45 仲直り
桃花ちゃんがお見舞いに来てくれた次の日の朝、奏の体調はもうすっかり治っていた。
あれから奏はずっと眠っていたままで、桃花ちゃんが来てくれたことは知らないので、そのことを伝えるととても嬉しそうにしていた。
そして、俺と桃花ちゃんとで話していた奏との距離感の話もきちんとした。
奏いわく、俺が予想していたとおり、桃花ちゃんと遊びに言った際に兄妹の距離感のことを指摘されてあのような態度になってしまっていたそう。
今にも泣きそうな顔で、兄さんが嫌いになったわけではないと言われて、宥めるのに苦労した。
そして、桃花ちゃんとの話をし、俺たちは俺たちなりのペースと距離感でいけばいいんだと伝えると、心底安心した顔をしていた。
「も、もう、我慢しなくて、いいんですか……?」
「ああ、もちろん。ほら」
その証拠と言わんばかりに両手を広げれば、奏が俺の胸に飛び込んでくる。
しっかりとそれを受け止めて、ぎゅっと抱きしめる。
「兄さんは、こんな妹でも好きになってくれますか……?」
「あたりまえだろ。こんな妹だから好きなんだ」
「えへへ……うれしいです」
頬を染めて、いつもより強く背中を抱きしめてくる奏に、俺も負けじと抱きしめる。
久しぶりに感じる奏の体温に、心底安心感を覚えてしまうのは、多分俺もなんだかんだ言いながら寂しかったのだろう。
奏が甘えん坊でブラコンな妹であるならば、俺はただの世話焼きでシスコンな兄なんだろう。
だから、もう我慢や遠慮なんてしなくていい。存分に甘えて、甘えさせればいいんだ。
そう心に決めて、奏の頭を撫でてやるのだった。
* * *
奏の風邪が治ってから、最初の休日。
俺はまたもや椎名の家庭教師をお休みする羽目になった。
前回椎名の家庭教師のお休みを頂いた時に、次の家庭教師の際に埋め合わせをすると言っていた。
しかし、時間がたっぷり取れる休日に埋め合わせをしたいという彼女の希望で、本来なら今日その実行の日となっていたはずなのだが。
「兄さん。明日、奏と一緒にお出かけしませんか?」
昨日帰宅したあとに、奏からそんなことを聞かれた。
話を聞けば、桃花ちゃんがこの前出かけた時に俺たちの距離感について色々と言ってしまったことを、俺たち二人に詫びたいのだそう。
もちろん奏はそんなことはしなくていいと言ったそうなのだが、どうしても気持ちが抑えられないらしい。
結局、奏の提案で俺と奏、桃花ちゃんの三人でお出かけのやり直しをするということで話はまとまったらしい。
とはいえ、先に予定が入っていたのは椎名のほうだ。
前回お休みをもらったということもあるし、そちらを優先しようと思っていた。
しかし、事情を話すと、椎名のほうから奏のことを優先して欲しいとの言葉を返された。
これまでいつも休みの日に俺を独占してしまっていたことを、奏に対して悪いと感じていたらしく、快くお休みの許可をくれた。
そして今日。俺たち三人は、前回奏と桃花ちゃんが二人で行ったショッピングモールにやってきていた。
前回とは違い、今日は最寄り駅で待ち合わせをして、そのまま電車に乗ったのだが、その時からずっと桃花ちゃんはソワソワと緊張していた。
たぶん、いつ話を切り出そうかと葛藤していたのだろう。
だから、ショッピングモールについてすぐに、俺は適当なカフェに入ることにした。
席についてしばらくすると、桃花ちゃんが決心した様子で重たい口を開ける。
「この間は、ごめんなさい!」
深々と頭を下げる桃花ちゃんに俺と奏は、静かに見つめあって小さく笑い合う。
「頭を上げてくれ、桃花ちゃん」
「はい。奏はもう、気にしていません」
「で、でも……」
「結果として、お互いの気持ちを理解するいい機会にもなったんだ。むしろ感謝してるくらいだよ。な、奏?」
「はいっ」
屈託のない笑顔で返事をする奏の頭を撫でてやれば、おそるおそるといった様子で桃花ちゃんが顔を上げる。
俺たち二人の笑顔を桃花ちゃんに向けてやれば、まだぎこちないながらも彼女も笑みを浮かべてくれた。
「でも……そうだな。少しは桃花ちゃんにも罰を受けてもらおうかな」
「は、はいっ。わ、私にできることならなんでも!」
「それなら……」
俺は奏の頭を撫でつつ、うーんと考えたあと。
「じゃあ、今日一日、俺と奏と一緒に心から楽しく遊んで貰おうかな」
「え、そ、それって」
「奏と兄さんに、変な気を遣ったらダメですよ、桃花さん」
桃花ちゃんはしばらく目をぱちぱちとさせた後、嬉しさゆえなのか口元を緩めながら、
「うんっ!」
そう、満面の笑みで頷いてくれるのだった。
カフェで休憩を取ったあとは、三人でショッピングモールを回る。
端から、俺、奏、桃花ちゃんの順に並び、三人で手を繋いで歩く。
真ん中で、二人ともと手を繋いでいる奏は、心底楽しそうに腕をぶんぶん振って歩いている。
まず最初に入ったのは、オシャレな服が数多く揃えてある洋服店。
当然、大きなショッピングモールとなれば洋服店はごまんとあるが、その中でも結構人気のある洋服店なんだとか。
もう春も過ぎ、夏物の洋服が並び始め、薄手のシャツやブラウスが多く目にとまる。
女性服のコーナーへ行ってしまえば、俺の出る幕は当然なく、女の子二人できゃっきゃと楽しんでいる。
しばらくすると、試着をするから兄さんも来てほしいと、試着室の前まで連れてこられる。
並んだ二つの試着室の前で、奏と桃花ちゃんが着替え終わるの待つ。
先に着替えが終わったのは桃花ちゃんで、おずおずとカーテンを開けて出てくる。
「ど、どうでしょうか。お兄さん」
「うん、桃花ちゃんによく似合ってる」
「ありがとうございます……」
二人が着る洋服は、お互いがお互いに似合うと思ったものを持ってきたらしい。
私服では結構固めのイメージを好んでいるように見えた桃花ちゃんだったが、奏の選んだ明るい色のブラウスとスカートもよく似合っていた。
続いて出てきた奏は、水色がかった綺麗なワンピース。
奏の控えめな性格や儚げなイメージをさらに魅力へ変えてしまうようで、桃花ちゃんもナイスなチョイスだった。
「かわいいぞ、奏。すごく似合ってる」
「えへへ。ありがとうございます、兄さん」
嬉しそうにワンピースをひらひらさせて、その場でスピンしてみせる奏。
はしゃぐ奏に俺が頭を撫でてやっていると、横から視線を感じる。
そちらに振り向けば、そこにはなんとも言えない、何かを期待しているような目をした桃花ちゃんの姿が。
「どうかした? 桃花ちゃん」
「あ、いえ。その、奏ちゃんがお兄さんのなでなでは世界一と言っていたので、ちょっと気になって」
「奏、そんなこと言ってたのか」
「気持ちいいのは事実ですので。桃花さんも体験してみるべきです」
「え? あ、ちょ、ちょっと」
そう言って奏は、桃花ちゃんの腕を掴んでこちらにずりずりと連れてくる。
そして、また俺の目の前へと帰ってきて、どうぞと言わんばかりに頭を向けてくる。
すぐ横に来た桃花ちゃんはどうしたものかと、おろおろしている。
一瞬迷ったものの、思い切って両手をそれぞれの頭を上にぽふっと乗せる。
奏は気持ちよさそうに目を細め、桃花ちゃんは緊張した様子できゅっと目を閉じる。
桃花ちゃんも嫌がる様子はなかったので、そのままいつものように頭を撫でる。
両手で同時に二人の頭を撫でるのは人生初めての試みだったが、意外と悪くない。
両手に花なんて言葉があるが、おそらくこの状況こそ、その言葉が表す真の意味なのではないだろうか。
「どうですか? 桃花さん」
「な、なんか、変な気持ち……ですが、とても落ち着く感じがします」
「悪い気持ちじゃなかったら、良かったよ」
友達の兄から頭を撫でられるなんて、一体どんな反応されるのだろうかと不安だったが、不快ではないみたいなので一安心だ。
一通り頭を撫できって俺が満足したあと、二人とも試着した服を購入し、その洋服店を後にする。
「そういえば兄さん。今日の椎名さんの家庭教師は大丈夫だったのですか?」
「ああ、快くお休みをくれたよ。奏の、俺との時間を奪いたくはない、ってな」
「やっぱり椎名さんはやさしいですね」
「椎名はそういうやつだからな。今度、お礼しなきゃな」
「それなら私もお手伝いしますね」
もちろん、奏との時間をという話は嘘ではないはずだが、彼女には二度も迷惑をかけてしまった。
埋め合わせとやらには、相当な覚悟を持って望まないと。
とりあえず、手始めに何かプレゼントでもと周りの店を眺めようと視線を動かすと、不思議そうな顔で桃花ちゃんがこちらを見ていた。
「桃花ちゃん、何かあった?」
「えっと、椎名さんというのはお兄さんの友達なんですか?」
「まあ、正確には高校の後輩だが、それがどうかしたのか?」
「あ、私のいとこに椎名という苗字の人がいまして、もしかして下の名前は梓さんではないですか?」
「ああ、その通りだ。はは、すごいな。そんな偶然があるもん……だ?」
待てよ? 今、桃花ちゃん、椎名のいとこだって言ったよな……。
少し前に兄がいるって話をしていたが、ま、まさか……な?
「なあ、桃花ちゃんってお兄さんいるんだよな」
「はい、いますけど」
「変なことを聞くんだが、そのお兄さんの名前って……」
「私の兄の名前は、浩平ですが。……お兄さん?」
その名前が出た瞬間、思わず頭を抱える。
たしかに、そう言われれば、桃花ちゃんの整った顔立ちも浩平くんに似た箇所がある気がしてくる。
だからどうしたという話でもないのだが、こんなにも世間は狭いものなんだろうか。
俺はそんなことを考えながら、もしもの保険のために、さっき俺が桃花ちゃんの頭を撫でたことを、椎名に漏らさないように口止めしておくのだった。
なんだか、話を重ねる毎に陸くんがロリコンになっていくような……?