54 対策
期末考査へ向けて勉強を始めて一日。
椎名の家でのお泊まりを終え、平日の今日。放課後に椎名と生徒玄関で待ち合わせ、椎名の家へ向かう。
昨日は、椎名のお父さんが家を訪ねてきたのがきっかけで色々とあった。
椎名への思いをお父さんに伝え、必然的に椎名にも伝わり。
そして彼女のほうからも、俺への思いと自分の思いを語ってくれた。
お互いにこれまではあやふやで曖昧にしていた感情を開け、そして椎名と約束をした。
椎名が期末考査で学年一位を取った時、そのときにあらためて俺への素直な気持ちを告白するという。
その告白の内容に関しては、さすがに語らずとも分かる。
俺だってもう隠しきれない。俺の心にも彼女と同じ感情が芽生え既に大きく育ってしまっているのだから。
だからこそ俺が心配したのは、その期末考査までの俺たちの生活だ。
彼女には勉強に熱を入れるというのなら、家庭教師としてそれを応援しない訳にはいかない。
というかそもそも椎名の家庭教師をしない日なんてそうそうないわけで、当たり前のように今日も彼女の家へ向かっている。
そこでの椎名への接し方がまだ少しわかっていないのだ。
当然普通に接するのが一番だし、それ以外に何か思うところがある訳でもないのだが。
やはり、お互いの気持ちを知ってしまっている以上、気にするなというのも無理な話だ。
そして、何故そこまで俺が気にしているのかと言えば、目の前の彼女のせいでもある。
俺が椎名への距離感を気にしているように、彼女の方もまた、俺への接し方に少し迷いがあるようだ。
いつもより少しだけ笑顔がぎこちなくて、少しだけ目が合う時間が短くて。……少しだけ、隣を歩く彼女との距離が遠くて。
本当に些細なことだ。でも、それさえもわかってしまう程にお互いを気にしてしまっている。
あまり中身のある話をすることもなく椎名の家に着いてしまう。
お互いに準備をして、いつものように並んで座る。
その距離感もやはり、いつもより少しだけ離れていた。
「そ、それじゃあ始めましょうか」
「あ、ああ」
明らかに上ずった彼女の声。それにつられるように俺も詰まりつつ返事する。
昨日の時点ではこんな風にはならなかったのに、一晩開けるとテンションの違いのせいか無性に気恥しさが出てきてしまう。
それだけならまだしも、さらに問題になってしまったのは彼女の勉強のほうだった。
このなんとも言えない空気のせいか、全くと言っていいほど集中出来ていない。
少々の凡ミスであればまだしも、いつもであれば間違えるはずのない初歩的なミスも多くあった。
「えっと……椎名?」
「は、はい……」
耐えきれず、俺は彼女に問いかける。
彼女も自覚はあったようで明らかに低いトーンの声で返事をする。
「第三者の俺がが言うのもあれだけど、今日は集中出来ていないよな」
「ご、ごめんなさい……」
「あ、いや。責めるつもりはないんだ。それに関してはお互い様だし」
しょんぼりと俯いてしまう椎名を元気づけるように、俺は彼女の頭を撫でる。
「俺の方こそ悪かった。その、今の椎名との距離感がうまく掴めなかった。気にさわったのなら謝る」
「いえ、私こそごめんなさい。なんだか今日は先輩の顔がしっかりと見れなくて……」
少し頬を染めて、視線を横に逸らしながら謝ってくる椎名。ちょっとかわいいなと思う反面、寂しい気持ちもあった。
俺は思い切って、自分から彼女の手を握る。そして、びっくりしてこちらを見た彼女の目をじっと見つめる。
椎名と、至近距離で見つめ合う。
とっさの状況に彼女も動揺していたが、俺は彼女から目をそらさない。
ああ言っていた彼女も、俺のあまりの剣幕に何も出来ずにただ俺の目を見つめていた。
「なんだ、そんなこと言いつつちゃんと目合わせてくれるじゃないか」
「な、ななっ、なんですか急に! それに今のは先輩がっ」
「俺が?」
「せ、先輩、が……。うぅ、先輩、ずるいです」
「何がずるいんだ?」
「そ、そうやって余裕ある感じがずるいですっ!」
もう知らないと言わんばかりにぷいっと顔を背ける椎名。
俺は心の中で笑いを堪えながら、もう一度椎名の頭を撫でる。
「少しはこれまでの俺の気持ちが分かったか?」
「そ、そんなこと、私はしてませんから」
「どの口が言うんだか」
「この口ですぅ~」
唇を尖らせてぶーぶーと不満を垂れる椎名の生意気な口。
一瞬だけその唇に意識がいって、変なことに思考が回ってしまうのをぶんぶんと頭を振って脳の外に出す。
まずい、色々吹っ切れたせいでバカみたいことを考えてしまう。今はもっと集中しなければいけない時期だと言うのに。
「とりあえずは焦らずに行こう、椎名。テストまではまだ時間がある。ゆっくりと考えていこう、色々と」
「はい、そうですね」
そうして、いつもより早めに休憩をとってから勉強を再開する。
椎名も少しだけ心の整理が出来たのか、先程よりかは幾分調子が戻っていた。
それから数日、だんだんと俺たちの距離感は元通りになっていった。
それに比例して、椎名から何かとドキドキさせられたりすることも増えていったが、今となってはそれも心地よい刺激になっていた。
「先輩、ここの問題なんですけど」
「そこはこの公式でいけるが、実はそれを使わくても行ける。前にやったこの定理を応用するんだ」
「りょうかいですっ」
椎名も、この短期間でかなり力がついてきた。
これなら学年一位も余裕……とまではいかないかもしれないが、確実に目標には近づいていっている。
「じゃあ今回のテストではこの公式は覚えなくても大丈夫ですか?」
「いや、そうでもない。一位を狙うとなると要は満点を目指すという考えたほうがいい」
「満点ですか……」
「ああ。そのためには山を張るという考えは捨てて範囲の全てをやるしかない。さっきの考え方は、あくまでもしもの時の保険として憶えておいほしい」
「……なんだか、先輩。すごく慣れてませんか?」
「え、そう見えるか?」
「はい、なんだか自分でもそういう経験があるんじゃないかって思うほどに納得出来ることばかりなので」
「まあ、たしかに一時期、そういうこともあったかな」
椎名の言っている予想は当たっている。
彼女が入学してくる前、俺が高校一年生の時に学年一位を狙っていたときがあった。
結果から言えば、惜しくも三位という微妙な位置だった。
その時は自分なりに努力を重ね、これ以上やることはないと思えるほど勉強をした。
しかし、その結果は自分が思っていた順位にも点数にも届かなかった。
あとから反省すると、完璧だと思っていた勉強の中にはかなりの穴があることが分かった。
先生が口の説明だけで話した内容。教科書に小さく載っている注釈。そういった見落としがちな範囲の問題のミスが、大きな差となってしまう。
「あえて経験者ヅラして言うなら、当然簡単なことじゃない」
「分かってるつもりです。でも、だからこそ意味がある事なんです」
「そうだな。もし椎名が目標を達成できたら、教師の俺を越えたことになるな」
「ふふ。出藍の誉れ、ですか?」
「しっかり覚えててくれて、先生は嬉しいよ」
「先輩の教えてくれたことは忘れませんから」
「教師冥利に尽きるな」
嬉しいこと言ってくれる椎名に心を暖かくなる。
こんなことを言われてしまったら、何がなんでも椎名に一位を取らせてやりたい。
それが家庭教師としての俺の立場からできる、ある意味での恩返しかもしれない。
「それじゃあ、嬉しいことを言ってくれた椎名にプレゼントをあげようか」
「え、プレゼントですか!?」
「ああ、見て驚くなよ? はい、これ」
「…………ノート?」
俺のプレゼントという単語に一瞬目を輝かせるが、素朴なノートを見てその光がロウソクのようにフッと消える。
「なんですか? このノート」
「今回の椎名のために作った、テスト対策ノートだ」
「えっ?」
その言葉を聞いてすぐに椎名はノートを開いて中を確認する。
対策ノートなんてそれっぽい名前を付けているが、実際の中身はやるべき範囲や重要な語句、俺の体験談に基づく出題予測や例題をただ単にまとめただけのものだ。
「こ、これ、先輩が作ってくれたんですか?」
「さすがに他に作ってくれるやつはいないだろうな」
完成度に関しては自分ではまあまあと言ったところだが意外にも制作には時間がかかっている。
実際に頑張るのは椎名本人だが、家庭教師として、そして先輩としてこれくらいはしてやりたい。
「すごいです……先輩、私すごく嬉しいです」
「喜んでもらえたのなら俺も嬉しい。良かったら活用してくれ」
「もちろんです!」
そのノートを抱きしめて、今日一番の笑顔を見せてくれる椎名。そのまま彼女は勢いに任せて俺に抱きついてくる。
そのままぐりぐりと頭を寄せてくる椎名を振りほどけず、俺は頬をかきながらしばらくそのまま好きにさせてやるのだった。
いいぞもっとやれ。




