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36 記憶


 上機嫌な紗月の髪を乾かし、サービスで櫛を使って髪を梳いてやる。

 いつもの紗月は髪を結んで纏めているので、ストレートに下ろしているのを見るのは新鮮だった。


 髪を梳く時にも、少しもひっかかることはなく、何の抵抗もなく櫛がすり抜けていった。

 なんというサラサラ髪。そんな紗月の髪に半ば感動さえ覚える。


「はい。終わりましたよ、お客様」

「えへへ。ありがとね、陸」

「どういたしまして」

「だれかにしてもらうのなんて久しぶりで、楽しかったわ」

「そうか。喜んでもらえたのなら何よりだ」

「陸、結構上手だったし、また頼んじゃおうかしら?」

「言ってくれば、いつでもやってやる」

「ほんと? それじゃ、毎晩呼ぶわね」

「さて、そろそろお金を請求するかな」

「ぶ~。陸のケチ~」


 文句ありげな顔でこちらを見てくる紗月。

 本音を言えば、紗月から頼まれればそのくらいのことは無償でやってやる覚悟だ。


 最近はもうすっかり習慣になってしまっているが、毎週紗月の部活がオフの日にはお弁当を作って貰っているのだ。

 俺から無理にお願いしていることではないのだが、紗月の好意でなんやかんや毎週お世話になってしまっている。


 最初のきっかけは、紗月が料理の練習をしたいと言い出したことだった。

 高校生になり、そろそろ自立することを考え始めた紗月に、料理の練習をする上での味見役として選ばれたのだ。


 初めこそ、少し味付けに不安定さがあったり、形が不揃いだったことなどもあった。

 しかし、数ヶ月もしないうちに、みるみると紗月の料理の腕前は上達していき、今やお弁当だけで言えば俺の母さんよりおいしい。


 そんなおいしいお弁当を、さも当たり前のように毎週食べさせてもらっているのは、とんでもなくありがたいことなのだ。

 だからこそ、紗月の髪を乾かしてやることくらいは、喜んでやらせてもらうくらいのレベルだ。


「さて、どうしたもんかね」

「? 陸、何か困り事?」

「あ、いや。紗月のお母さんが帰ってくるまで何して暇を潰そうかなってな」


 小さい頃、紗月の家に遊びに来ていた時は、こんな悩みを感じることなんて全くなかったのに。そんなことをふと感じる。


 お昼前の時間から紗月の家に向かい、背伸びをしてインターホンを押すと、紗月のお母さんがいつも笑顔で出迎えてくれた。

 そして、紗月のお母さんが玄関で俺を出迎えてくれている間に、紗月がリビングからやってきて、俺は手を引かれて二階の紗月の部屋へ連れていかれる。


 当然女の子の部屋なので、自分の部屋のような男の子もののおもちゃはなく、ピンクの可愛らしいもので溢れかえっていた。

 男の子の立場からすれば、あまり面白くなさそうなものなのだが、なんやかんや楽しんでいた記憶がある。


 例の、奥さんの権力が強いおままごとも、紗月に振り回される旦那さんの立ち位置にどこか安心感を覚えていたり。

 折り紙や、簡単なアクセサリ作りに関しては、俺のほうが熱中していたときもあったり。


 あんまり小さい頃の記憶は残っていない方なのだが、紗月と一緒にいた時の記憶は意外と鮮明に思い出せるものが多い。

 おそらく、それほどまでに充実していた日々だったのだろう。今になって思えば、少し羨ましい気持ちもある。


「小さい頃は、色々遊んでたわよね」


 俺がそんな昔のことを考えていると、紗月も同じことを考えていたらしく、その話題を振ってくる。


「だな。毎日のようにおままごとしてたな」

「ふふっ。あの頃の陸は可愛かったわねえ」

「今の俺は、可愛げがないって口ぶりだな」

「実際そうじゃない。昔はあんなに素直でいい子だったのに」

「誰かさんのおかげで、俺も立派に成長したんだよ」


 前にも少しだけ触れたかもしれないが、大人しくあまり人と関わろうとしなかった俺を変えてくれたのは他でもない紗月のおかげだ。

 今じゃこんな風になってしまった紗月だが、昔は頼れるお姉さんだった。


「何か今、すごく失礼な視線を感じたのだけど」

「気のせいだろうな」

「ほんとかしら……。まあ、いいけど」


 怪しげな目でこちらを見てくる紗月からすぅーっと視線を逸らしながら、改めて暇の潰し方を模索する。


「紗月は何かしたいこととかあるか? 久しぶりにこうして二人きりだし、何かないか?」

「ふ、二人きり……。そ、そうね……したいことシたいこと……」


 紗月が、じっくりと腕を組んで考える。

 何かイントネーションの違いがあったような気もするが、気にしない気にしない。

 しばらくすると、何かを思いついたような様子を見せる紗月。


「あのね、陸。この前、中間考査があったでしょ?」

「ああ、そうだな。それがどうかしたのか」

「うん。私、一年生の頃より少しだけ点数が悪くなっちゃってて。その、良ければ、私に勉強教えてくれないかしら……?」


 なるほど、そうきたか。

 もちろん断る理由など何一つないのだが、紗月の態度が少したどたどしいのが気になった。

 単に点数が悪くて勉強を見て欲しいというのであれば、もっと自信を持ってお願いしてくれてもいいのだが。


「ダメ……かしら?」

「ダメなわけあるか。俺で良ければいくらでも教えてやる」

「ほ、ほんと? ありがとう、陸!」


 心の底から嬉しそうに笑う紗月に、俺も笑顔を返す。

 本当に、お弁当でお世話になりまくっているのは俺の方なのだから、そんな遠慮はいらないのに。変なところで律儀なやつだ。


 勉強をするにあたって、囲んで座れる机がないこの部屋を使うのは不便だし、紗月の部屋で勉強をすることに。

 実に一年、下手をすればそれ以上に久しぶりに入る紗月の部屋。何度も入ったことのある部屋なのに、いやに緊張してしまう。


「お邪魔します……」

「ど、どうぞ」


 紗月の方も、やはり久しぶりということだけあって部屋に招き入れる動作も少しだけぎこちない。

 そして目に写ってきた情景は、あの頃の思い出の景色と変わらない色彩だった。


「なつかしいな。内装もほぼ変わってない」

「お、覚えてたんだ」

「そりゃ覚えてるさ。あ、あのクマのぬいぐるみ、まだ窓際に座ってるんだな」


 本や教科書など、多少の雑貨は増えていたが、大まかな家具やなつかしのインテリア類はあの頃のまま。

 記憶の中でうっすらとなっていたものが、鮮明なものとなり、一気に蘇ってくる感覚。

 忘れていた小さなストーリーをいくつか思い出し、思わず口元が緩んでしまう。


 緩んでしまった頬をぱんぱんと叩いて気合いを入れ直す。


「さて、じゃあ始めますか」

「うん!」


 元気よく返事をした紗月は、机の引き出しから教材を取りだし、今となっては小さく感じる丸机のもとに座る。

 そして、俺もその隣に移動し紗月の教材が見える位置に腰掛ける。


「り、陸?」

「どうした、早速質問か?」

「そ、そうじゃなくて。その……なんでもない」

「なんだよそれ」


 なぜか頬をほのかに染めて、俯いてしまう紗月。

 体調が悪いということではないと思うが、一体どうしたというのか。少しだけ気にかかる。


 いざ、勉強を開始するとそこそこ集中している様子だったので、その心配は杞憂となったが、ここで別の問題が発生した。


「紗月、その問題間違えてるぞ」

「え、うそ」

「ほんとだほんと。ほら、そこと一つ前も凡ミスしてるぞ」

「えぇ~……」


 紗月は、思った以上にミスが目立ち、なんとなく点数を落とした要因が見えてきた。


 紗月は昔から体を動かすことが得意で、多少勉強よりスポーツを優先するところがある。

 しかし、根は真面目で授業はしっかりと聞いているため、問題に対する考え方は間違っていない。

 問題なのは、ほんの少しだけ基本が疎かになっているということだ。


 そのせいで、いいところまではいくのだが、最後の詰めの甘さで凡ミスしている箇所が多く見受けられる。


「紗月、この問題はこの原理を理解してないと間違えるぞ」

「そうなの?」

「ああ。一年生の内容だが、その応用がこの範囲だ。だから、そこをしっかり理解してないと凡ミスにつながる」

「な、なるほど……」


 ふむふむと俺の話を真剣に聞いてくれる紗月。

 伊達にここ数ヶ月間、家庭教師をやっているわけではない。

 正直、椎名以外の人にもしっかり教えることが出来るのかは未知の領域だったのだが、なんとかなりそうだ。


「陸、教えるの上手よね」

「そうか? ありがとな」

「うん。やっぱり、椎名ちゃんの勉強を見てるおかげ?」

「ああ。八割方はそれで鍛えられてるだろうな」

「ふーん、そっか……」


 紗月が少し落としたトーンの声でそう呟く。

 少し不満そうで、寂しそうな、そんな複雑な顔をする彼女を気にかけながら、俺は家庭教師を続けるのだった。


紗月ちゃんの髪、梳いてみたい。

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