47 鑑賞
頬に温かくて肌触りの良い感触を感じる。
覚醒しきっていない朦朧とした意識の中、その感触を求めるように手を伸ばす。
触れたその手をさわさわと動かすととても気持ちよくて、思わずそのまま動かし続ける。
すると、頭の置かれた場所がぴくっと動いた。それに違和感を感じて、ゆっくりと目を開ける。
……そこには、かわいらしいピンク色をしたパンツがあった。
「………」
思考が停止する。しかし、意識は完全に覚醒した。
目の前に広がるこの光景。夢なのではと頬をつねれば、当然のように痛みが走る。
自分の頭が乗っている場所はそのパンツからすらっと伸びる純白の肌。
段々と記憶が戻ってくる。昼食を食べたあと、強制的な椎名の膝枕で俺は寝てしまったのだろう。
そのこと自体は、不本意ではあるがとりあえずは良しとしよう。
問題なのは、このピンク色である。
ちらっと視線だけを上に向けると、ピンク色と同じくらいの破壊力を持つ双子山の向こうに、すうすうと息を立てて眠る椎名の顔があった。
彼女も俺に釣られて寝てしまったのだろうか。なんというか、いくらなんでも無防備すぎる。
ちなみに俺は、先程からずっとこの状況のまま微動だにしていない。
理由は、この状況で動いて椎名が起きてしまった時に大変なことになるからだ。決してより長くピンク色を眺めたいわけではない。
今更だが、俺はこんなに短いスカートで膝枕をしてもらっていたのか。
俺の寝相はそこそこに悪かったらしく、初めは椎名と反対向きに寝ていたはずなのだが、寝返りをうっていたらしい。
そこからも何かとモゾモゾと頭を動かしていのか、見事に彼女のスカートは乱れ、めくれてしまっていた。
しかし、いくら無意識のうちにしてしまったこととはいえ、このままの状況にしておくのは俺の理性に悪すぎる。
俺は、なるべくピンク色から意識を離し、めくれてしまったスカートを慎重に元に戻す。
幸い、幸せそうな顔で眠る椎名が夢から覚める気配はなく、問題なくそのピンク色を隠すことが出来た。
そのまま、椎名が目を覚ます前に起きてしまおうと思ったのだが、なぜか金縛りのように体が動かない。
よく見ると、彼女の片手が俺の体の上に置かれており、身動きが取れなかった。
これでは、彼女が目を覚まさないかぎり俺も起きられない。
仕方なく、控えめにぽんぽんと椎名の足を叩く。
二、三回そうしていると「んぅ……」と声を漏らしながらゆっくりと椎名が目を覚ます。
「おはよう、椎名」
「……おはようございます、先輩」
「その、寝起きの女の子に言うことじゃないとは思うんだが……椎名、よだれ垂れてるぞ」
「ひゃぅっ!?」
俺が口元を指さして指摘すると、バッと手で隠す椎名。
しかし、さすがは育ちのいい女の子だけはある。とっさに手や袖で拭き取るようなことはもちろんせず、手で口元を隠したままもう片方の手を机の上のティッシュに伸ばす。
当然そんなことをすれば椎名の体は前かがみになり、彼女の胸が俺の顔に押し付けられる。
俺としては気が気ではなく心臓が口から飛び出そうになるが、椎名は気づいた様子も気にする様子もない。
椎名が体を起こし、口元を拭き取り、ようやく俺はその圧迫から解放される。
そしてすぐに椎名の太ももから頭を退けて起き上がる。
バクバクと落ち着かない鼓動を無理やりに抑えて、椎名に声をかける。
「椎名、足痺れたりとかしてないか?」
「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ」
「そうか。なら良かった」
俺が奏に膝枕をしてやるのとは訳が違う。
そもそも椎名の方から、いわば強制的にさせられていたことではあるが、彼女に負担をかけてしまうのは避けたい。
まだ微かに肌に残る感触をぶんぶんと振り払い立ち上がる。
時計を見ると時刻は五時過ぎ。午後の時間はまるまる寝てしまっていたらしい。
さて、特に何もなかったし俺は何も見ていない。少し早いが夕飯の準備でも──
「ところで先輩、私が寝ている間に何もしてませんよね?」
「……してない」
「なんですか、今の意味深な間は」
「し、してない。俺は何もしてないぞ」
「それならいいですけど……」
決して俺は、間違ったことは言っていない。
あれは不慮の事故なわけで、俺は何もしていない。むしろあの状況で理性を保った俺を褒めてくれていいレベルだ。
今の状況じゃ口には出せないが、彼女にはもっと危機感を持ってもらなければ困る。
少し早めの夕飯には椎名も賛成してくれて、六時ぐらいから夕飯をいただく。
相変わらず椎名の作るご飯は、お世辞抜きにおいしい。そして日に重ねる毎に上手くなっているとも感じる。
幸せな夕飯の時間を過ごしたあと、椎名が寝る前にやりたいことがたくさんあるからと言って、先にお風呂も済ませてしまうことに。
レディーファーストで椎名に一番風呂を譲り、彼女はさっそくプレゼントの入浴剤を投入したらしい。
お風呂から上がってきた椎名はいつもとちょっと違う香りがし、少しどきりとした。
俺もそのあとにすぐお風呂を頂いたが、たしかに入浴剤は香りも肌触りも良かった。
お風呂を上がって何をするかと思えば、椎名が何かのディスクを持っていた。
何かのDVDらしく、つい昨日にレンタルしてきたものらしい。椎名がそれをテレビに挿入する。
「椎名のやりたいことって、映画の鑑賞だったのか」
「前から先輩と見たいと思ってたんです。ほら、どうぞ座ってください」
「ああ、ありがとう」
テレビの前のソファに座り、ぽんぽんと横を叩いてくるので、ご指名の椎名の隣へ腰を下ろす。
映画のジャンルは恋愛物で、二年前くらいに少し話題になり世間を騒がしていた作品だった。
「これ、俺見るの初めてだな」
「ふふ、奇遇ですね。私もです」
余裕の笑みでそう言ってくる椎名。
まさか、俺がこの映画を見ていなかったことを知っていたような口ぶりだ。
どこから情報を仕入れたのか、はたまた本当に偶然なのかは知らないか、さすがのチョイスだ。
映画が始まり、雰囲気が大事ですからなんて言って、椎名が部屋の電気を消す。
薄暗い部屋の中テレビの画面だけが発光し、たしかに本物の映画館のような雰囲気になる。
本編映像が流れ始め、前に予告でよく流れていた記憶のある場面が映し出される。
しばらく夢中になって見てしまっていたが、主人公とヒロインが良い雰囲気になる胸きゅんなシーンが流れたところで俺はふと我に返る。
そう、映画の途中で椎名には申し訳ないが、俺はこのお泊まりの間にやらなければいけないことがあるのだ。
事前に頭へ読み込んできた雑誌の内容を行動に移す。
映画の中の主人公がヒロインに迫るのと同時に、俺は横に座る椎名の肩をそっと持つ。
そして、そのまま自分の体のほうへ、ぎゅっと抱き寄せる。
「?!」
映画に夢中になっていた椎名は、突然の俺の行動に声も出せずに瞬きを繰り返す。
「せ、先輩っ? こ、これはどういう……」
俺の腕の中で小さくなって、ついでに声も小さくなって動揺した様子で理由を求めてくる。
俺はその問に答えることはなく、手持ち無沙汰になっていたもう片方の手で椎名の手を握る。
「(ここっ、こんなことされたら私……か、勘違いしちゃいます……)」
これでもかと顔を真っ赤にそめて、すぐ近くにいても聞き取れない声でぼそぼそと話す椎名。
そんな彼女をもっと見ていたい気持ちもあったが、あえて俺は彼女を解放する。
「悪い、ちょっと湯冷めしちゃって温もりが欲しくてな。何か温かいものでも淹れてくるよ」
「えっ……は、はい」
ソファから立ち上がりキッチンに向かい、さっき棚にしまったペアマグカップを取り出す。
保温ポットのお湯で、ホットココアを作り、ソファに戻る。
俺の行動で動揺したのか、俯いてぷるぷると震え、映画を見ることすら出来ていない椎名。
俺は、謝りたい気持ちをグッと堪えて、イタズラ心に火をつける。
日頃のお返しは、こんなものでは終われない。
俺はその椎名の後ろから近づき、彼女の肩にちょこんと顎を乗せる。
「に、にゃにゃっ……?!」
俺の隙を生じない二段攻撃に、変な声をあげる椎名。
振り向けば触れてしまいそうになるほど、お互いの顔が近くにある。
手に持ったマグカップを反対側から差し出し「椎名も飲むか?」と聞くと、こくこくと首だけを勢いよく振って受け取る。
俺は空いた手でぽんぽんと頭を撫でてやってから肩から顎を離し、また椎名の隣へ腰を下ろす。
「なあ、椎名」
「なっ、なんですか……?」
ココアを一口飲んだあと俺は椎名に問いかける。
彼女は、おそるおそるといった様子で聞き返してくる。俺はそんな彼女に、にっこりと笑いかけ、
「椎名って、意外と攻められるのには弱いよな」
「なっ…………」
少しは赤みが引いてきた椎名の頬が、見る見るうちに染まっていく。
もう耐えきれないと言わんばかりに、またぷるぷると震えだし、
「せ、先輩なんてもう知りませんっ!」
つーんと、そっぽを向いてしまうのだった。
ふぅ……(やり遂げた顔)