43 変化
奏を送り出したあと、いつも通り椎名の家へ向かう。
午前中の間はしっかりと勉強に励み、椎名手作りの昼食をいただく。
「今日はどういったメニューで?」
「今日は豆腐が大好きな先輩のために、豆腐ステーキと冷奴、豆腐サラダの豪華豆腐三点セットです!」
「おぉー!」
かわいいエプロンを付けて、ばばぁーんとそう告げる椎名に柄にもなく感嘆の声を漏らしてしまう。
最近、勉強の合間の休憩時間に料理の本を読んでいることがよく見かけていたのだが、いつの間にかそんなものまで作れるようになっていたらしい。
それも、俺の好きな豆腐料理というところに焦点を合わせてくれている。
俺が豆腐を好きだということを覚えていてくれたことも嬉しいが、俺だけのために作ってくれるというその気持ちが一番心に刺さるというもの。
「いいのか。そんなに豪華なもの食べさせてもらって」
「何言ってるんですか先輩。私は先輩に食べてほしくて作ってるんですよ?」
「まあ、それはそうかもしれないが……」
「私的には、これは村上先輩へのお給料も兼ねてるつもりなんです。だから、先輩は素直に食べてください」
まったくもう、と腰に手を当てながらそう俺に言い聞かせる椎名。
髪をまとめて、エプロンとお玉をもってそんなことをしてくる椎名は、新婚の奥さん以外の何者にも見えなくて、俺は一人でドキドキしてしまうのだった。
完成した料理は、思わずヨダレが出てしまいそうになるほどに美味しそうだった。
どの豆腐料理も、綺麗な豆腐の白地に鮮やかな色彩が付き、食欲をより誘ってくる。
手を合わせて感謝を述べてから、それを口の中に運び入れれば、すぐさま幸せの味が広がり、頬がこぼれ落ちそうになる。
「椎名、これマジ超うまい」
「ふふふっ、先輩いつもと話し方変わってますよ」
素晴らしすぎるが故に語彙力がなくなってしまうとは、たぶんこのことなのであろう。
本当になんと表現していいのかも分からないほどに、俺の口の中は幸せで満たされていた。
お腹いっぱいに豆腐料理をいただいた後には、休憩をということで椎名とテレビゲームに勤しむ。
もうすでに、本来の目的である家庭教師からは完全にかけ離れてしまっているのだが、これも椎名の望んだことである。
俺自身、部活どころか大した趣味も持ち合わせていないため、それが休日だとしても椎名の家庭教師をすることは全く苦ではない。
そんなこんなで、こうして休日も椎名の家に入り浸っているわけなのだが。
平日も休日も、毎日勉強ずくめともなると、さすがの俺と椎名でも飽きてしまった。
もちろん二人で一緒にいることが退屈という訳では決してない。単純に勉強時間が長すぎたというだけの意味だ。
そのため、休日の午後などには二人でゲームをして時間を潰しているというわけである。
「な、先輩やりかたがイヤらしいですよ」
「ふっ。椎名を攻めるためなら、どんなことだってするさ」
「あっ、ダメです、それ以上は……! ん、ひゃぁんッ」
椎名の叫びは虚しく、彼女の操作するキャラクターは場外へ吹っ飛ばされ、俺が勝ったことを盛大に告げる映像が画面に流れた。
俺と椎名の声だけを切り取ると、いかがわしい雰囲気が漂っている気がするが、そこはご愛嬌である。
当の本人は真面目に取り組むがゆえに盛れてしまっている声なので、俺は何も言えない。
あとはただひたすらに、椎名の住むこのマンションの防音性を信じるのみである。
「ふっふっふ。まだまだだな、椎名」
「先輩、少しくらい手加減してくれてもいいじゃないですかぁ。ぶー」
「それじゃつまらないだろ。ほら、次のステージはどうする?」
「……今と同じところで」
「よしきた」
このゲームは昔俺がよくやっていたもので、休日暇つぶし用のゲームを椎名と二人で買いに行った時に見つけて購入した。
ブランクがあるとはいえ、俺の方が経験値が高いため勝率は圧倒的に騙っている。
しかし、椎名は以外にも負けず嫌いなところがあるらしく、一緒に遊んでいるとなかなかに楽しい。
「そういえば、先輩。なんだか今日はご機嫌じゃないです?」
「お、そう思うか?」
「はい、今日うちに来てから終始笑顔でしたし。何か嬉しいことでもあったんですか?」
「聞いて驚くなよ? 実は、ついに奏に友達が出来たんだ」
「……え、それだけですか?」
「そして、今日はその友達とお出かけなんだそうだ。そりゃ気分も上がるさ」
「えぇ……」
ルンルン気分で椎名に報告するのだが、あまりピンと来ていないのか微妙な顔をしている。
「なんだよ、その顔は」
「いえ……先輩はやっぱりシスコンさんなんだな、と」
「うるさい」
もし仮にそうだとしても、兄としては当然の反応だろう。
極度の甘えん坊さんではあるが、奏も家族として俺のことを愛してくれているように、俺だって彼女のことを愛している。
だからこそ、お互いの喜びを分かち合うのは、あたりまえのことなのだ。
「先輩。顔、緩んでますよ」
「気のせいだ」
今頃、奏はどうしているだろうか。
お昼ご飯を食べたあとは、お買い物をすると言っていたし、今頃はショッピングモールなどにいるのだろうか。
そんな奏の情景を思い浮かべていると、俺の操作するキャラクターは見事に足を滑らせて場外に落ちていくのだった。
* * *
椎名の家で夕方近くまで過ごしたあと、奏のこともあったので少しだけ早く家に帰ってきた。
まだ、奏は帰ってきておらず、少しソワソワしながらリビングでテレビを見ているとガチャっと玄関の扉が開く音がしてリビングに奏が入ってきた。
「おかえり、奏」
「ただいまです、兄さん」
そう言葉を交わした後、そのまま奏はソファに座る俺のすぐ近くにやってきた。
いつものようにすぐに膝の上に乗ってくるかと思ったのだが、何やら躊躇してる様子。
不思議に思いながらも、ぽんぽんと膝を叩いて呼びかけてみれば、おずおずと乗ってくる。
やっぱり甘えん坊なところは変わらないよなと、どこか安心しながら彼女を抱きしめる。
「どうだった、楽しかったか?」
「はい。新鮮なことばかりですごく楽しかったです」
「はは、そうかそうか」
頭を撫でてやりながら、よかったなと褒めてやる。
くすぐったそうにしながらも、ぎゅっと俺に抱きついてくる奏。
でも、その感触に俺はどこか違和感を覚えた。
いつもと変わらない、奏とのスキンシップ。
いつもと変わらない、奏とのハグ。
でも、俺の背中に回した腕にはいつもとは違う力がこもっている気がした。
「奏?」
「なんでしょう、兄さん」
「……なにか、あったのか?」
「………」
俺が聞くと、唇をきゅっと結んで悲しげで寂しそうな表情をする奏。
たまに嫌なことがあると、彼女はこういう顔をする。
そして、いつもは隠し事をしない彼女だが、我慢強いが故に、嫌なことはあまり吐き出してくれない。
「桃花ちゃんと喧嘩したのか?」
「そんなことしません……桃花さんは悪くないんです。ただ……」
「ただ?」
「…………なんでも、ありません」
頑なに言いたくないことなのか、奏はすごく辛そうな顔をしながら、背中の腕を解き体を起こす。
そして、名残惜しそうな顔をしながらも膝から下りて、二階の自室へと戻っていった。
俺は、ほのかに体に残った彼女のぬくもりが空気に逃げていくのを感じながら、その姿を見送ることしか出来なかった。
そして、その日から奏の俺への接し方は一変してしまった。
夕飯を食べた後、お風呂に入る時。
いつもだと、俺が入っている時に乱入してきたり、ひどい時だと脱衣所から一緒の時もあった。
しかし、それ以来奏が俺と一緒にお風呂に入ろうとすることは一度もなかった。
お風呂から上がり、リビングでくつろぐ時。
お風呂からあがった奏の髪を乾かすのは、いつも俺の仕事だったのだが、それからは毎日母さんに頼んでいる。
寝る前に部屋に突撃してくることも、いつもの他愛ないスキンシップも、そして行ってきますのぎゅーでさえ、彼女は望んでこなくなった。
だが、そのどれに関しても、奏はとてつもなく名残惜しそうな顔で、つらく我慢している様子で俺から距離を置いているのが、とても気になった。
……そう、まるで誰かからそうするように言われたかのように。
そうして、悶々とした日々が続き、一週間ほど経ったある日。
奏は、高熱を出して倒れた。
うわぁぁぁあああ!




