03 勉強?
肩がふれ合うほどの距離で、俺の隣に座る椎名。
意識とは裏腹に高鳴る胸の鼓動を隠しつつ、彼女の勉強を見守る。
「椎名。そこは先に展開したほうがいいんじゃないのか?」
「あ、ほんとですね。ありがとうございます、先輩っ」
後輩の家庭教師なんて出来るのだろうかと、少し疑念を抱いていたところもあったのだが、まあまあ様になっている気はする。
椎名も、見込み通り頭は悪くなく、俺の言うことをすぐ理解してくれる。
自分の教えたことを真剣に聞いて、しっかりと理解してくれる。
これが意外にも楽しいもので、気付けばかなりのめり込んでいる自分がいた。
「えへへ。やっぱり先輩、教えるの上手ですね」
「そうか?」
「はい。とっても分かりやすくて、勉強が楽しいです♪」
「ならよかった」
言葉にして言ってもらえると、なお嬉しかった。
唐突に始まった家庭教師だが、案外楽しく出来そうな気がする。
……そう、思っていたのだが。
「先輩、もう少し近くに寄っていいですか?」
さすがの椎名。やっぱり一筋縄ではいかないらしい。
いや、まず現時点でもうゼロ距離な気がするんだが。これ以上近づくとは一体。
「……なんで近くに寄りたいんだ? もう充分に教えられる距離だろ」
「私のモチベーションの問題です!」
ふふんと、胸を張ってそう話してくる椎名。
制服だと分からなかったが、結構胸あるんだな……じゃなくて。
「モチベーションってどういうことだよ。勉強、楽しいんじゃなかったのか?」
「それとこれとは話が別です。私は、勉強が楽しいということが直接モチベーションには繋がってないんです」
「そうなのか……? じゃあ、椎名のモチベーションの源って……」
「もちろん、村上先輩です♡」
「嘘だろ……」
なんで俺が勝手に椎名のモチベーション源になってるんだ。
本当に、椎名にとって俺の存在はなんなんだろうか……。
「だから、先輩成分をより多く摂取するために、もっと近くに行きたいんです♡」
「なんなんだよ、先輩成分って……」
「私のモチベーション源……いえ、生きる糧ですね」
「ますます分からなくなったんだが」
自慢気な顔で語る椎名。いやいや、そんな顔で言われても。
とはいえ、おそらくだがこれに頷かなければ、ここから先の勉強には進めない気もする。
「……本当に、それをしたら勉強が捗るのか?」
「はい♪ それはもうやる気も集中力も性欲も、全部フルMAXですよ!」
「なんか変なのが混ざってんぞ。おい」
「ダメ、ですか……? 先輩」
「くっ」
またまた椎名の上目遣いが発動。
とことん彼女のこれに弱い俺。とっさに視線をそらす。
「……分かったよ。許可する」
「ほんとですかっ?!」
「ただし、課題のページを増やさせてもらう。それが出来ないならダメだ」
「もちろんです、先輩! 先輩成分のためなら、たとえ火の中水の中ですよ」
俺の提示した条件に嫌な顔一つせず、やる気満々な様子の椎名。
本当に、なんなんだろうか。俺、そんなにたいした男でもないんだが……。
ギュッ。
「!?」
頭を抱えてうつ向いていると、いきなり左半身に柔らかく温かい感触が広がる。
とっさに振り向くと、椎名がこれでもかというほど自分の体を俺に押し付けてきていた。
「お、おい。椎名」
「どうかしましたか? 先輩」
「いやいや。さすがにそれはくっつきすぎじゃないのかっ?」
「そんなことないです。それに、こうしないと成分は補給できませんから♡」
そう言いながら、体に加えて頭も俺の肩に預けてくる。
もう、当てられるとこはすべて当てているといった状態。
「先輩? そんなに縮こまって、どうしたんです?」
「この状況で堂々としてられるほど鋼の心臓は持ち合わせてないんだよ」
「それって、私にドキドキしてるってことですか?」
「当たり前だろ。この状況で動揺しないほうがおかしいだろうが」
「ふふ。そうですか♡」
先ほどよりも頬を緩めて、嬉しそうにそう答える椎名。
俺をからかうのがそんなに面白いんだろうか。
別に、俺自身そんなに嫌な訳ではないが、俺をからかってそんなにも楽しいものなのだろうか。
「しかし、本当に集中力高まってるんだな、椎名」
「当たり前じゃないですか。いつもの倍は早く出来る自信がありますよ♪」
計算のスピードは彼女の言う通り、さっきの倍ほど。
先ほどまでチラチラあった凡ミスも、今では全くだ。
「信じられないな。こんなことでこれほどまでに変わるなんて」
「"こんなこと"ってなんですか~? 私にとっては超超ビッグなイベントなんですよ?」
「そうかよ。俺にはさっぱりだ」
元に、さっきからずっとドキドキしっぱなしで、こんな中で勉強するなんてさすがに無理だ。
そんな俺とは裏腹に、相変わらず機嫌良く勉強を進める椎名。
……こうやって黙ってれば、ただの可愛い女の子なのにな。
「? どうかしました? 私の顔を愛する人を見るような目で見て」
「断じてそんな目では見てねえよ。可愛い顔だなって見てただけだ」
「ふぇっ!?」
椎名は、いきなりバッと体を離して、面白いほど驚いた顔をする。
あれだけくっつかれるのが気恥ずかしかったのに、いざ離れると少し寂しい気持ちになった。
俺から離れた椎名は、頬を赤く染め、目をぱちくり開いて俺の顔を見つめていた。
いきなりどうしたんだろうか?
「どうかしたのか? 椎名」
「どうかしたのかって……。せ、先輩、今なんて言いましたかっ?」
「断じてそんな目では見てない、と言ったが」
「違います! そのあとです、あと!」
「そのあと? 可愛い顔だなとしか言ってないぞ」
「それですよ、それ! なんでいきなり私を口説き始めてるんですか、先輩は!」
「え。わ、悪い。そんなつもりはなかったんだが……」
「それも無自覚! どれだけ女たらしなんですか?!」
「ひ、人聞きの悪いことを言うな。俺にそんな気はない」
真っ赤な顔でめちゃくちゃなことを言ってくる椎名に、俺も反論する。
ひとしきり、ああだこうだあることないこと言い合った後、椎名がもじもじしながらうつ向く。
「……ズルいですよ、先輩。ふ、不意打ちは反則ですっ」
「……すまん」
これ以上何か言い返してもキリがないので、素直に謝っておく。
俺自身、年頃の女の子相手に言動が軽率だったかもしれない。
なんとも言えない微妙な雰囲気の中、何の会話もなく時間が過ぎていく。
どうしたものかと思っていると、いきなり椎名が大きくため息をつく。
「そんなすけこましな先輩にはお仕置きが必要ですねっ」
さらっととんでもないことを口にしながら、椎名は再び俺の近くに移動してきた。
俺が、すけこましなんて不名誉な肩書きに反論しようとした瞬間、
むにゅ♡
椎名が、俺の腕に抱きつくようにくっついてきた。
「お、おい椎名。何してんだ」
「何って。お仕置きですよ」
「いや、さすがにこれは……くっ」
椎名は、俺の腕に自分の腕を絡め、その豊満な胸を思い切り押し付けてきた。
俺の腕は椎名の体で完全に固定されていて、逃げようにも全く動かせない。
「ちょ、椎名。あ、当たってるから」
「ん~? 何が当たってるんですか~?」
「お、お前。分かっててからかって……」
「え~、なんのことですか~? ちゃんと口で言ってくれなきゃ分かんないです」
そう言いながらさらにブツを押し付けてくる椎名。
どうせはっきり言ったところで、またからかわれるのがオチだろう。
人生、あきらめも肝心だ。
「……なんでもねえよ。もう、勝手にしてくれ」
「はーい♡」
かわいく返事した椎名は、その状態のまま先ほど同じように俺の肩に頭を乗せてきた。
……結局。その後、勉強は全く進まなかった。
生まれ変わったら村上くんの腕になりたい。