48 愛してる
例の胸きゅんランキングの効果はやはり絶大なようで、その絶大さゆえに椎名が拗ねてしまった。
結局あの後は、映画が終わるまで口すら聞いてくれなかったが、その後色々と手を尽くしてなんとか機嫌を直してくれた。
二時間弱ほどの長さの映画だったが、時計を見ればまだ就寝時間には早い。
まあ、良い子が寝る時間であることには変わりないのだが、残念ながらここには先輩しかしない。
「先輩、何しますかー?」
ベッドの上に寝転がって、ごろごろと転がりながら椎名は問いかけてくる。
その様子は猫を彷彿とさせて、かわいくはあったのだが、ただでさえ薄着のパジャマ姿なのに、それで無防備に服が乱れているので目のやりどころに困る。
ちなみに今俺がいるのは椎名の部屋。ベッドの上に腰掛け、その横で椎名が寝転がっている。
これまで家庭教師として椎名の家に来ていた時は特に機会もなかったため、椎名の部屋に入るのは今日が初めてだ。
実家のほうからあまり家具を持ってきていないのか、この前見た紗月の部屋と比べるとシンプルなレイアウトだった。
勉強机とクローゼット、本棚、シングルベッド。
大きな家具はこのくらいで、あとは少し小物が置いてある程度。
とはいえ女の子の部屋には変わりなく、なんとも落ち着かない彼女の匂いがする。
なるべくそっち方面の意識に向かないようにしながら、椎名の問いに答える。
「そうだなあ。やっぱり定番なのはトランプとかボードゲームとかじゃないのか、普通」
「え~? せっかくのお泊まりなんですよ? もっとこう、エキサイティングなことじゃないと」
「椎名はお泊まりに一体何を求めてるんだ」
「例えば……恋バナとか!」
「聞けよ。というか、椎名の中で恋バナはエキサイティングなのか」
女子同士のお泊まりで恋バナというのはなんとなく想像出来るが、一対一の男女でも盛り上がれるものなのだろうか。
そもそも、俺自身大した恋バナなど持ち合わせてはいない。
それっぽいエピソードもついこの間に椎名には話してしまったし、完全に持ちネタはゼロだ。
「この前は先輩のお話聞かせてもらいましたし、私の話も聞きたくないですか?」
「いや、特に聞こうとは思わないが」
「ぶーぶー。もっと興味持ってくださいよー」
「そうは言われてもな」
「じゃあいいですよ。二人で筋トレでもしましょうか」
「おい待て。急にエキサイティングすぎだろ」
女子高生の口からそんな言葉が軽く出てきてしまうことに思わずツッコむ。
いや、ダイエットがどうのこうのとという話題も多いし、筋トレっていうのも珍しくない単語なのかもしれない。
椎名の腕と足は、思わず心配になってしまうほどに細く見える。
それ以上痩せる必要などどこにもないと思うのだが……。
「そもそもうちにはトランプもボードゲームもありませんし」
「え、そうなのか」
「今の実家のほうにはあると思いますけど、ここにあるのはあのテレビゲームだけです」
いつもは暇つぶしや休憩の際にお世話になっているテレビ用のゲーム機。
当然それを使って寝るまで時間を潰すのもありだと思うが、椎名はお泊まりならではの遊びをご所望らしい。
俺の頭のレパートリーではこれ以上何かが出てくる気配は無さそうだったので、携帯で少し調べてみることに。
俺が携帯を触り出すと、椎名がモゾモゾと寄ってきて、膝の上に乗りかかるように画面を覗いてくる。
お風呂上がりの椎名の香りにドキドキしつつ、検索サイトにそれっぽいキーワードを入れると、そこそこの検索結果がヒットする。
一番上のサイトを見てみるが、やはりカードゲームやボードゲームが上位に出てくる。
「ほら、やっぱり定番はこういうものだろ」
「むぅ……いや、他にもあるはずです……」
納得いかない様子の椎名が、勝手に俺の携帯を触って、ページを次へ次へと送っていく。
しばらくすると「あっ!」と椎名が声を出す。
椎名の手が止めた画面に映っていたのは『相手の好きなところを言い合う』というものと『照れたら負け、愛してるゲーム』の二つの文。
「ほら、こういうのですよ! 私が望んでいたのは」
「いやこれ、カップルの方でって書いてあるぞ」
「ちぇ、バレたか……」
「おい」
妙にそれらしい舌打ちをするものだから、ツッコミながらも思わず笑ってしまう。
最近ではもう、学校での俺たちの噂は聞かなくなったが、椎名と俺は付き合っているわけではない。
俺にとって椎名が大事な存在であることは確かだが、それを恋愛感情という確証はない。
だから、そんな曖昧な気持ちを彼女に押し付けることはしない。
とはいえ、見ていたサイトに男女二人のお泊まりなんていう限定的な項目は、当然カップルが対象のものしか載っていないわけで。
「何度も言いますけど、せっかくのお泊まりですよ? その、たまにはこういうこともいいじゃないですか……」
悲しげに、しょんぼりした顔でそんなわがままをこぼす椎名に、俺は言葉を詰まらせる。
今日のお泊まり自体、椎名へのお詫びの埋め合わせだ。可能な限り椎名の望みは叶えてやるつもりで意気込んで来たのだ。
その椎名がこう言っているのだから、俺もいつまでも変な意地を張ってないで、腹を括るしかない。
「……わかった。椎名の好きなようにしてくれ」
「い、いいんですか? 先輩」
「ああ。俺に出来ることならなんでもしてやる」
俺がそう返せば、椎名は嬉しそうに目をキラキラさせる。
こんな顔が見れるのであれば、もっと喜んでくれるように頑張ろうとも思える。
「ではさっそく、愛してるゲームしましょう!」
「初っ端から高難易度だな……」
「いやぁ、このゲームを考えた人は天才ですね。先輩、準備はいいですか?」
「ああ」
愛してるゲームとは、互いに相手に「愛してる」と言葉を送りあって、先に照れてしまったほうが負け、といういかにもカップル御用達のゲームである。
運要素のない単純なルールゆえに、ある意味相手やお互いの実力が顕著に出るゲームといって過言ではないだろう。
二人してゴクリと息を飲んで、俺は椎名のスタートの合図を待つ。
椎名が「スタート!」と言ったあと、彼女は様子見といった感じで口を開く。
「先輩、愛してますよ」
「……ああ」
最初ということで、さらっといった感じで愛を伝えてくる椎名。
なるべく感情を出さないように、ぶっきらぼうな返事をするが、脈拍は少しだけ早くなった。
いつものように、軽くあしらっている時でさえ少なからず動揺しているというのに、肯定して受け止めるとなると、いつも以上に心臓が忙しなくなる。
椎名に気づかれないように小さく深呼吸をしたあと、俺も負けじと彼女に言葉を返す。
「俺も愛してるぞ、椎名」
「はい、知ってますよ」
うふふ、と余裕な笑みを浮かべて返してくる椎名に思わず眉がよる。
この後輩の余裕さはなんなのだろうか。ある意味で全く異性として意識されていないということなのか。
だからと言って特に何か思うところがある訳でもないが、俺だけがドギマギしているというのが気に入らない。
椎名がそうくるのであれば、俺ももう遠慮はしない。
セクハラだのなんだのと言われても絶対に勝ってみせる。
「好きだ。大好きだ、椎名」
「んっ……私も大好きですよ、先輩」
「椎名の全部が好きだ。世界一かわいい。もう椎名しか見えないくらい愛してる」
「ふ、ふにゃ……わ、私も……」
「綺麗で、かわいくて、明るくて真面目は性格。そんな椎名が好きで好きておかしくなりそうなくらい好きなんだ」
「あ、あぅ……」
俺の攻撃がそこそこ効いているのだろうか。彼女は何も言い返さずに俯いてしまう。
言っているこっちのほうが、顔から火が出そうなほど恥ずかしいのだが、今回の目的のためなら背に腹はかえられない。
「ど、どうだ椎名。降参か?」
「ま、まだ……です」
椎名は、小さいながらもたしかな意志を持った声でそう答える。
彼女は気合いを入れ直すように、ぺちぺちと自分の頬を叩く。
曖昧なルールに加えて彼女のセルフジャッジによると、今のはセーフらしい。まさか、これ以上の攻めが必要だというのだろうか……。
どうしたものかと頭を悩ませていると、椎名の顔が一気に近づいてきた。
鼻先が触れ合ってしまいそうな程の距離に、彼女がいる。
しかし、その先は考えていなかったのかおろおろと目を泳がせている。
すでに俺の理性もギリギリなのだが、向こうから来ないのであればこちらから行くまで。
俺は目前まで近づいた椎名の目を見つめ、それに気づいた彼女と目が合うと、右手を優しく彼女の顎に添える。
そして、そのまま彼女の顔を少しだけ持ち上げ、こちらに顔を向かせる。
「ひゃっ……」
椎名が消え入りそうなか細い悲鳴をあげる。
そのまま彼女の目を見つめ続けると、彼女も目をそらさずにこちらを見つめてくる。
……と、勢い余っていわゆる顎クイをやってしまったわけだが、ここからどうすればいいのだろうか。
なんとなくだが、この後の定番の展開は知っている。しかし、俺がそんなことをする勇気を持っているはずもなく、そこから動けなくなってしまう。
「せ、せんぱい……?」
ついには、椎名の方から名前を呼ばれて問いかけられてしまう。
その、何かを期待しているかのような、とろんとした瞳に心臓がはねる。
さすがに耐えきれなくなり、ええいままよとさらに彼女に顔を近づける。
視界の中に椎名以外は写っておらず、お互いの吐息さえもしっかりと感じられる距離。
五感の全てが彼女でいっぱいになり、頭の中は真っ白になる。
彼女も耳まで真っ赤に染めて、俺の目を見つめたまましきりに目をまばたかせる。
「椎名」
「せ、先輩……」
彼女の名前を呼ぶと、彼女も控えめながら返してくれる。
そして、それを合図にしたように彼女はゆっくりと瞳を閉じる。
それが意味することは口に出さずとも分かる。あとは俺の勇気一つだけで、おそらくこの勝負の決着がつく。
一つ息を飲み込み、俺は椎名の顎に添えた右手はそのままに、左手で彼女の頬に触れる。
手のひらには、すべらかな感触と温かい温度を感じた。
そのまま俺は、その綺麗な顔にゆっくり近づき唇を寄せ──
「こ、降参で……」
耐えきれず、情けなく両手を上げるのだった。
へたれぇ。