04 休憩
「せんぱーい、ここの問題が分からないんですけど~」
「おい。しっかり教えてやるからくっつくなって」
「まあまあ、遠慮なさらず~♪」
「遠慮じゃなくて拒否してるんだよ」
「ちょっとだけですから♡」
甘い声でそう囁きながら、性懲りもなくくっついてくる椎名。
もう、振り払うのにも疲れてしまい、好きにさせることに。
椎名と初めて会ったときから数日後の放課後。
椎名の家庭教師は、なんだかんだ言いながら毎日継続している。
いつも生徒玄関で待ち合わせて、一緒に椎名家まで歩いている。
そのせいで、友人たちからはよく椎名との関係を聞かれる。
そのたび、正直に家庭教師をしていると伝えるのだが、案の定首を傾げられてしまう。
本当に、それ以上でも以下でもないんだが。
「あ、先輩。喉渇いてませんか? 飲み物持ってきますよ」
「ああ。ありがとう」
俺の言葉に微笑みを返してから、椎名はキッチンへ歩いていく。
ちょうど喉が渇いていたとこだったので、ありがたい。
……まあ、その原因は他でもない椎名のせいなんだが。
「先輩、烏龍茶とオレンジジュース、どっちがいいですかー?」
「烏龍茶で頼む」
「わかりました~♪」
キッチンから聞こえてくる間延びした声。
なんとなくそちらを見ると、背を向けた椎名が手を伸ばしながらぴょんぴょん飛び跳ねていた。
……なんだあれ。
「ふんっ、ふんっ」
伸ばした手は、だいぶ高い位置にある食器棚に向けられていた。
ちょんちょんコップに触れてはいるものの、取り出すことは出来ていなかった。
というか、見るからに危ない。あれじゃあ、いつ食器が降ってくるか分かったもんじゃない。
仕方なく俺は腰をあげキッチンに向かう。
「ほら、取りたかったのはこれか?」
「あっ。ありがとうございます、先輩……」
椎名の後ろから腕を伸ばし、ちょんちょん触ってたコップを取り出し椎名に渡す。
何故か、椎名は恥ずかしそうにコップを受けとる。
「せ、先輩。不意打ちは反則だって言ったじゃないですか……」
「は? 今のも不意打ちに入るのか?」
「当たり前じゃないですか! 乙女の心は、繊細で純粋なんですよ?」
「自分で言うな」
憤慨する椎名にツッコミを入れる。
たしかに大多数の女子はそうなのかもしれないが、自分で言ってしまうお前は何かが違う気がする。
「先輩は自覚が足りません! 私みたいな繊細な乙女にとっては嵐みたいな存在なんですよ!」
「マジか、俺にはジャニーズみたいなかっこよさがあったのか」
「そっちの嵐じゃないですよ! 災害です、災害!」
「俺はただ単に椎名が困ってたから助けてやっただけなんだが」
「そ、それはそうかもしれませんけど……。うぅ、とりあえず先輩は自覚を持ってくださいっ! 他の女の子に軽々しくそういうことしたらダメなんですからね!」
「わ、わかったよ。これからは気を付ける」
さすがに言い過ぎではと思ったのだが、あまりにもすごい剣幕だったため、反射的に肯定してしまう。
それを言うなら、椎名にも軽々しく俺に抱きついてくるのをなんとかしてほしいのだが……。
「じ、じゃあ、お茶とお菓子持って行くので、先輩は先に戻っててください」
「あ、持っていくくらいなら手伝……」
「せんぱ~い?」
「……すまん」
笑ってない笑顔で問いかけてくる椎名に素直に謝り、リビングのテーブルへ戻る。
親切心百パーセントで言っているのだが、椎名さんは納得してくれない様子。今後は気を付けたほうがいいかもしれない。
うーん、気遣いすることに気をつけるとは一体……。
「はい、先輩。お茶持ってきましたよ」
「ああ。ありがとう、椎名」
お盆に、お茶を二つとかわいらしいクッキーを乗せて椎名が戻ってきた。
「どうせですし、少し休憩しましょうか」
「だな」
教科書やノートを片付け、空いたスペースにお盆を置く。
そして椎名は、再び俺の横へ腰をおろす。
「いただきます」
「ふふ、召し上がれ~」
烏龍茶を一口飲んだ後、クッキーを一つ頂く。
「あ、うまい」
「ですよね♪ それ、最近お気に入りのクッキーなんです」
「そうなのか。いいな、これ」
「気に入っていただけて嬉しいですっ」
椎名もクッキーを一つつまみながら、そう嬉しそうに微笑む。
「椎名は、甘いものとか結構好きなのか?」
「そうですね~。でもまあ、すぐに体型に出ちゃうのでそんなに食べれないんですけどね」
「そうなのか? 俺はもう少し肉がついてても大丈夫だと思うけどな」
「わかってないですね、先輩は。そんな甘い考えじゃ乙女の世界は生きられないんですよ?」
「そ、そうなのか……?」
「はい。女の子は大変なんです!」
胸を張って、誇らしげに言う椎名。うーん、そうは言ってもなあ……。
隣に座る椎名の腕を手に取る。
「ひゃっ!?」
「こんなに細い腕だとさすがにちょっと心配なんだが」
「───っ!」
「? どうかしたか? 椎名」
「な、なんでもないです! いいからその手を放してください! 先輩の雑菌が移ります!」
「悪口にもほどがあるだろ……」
さすがにそれは心に刺さる。雑菌扱いなんて、小学校の時でもなかったぞ。
椎名の些細な一言が、俺をひどく傷つけた……。
「というか、さっきまで自分からくっついてきたてじゃねえか」
「そ、それは……。せ、先輩から触ってくるのはセクハラですから!」
「理不尽すぎないか、それ」
「もしも、どうしても先輩が私におさわりしたい場合は、私に命令してください。俺にくっついてくれって」
「なんだよその謎制度」
なんでいちいち椎名にそんな変な命令をしなきゃならんのだ。
いや、まず俺が椎名に触りたいと思う場面なんてそうそうない気もするが。
でもまあ仕方ない。さっき自覚を持てと言われたばかりだ。
椎名だって、色々問題はあるが普通の女の子だもんな。
「……わかったよ。気軽に触って悪かった」
「わ、分かればいいんです」
そう言いながらそっぽを向いて、もう一つクッキーを口に入れる椎名。
俺も、もう一つをクッキーを食べ、またお茶を飲む。
会話のないまま、二人してお茶とクッキーをいただくだけの時間が過ぎていく。
最後のクッキーを食べ終わった時、椎名が口を開く。
「せっかくなので、もう少し休憩していいですか?」
「別にいいが、しっかり勉強もしろよ」
「大丈夫です。休憩した後しっかりやりますから♪」
調子よく話す椎名に内心をため息をつきながら「そうか」と返す。
すると、椎名が体ごとこちらに向けて話しかけてくる。
「先輩、その姿勢のまま体を私のほうに向けてくれませんか?」
「ん? こうか?」
胡座をかいたまま、言われた通り椎名のほうへ体を向ける。
「お邪魔しまーす♪」
「なっ」
なんの前置きもなく、椎名が俺の足に頭を預けてきた。
足の中で仰向けになって横になる椎名。俗に言う膝枕状態である。
「お、おい。何してんだ椎名」
「何って、休憩ですけど」
「なんで俺の膝を枕にしてんだよ」
「一番寝心地が良さそうだったので♪」
「お前なあ……」
椎名は楽しそうに微笑んだ後、目をつむって体を横にして幸せそうに寝始める。
本当に何がしたいんだ、こいつは。
「くぅ……くぅ……」
「本当に寝やがったし」
静かに寝息をたてる椎名。……くそ、かわいい寝顔しやがって。
俺だって健全な男子高校生なわけなんだが、椎名には全くと言っていいほど危機感が無さすぎる。
「世話の焼ける後輩だな」
俺はそう呟きながら、なんとなく椎名の頭を撫でる。
撫で始めてから、さっきの椎名の話を思い出す。……まあ、ちょっとくらいはいいよな? 寝てるんだし。
椎名の髪は、すごいさらさらで正直めちゃくちゃ撫で心地が良かった。
「んぅ……」
椎名が少し声を漏らして体を動かす。……寝てるんだよな?
しばらく様子をうかがってみるが、特に変わったこともなく、また寝息をたて始めた。
それを確認してから、俺も再び椎名の頭を撫で始める。
心なしか、幸せそうに眠る椎名の口元が、ほんの少し緩んでいた気がした。
膝枕は、してもらうよりしてあげる派です。