49 罰ゲーム
ソファに二人で腰掛け、無言のまま時計の針だけがひとりでにカチカチと進んでいく。
自分の頬と耳はじりじりと熱く、横目に見た椎名の顔も見事に赤色に染まっていた。
まさか、ほんの遊びのゲームがあそこまでヒートアップしてしまうとは思いもよらなかった。
あんなギリギリなことをしてしまったあとに、普通に会話するなど俺達には到底無理な話だった。
そんな、つっかかって嫌がる喉を無理やりに開いて沈黙を破る。
「し、椎名」
「ひ、ひゃぃ。な、なんですか……?」
「えっと、もういい時間だし、そろそろ寝ないか?」
「そ、そうですねっ」
そう早口で答えた椎名は、いそいそとベッドから立ち上がり「歯磨きしてきますっ」と言って洗面台のほうへ駆けていった。
俺はお風呂上がりに済ませてしまったので、ついていく必要は無い。
彼女がいなくなったことで、だんだんと頬の火照りか収まっていくのを感じながら待機する。
頭が少し冷静になってきて、ふと思ったが俺はどこで寝れば良いのだろうか。
もちろん、こちらが泊まらせてもらっているわけで、もしもとなれば床でもソファでも場所はいとわないつもりだが。
しばらくすると彼女が戻ってきて、そのタイミングで俺の寝床について聞いてみる。
「それでしたら大丈夫ですよ。押し入れの中に布団がありますので」
「あ、そうなのか。気を使わせて悪いな」
「いえ、私がしたくてやっていることですし、気にしないでください」
「ありがとな、椎名」
健気で真面目な椎名が無性に可愛く感じて、無意識のうちに彼女の頭を撫でてしまっていた。
彼女は小さく「ひゃっ」と声をあげて目を閉じる。その声で我に返り、パッと手を離す。
「わ、悪い。嫌だったか?」
「べ、別に嫌では、ないです……よ?」
椎名の、まるでもっと撫でて欲しいとでも言いたげな甘い上目遣いの視線に、思わず息が詰まる。
先程のことがあったせいか、余計に変な方向へ思考が回ってしまう。
その邪念を振り払いながらも、椎名の言葉に甘えてもう一度手を伸ばし頭に乗せる。
相変わらず彼女の髪はさらさらで触り心地が良い。
そして、それに加えて今はシャンプーか何かのいい香りがして、鼓動が早まる。
椎名も、さっきの言葉通り嫌がっている様子はなく、目を閉じてされるがままになっている。
そのまま、やめ時が見つからず永遠と彼女の頭を撫で続けてしまう。
椎名の髪の触り心地が良すぎるのもそうなのだが、俺が手の動きを緩めると、物欲しそうな顔で見つめてくるのが何よりもずるい。
しかし、このままだと冗談抜きでエンドレスになってしまいそうなので、心を鬼にして手を離す。
「あっ……」
頭を撫でるのをやめた瞬間、彼女が悲しげに声をこぼす。
「は、早く寝ないと、その、肌とかに悪いんじゃないのか……」
そんな彼女に動揺して、思わず言い訳のように言葉をまくし立ててしまう。
彼女は不服そうに口を曲げながらも、俺の意図を飲み込んでくれる。
「えっと、布団はあの押し入れの中か?」
「はい、そうです……けど」
「え、椎名?」
椎名の言葉を聞いた俺がベッドから立ち上がり押し入れに行こうとすると、彼女がそれを阻むように前をふさいできた。
彼女の行動の意味が分からずにしばらく見つめていると、小さく口を開く。
「やっぱり先輩は布団を使っちゃダメです」
「え? それってどういう……」
「……さっきの愛してるゲームの罰ゲーム、まだでしたよね」
「罰ゲームがあること自体初耳なんだが……」
まあ、仮にそれが前提になくとも、俺の出せるすべてを出し切った勝負だったわけで。
それ故の罰ゲームであれば、甘んじて受け入れるつもりだが。
「それで、その罰ゲームの内容は? 床で寝ろ、か?」
「そ、そんな酷いことはしません! 先輩にはきちんとベッドで寝てもらいます」
「椎名はどうするんだよ。椎名を布団で寝かせて俺だけがベッドなんて、椎名がよくても俺が嫌だからな」
「そこは問題ありません。私もベッドで寝ますから」
「……ん? おい、それって」
彼女は俺の顔を見て、にやっと笑う。
「はい。先輩には罰ゲームとして私と一緒のベッドで寝てもらいます」
「……は?」
眠気で頭が回っていないのか、椎名の言葉がすぐに理解できない。
というか、キレキレに頭が回っていても理解できない気がするが。
「いや、待ってくれ椎名。自分が言ったことの意味、分かってるのか?」
「分かってます。ちなみに、先輩に拒否権はありませんから」
「待て待て。意味がわかっているならなおさらダメだろう。いつも言ってるが、椎名はもっと危機感を持て」
「私だっていつも言ってますけど、こんなことをするのは先輩だけですから」
「たとえ俺だけでもだ。俺だって一応男なんだからな?」
「そんなこと分かってます。私は別に、先輩になら、そ、そういうことされても、い、いやではないですから」
「し、椎名……」
言葉をつっかえさせながらも、いつになく真剣な眼差しで伝えてくる椎名に、思わず息を飲む。
さっきは少し脅すようなことを言ったが、死んでも彼女が傷つくようなことをするつもりは無い。
面と向かって嫌ではないなんて言われるとかなり心にくるものがあるが、俺のケジメとしてそこは譲れない。
相手が大切であればあるほど、軽々しくそういうことは出来ない。
しかし、俺も立派な男子高校生に成長してしまったわけで、いざそんな状況になったときに理性が持つかは分からない。
だから、一緒に寝るなんていう行為は、どう考えても俺の体によろしくない。
「だが、一緒に寝るって言うのはさすがに……」
「ダメ……ですか?」
「……っ」
きゅっと俺の寝間着の裾をつかみ、上目遣いで聞いてくる椎名。
その瞬間から俺の理性は音を立てながら崩れていった。
潤んだその瞳から目が離せなくなり、気づいた時には首を縦に振ってしまっていた。
隣に感じる温かさ、そして自分以外の動きできしむベッド。
耳に入ってくる、時計の針の音と彼女の息遣い。時々触れ合う服と服、手と手。
そのすべてが俺の鼓動を早め、先程まで感じていた眠気はどこか遥か遠くまで飛んでいった。
にわかには信じられない今の状況。苦し紛れに頬をつねってみるが、当たり前のように痛みが走った。
「ふふっ。先輩、何してるんですか?」
「え。あ、いや」
「もしかして、これは夢なんじゃとか考えてたんですか?」
しまったと思った瞬間には、時すでに遅し。見事にバレバレだった。
「そりゃあ、いきなりこんな状況になったら疑いたくもなるだろう。椎名は平気なのか?」
「私だって緊張してますよ。先輩がこんなに近くにいて、すごくドキドキします」
「そ、そうか……」
口元をゆるめて、えへへと恥ずかしそうに笑う椎名。枕一つ分もないその距離感の笑顔は、俺の胸を大きく跳ねさせ、締めつけた。
そんな俺に追い打ちをかけるかのように、彼女は布団の中の俺の手をぎゅっと握ってきた。
「な、なんだよ」
「先輩、なんだか落ち着かない様子でしたから、こうしたら良くなるかなと思いまして」
「誰のせいだと……もう勘弁してくれ」
口ではもっともそうなことを言う椎名だったが、顔はいつもの小悪魔スマイルでこちらを見つめていた。
これ以上彼女のことを意識すると頭がどうにかなってしまいそうで、目を逸らして視線を天井へ向ける。
すると椎名も、俺の手を握ったまま天井を見上げる。
「不思議な感じです。こうして、先輩といられることが」
「俺も、まさか椎名と一緒のベッドで寝るとは思ってなかったよ」
「それもそうですけど、私のはそういう意味じゃないです。もっと大きくて大切なことです」
「……まあ、言いたいことは分かるさ」
俺だって普通の人間だ。相手の気持ちを察するということも少なからず出来るようになってきた。
椎名がどういう意味でその言葉を口にしたのか。彼女の声色から判断出来るくらいには、わかっているつもりだ。
「でも、それは不思議なことじゃない」
「え?」
「椎名が考えているよりずっと、俺の気持ちは大きいってことだ」
「そ、それって……?」
「これ以上は言えない。誤魔化せなくなるからな」
天井から目を離し、椎名のほうを向く。彼女もきょとんとした顔のまま目を合わせる。
俺はひそかに笑いながら彼女の後頭部を撫でる。
「じゃ。おやすみ」
「あ、先輩……」
彼女が何かを言いかけたのを無視して目を閉じる。このままだと本当にボロが出そうだったので、椎名には悪いが寝たフリをさせてもらう。
暗闇の向こうの彼女はしばらく固まったままだったが、不意にのそっと体を動く。
そして、突然俺の胸に温もりが広がる。
思わず半目開きで確認すると、椎名がぴったりと俺に体を寄せてきていた。
今度は俺が固まってしまう番だったが、なんの抵抗もなく身を委ねてくる彼女をひどく愛おしく思ってしまった。
気づけば、椎名に握られた右手をそのままに、もう片方の手を彼女の背中に回していた。
やさしく、その華奢な体を抱き寄せて、もう一度目を閉じる。
遠出していた眠気が自然と帰ってきて、心地よい感覚の中俺は夢の世界へ落ちていった。
てぇてぇ。




