05 雨の日
その日の天気は快晴だった。
見上げた空には雲一つなく、春らしい暖かい空気で満ちていた。
だが……。
「ひどい雨だな……」
授業中、窓の外を眺めながらそう呟く。
青く澄んだ空は一転、すべて灰色の雲に覆われ、バケツをひっくり返したような雨が叩きつけるように降っていた。
今は六時限目。これが終われば放課後だ。
今日も、いつも通り椎名の家で勉強をする予定だったのだが。うーん、どうしたものか。
あれだけの快晴だったため、当然傘は持ってきてないし折り畳み傘もない。
それに、さすがに雨足が強すぎる。
これじゃあ、傘をさしてもかなり濡れてしまいそうだ。
「……はぁ」
俺は憂鬱な気分になりながら、雨の音で掻き消されそうになっている先生の声に耳を傾けるのだった。
* * *
放課後。窓の外は相変わらず薄暗いまま。
多少雨は弱くなってきたが、いまだに傘無しでは到底帰れそうにない。
学校に常備されている貸出自由の置き傘もあるのだが、案の定すべて無くなっていた。
俺と同じ状況のやつが他にもたくさんいたのだろう。
しかし、こうなると万策が尽きた。素直に雨が止むまで待つしかない。
そういえば、椎名は大丈夫だろうか。あいつのことだろうし、いつものように俺を待っているとは思うが……。
そう思いながら生徒玄関へ向かうと、いつもは校門で待っている椎名が靴箱前の廊下に立っていた。
「あっ、せんぱーい」
俺を発見するなり笑顔で手を振ってくる椎名。
それに片手を挙げて返してから近づいて、前々から少し疑問だったことを尋ねる。
「なあ。椎名って、必ず先に来て俺のこと待ってるよな」
「はい、そうですけど。どうかしました?」
「いや。俺、いつも授業終わってすぐ教室出るんだよ。なのに必ず椎名が先にいるから、なんか気になってな」
玄関までは、どちらかと言うと一年生のほうが遠かったような気がするんだが……。
すると、椎名は自信満々に口を開く。
「先輩を待つのは私の使命ですからね。いつも教室でクラウチングスタートですよ」
「……嘘だろ?」
「嘘です☆」
ペロッと舌を出す椎名。
というか、俺を待つ使命ってなんだ。俺の彼女か何かか、お前は。
「そんなに無理して早く来なくても俺は勝手に帰ったりしないぞ?」
「いいんです。私が待ちたいから待ってるんです」
きっぱりとそう告げる椎名に、ため息混じりに「そうか」と返す。
まあ、椎名が好きでやっていることに口を出すのは、お節介だよな。
「先輩は今日、傘持ってきました?」
「いや、まんまと忘れたよ。椎名は持ってきたのか?」
「私の女子力を舐めてもらっちゃ困りますね。ほら、このとおり!」
しゅぴーんと、鞄からかわいいピンク色の折り畳み傘を取り出す椎名。素直にさすがといったところか。
すると、椎名がもじもじしながら、
「もう、仕方のない先輩ですね。私と相合い傘したいのなら、そう言えばいいのに♡」
「んなこと思ってねえ」
「そうですかー? でもそうしなきゃ帰れないと思うんですけど」
「そ、それは……」
椎名の正論に何も言えなくなる。
たしかにこのまま雨が止むのを待っていたら、椎名との勉強の時間がなくなってしまう。
彼女と相合い傘をして帰ればすべて解決する、のだが……。
「さすがにちょっと恥ずかしくないか?」
「えー? 先輩は照れ屋さんですね。相合い傘の一つや二つくらい、別にいいじゃないですか♡」
「こ、こら。くっつくなって」
椎名が、猫なで声を出しながら甘えるように俺の腕に抱きついてくる。
周りにいた生徒、特に男子生徒からの視線が痛い。
椎名は一年生の中だと抜群にかわいい……と俺は思う。
そのせいか、健全な男子諸君らの中には椎名を狙ってる奴が少なくない。
そしてその張本人の椎名が、ここ最近家庭教師となった俺にべったりなため、完全に男子たちの嫉妬心を煽ってしまったのだ。
原因は椎名にあると思うのだが、せっかくなついてくれているのを無理矢理引き剥がすのも酷な話。
本当にどうしたものか……。
「せんぱーい? 早く帰りましょうよ~。時間なくなっちゃいます~」
いまだ懲りずに駄々をこねる椎名。
ぐっ、背中に怨念の入った視線が突き刺さる感覚が……。
俺は、もう一度大きくため息を吐く。そして、
「……わかったよ。俺を、椎名の傘に入れてくれないか」
「ふふっ。仕方ないので入れてあげます♪」
「調子に乗るな」
「あて」
軽口を叩く椎名の頭にチョップを入れた後、靴を履き替え外に出る。
ピンクの折り畳み傘を開く椎名。俺は「貸せ」と一声かけて傘を奪う。
「あっ、先輩。傘くらい私がさしますよ」
「遠慮するな。少しだけでも背の高い奴がさしたほうが楽だろ」
「それはそうですけど……」
「ほら、いいから入れ。勉強の時間がなくなるんだろ?」
渋々といった様子で椎名が傘に入ってくる。
最初こそ不満気な態度だったが、少し歩くとすぐにいつも通りの椎名に戻った。
「もう、先輩ったら自分から傘を持ちたいほど私と相合い傘したかったんですね♡」
「お前ほんと調子いいな」
半ば呆れつつ椎名にそう返す。
椎名は、途中からずっと傘を持つ俺の左腕に抱きつきながら歩いている。
そのおかげであまり濡れずには済んでいるのだが、端から見れば完全にただのバカップルである。
「椎名、濡れてないか?」
「はい♪ 先輩にくっついているので大丈夫です!」
「そうか。濡れたらすぐ言えよ。仮にも生徒の椎名に風邪でもひかれたら大変だからな」
「そ、そうですか。じゃあ、その時はすぐ言いますねっ」
「ああ、そうしてくれ」
元はと言えば、俺が傘を忘れたのが原因で椎名の傘に入れてもらってるのだ。
それで椎名が濡れてしまったら、さすがに申し訳無さすぎる。
椎名に気づかれない程度に傘を傾け、彼女に雨がかからないように配慮する。
空からの雨粒と傘から滴る雫が、反対側の俺の肩を濡らす。
冷たい感覚がシャツを越えて肌を襲うが、気にはならない。
そのまま歩き、とある交差点を曲がったところで、椎名が道路側を歩く状態になった。
一瞬どうしようか迷ったものの、視界の奥で水しぶきを飛ばす車が見えたときには体が動いていた。
「椎名、ちょっといいか」
「へ? あっ」
少し腕から離れてもらい椎名を歩道側に移動させ、俺と位置を入れ替える。そして、傘を持つ手を持ち変える。
きょとんとしていた椎名だったが、思い出したように再び俺の腕に抱きついてくる。
先ほどまで冷たかったほうの腕に、暖かい感触が広がる。
「悪い、そっちは濡れてる」
そう言って椎名を引き離そうとするのだが、彼女がそれを手で制止する。
そしてさっきに増してギュッと抱きつき、肩に頭を預けて目を閉じる。
「椎名?」
「村上先輩は、やさしいですよね」
「そうか?」
「はい。今だって、車の水しぶきを私にかけないために場所を変えてくれたんですよね?」
「傘を持ってた手が疲れただけだ」
「こっちの肩が濡れてるのだって、私のほうに傘を寄せてたからですよね?」
「……それも、疲れで傘が傾いただけだ」
「ふふ。素直じゃないですね、先輩は」
肩を揺らして小さく笑う椎名。
察しのいい後輩には、何もかもお見通しだったらしい。
頬が熱くなる感覚が自分でも分かった。……椎名にはペースを狂わされてばっかりだ。
「そんな素直じゃないところも好きですよ、先輩♡」
「そうかよ。俺は、察しの良すぎる後輩が好きじゃない」
「ふふ。それは誰のことですか?」
「さあな」
傘が奏でる、雨音のリズム。
腕を包む、柔らかさと暖かさ。
「(……たまには、雨の日も悪くないかもしれないな)」
俺はそんなことを考えつつも、これからは絶対に折り畳み傘を持ってこようと心に決めるのだった。
最近ワンタッチ自動開閉の折り畳み傘を買いました。すごくカッコイイ。