋の人だったからこそ許せないみたい」
「なかなか面白いな。良いだろう引き受けてやる」
「交渉成立ね」
「お前は依頼人に会いに行け。俺はその男の素性を洗う」
「分かった」
気が付くと雨は止んでいた。どうやら通り雨のようだったらしい。
歪はウエスタンハットを被り、ブラックレザーのコートを羽織った。
また悪が一つこの世を去る。悪を抹殺し、それと引き換えに報酬を頂く。
それが歪の仕事であり、悪を征する絶対的な方法論。
今宵もまた、血の雨が降りそうな兆しだった・・・。
END