35 魅力
シャワーを浴びに行った紗月を見送ったあと、紗月のお母さんに頼まれた仕事に取り掛かる。
問題のパソコンは、俺の見込み通り完全な故障ではなく簡単な不具合のようだ。
これなら、さほど時間をかけなくとも終わるだろう。
そのまましばらく画面とにらめっこしていると、扉が開く音とベッドがきしむ音が耳に入ってきた。
特に振り返ることも無く画面を見ていると、彼女のほうから話しかけてきた。
「ど、どう? パソコン、大丈夫そうかしら」
「ああ、大丈夫だ。あと10分もあれば直ると思うぞ」
「そ、そう」
そう紗月の声が聞こえてきたあと、彼女がてこてこと近づいてきた。
「よくわかるわね、こんな小難しいこと」
俺の肩から覗き込むように画面を見ながら、紗月はそんな言葉をこぼす。
「こういうのは、ある意味慣れなのかもしれないな。俺は、父さんに教えて貰って出来るようになっただけだし」
「そっか。私も教えて貰ったら使えるようになるかしら」
「もちろん。そんなに難しいことでもないし、俺でよければ教えてやるが……」
そう話しつつ、お茶を一口飲みながら紗月のほうに振り返り──
「ぶふっ!」
「きゃっ!」
俺は、盛大にお茶を吹き出した。
「ごほっごほっ」
「何よもう。せっかくシャワー浴びたのに汚れちゃったじゃない!」
咳き込む俺を横目に、お茶をかけられて文句を言う紗月。
いや待て。普通に考えたら俺が悪い状況なのだろうが、今回に関していえば俺に非はない。
なぜかと言えば、
「さ、紗月。お前なんて格好してんだよ」
「な、なんて格好って何よ! 部屋着よ部屋着!」
「いや、そうは言ってもな……」
紗月が着ていた服は、いつかの椎名のような明らかにサイズのあっていない首元がゆるゆるのものだった。
そのせいで片側の肩と、椎名に勝るとも劣らない大きな胸があらわになっていた。
「その、目のやり場に困るんだよ。その服」
「目のやり場に困るって……あっ」
不思議な顔をしながら自らの体を確認した紗月は、ようやく自分の格好の失態に気がつく。
そして、目にも留まらぬ早さでバッと体を隠す。
「り、陸のえっち……」
「待て。俺に罪はない」
「さっきまで胸ばっか見てたくせに」
「すみませんでした」
いくら紗月の服が乱れていたせいだとしても、それをしっかりと見てしまったことは事実。そこに関しては何も言えない。
「や、やっぱり陸も、こういうのが好きなのね……」
「なんだよ。こういうのって」
「なにって、その。こ、こういうの……」
紗月はそう言いながら服の首元をひっぱり、再び胸元を見せてくる。
「ばっ、なにしてんだ紗月!」
「ほ、ほら。やっぱり好きなんじゃない」
「いや。今のは不可抗力だろ」
「でも、見てたじゃない」
「すみませんでした」
……これに関してはもう男として仕方の無いことではなかろうか。
そう考えると、俺は一生紗月にかなわない気がしてくるのだが。
「陸も、その……大きい方が好きなの?」
「は、はぁ?」
「さっきも私の見てたし、椎名ちゃんだって結構大きいし……」
「なんでそこで椎名が出てくるんだよ」
「そ、そんなことはいいの! 好きなの? 嫌いなの?」
「そう言われてもな……」
思わず返答に詰まる。
これまで考えてもみなかったことを改めて聞かれると、どう答えていいものなのか分からない。
とはいえ、紗月は内容こそあれだが真剣な眼差しで聞いてきている。
あまり適当な答えを返すのも気が進まない。
「結論から言うと、俺は大きいのも小さいのもどっちも好きだ」
「み、見境なし……?」
「落ち着け。その表現は語弊がある」
「もしかして、妹のかなちゃんでもおかまいなし……」
「いや、違うからな? 違うからそんな悲しげな目で俺を見るのはやめろ?」
少し身を引いて、潤んだ瞳でこちらを見てくる紗月。
その変態を見る目をやめなさい。限りなく変態なのはあなたです。
「俺が言いたいのは、胸の大きさ関係なく、その人その人のそれぞれの胸に魅力があるってことだ」
「ふ、ふーん。そっか……」
いまだジト目のままの紗月だが、どうにか窮地は乗り切ったようだ。
これ以上なにか言及されないように、俺はパソコンの画面の方へ視線を移す。
幸いにも紗月はそれ以上何か言ってくることはなく、俺の横で一緒にパソコンの画面を見つめていた。
ちなみに、紗月のほうへ振り向いたりは絶対にしない。もし、振り向けばおそらく再びお茶が口から飛んでいくだろう。
それほどまでに、今の紗月の格好は心臓に悪すぎる。
その後、数分もしないうちにパソコンの案件は解決。
まだ紗月のお母さんは戻ってきておらず、何も言わずに帰るのもアレなので、少し暇をつぶすことに。
部屋の中に何かないかと見ている途中、紗月を見てあることに気づく。
「そういえば、紗月。髪乾かさないのか?」
「え?」
さっきは胸ばかりに意識がいっていたため気づかなかったが、シャワーを浴びた後紗月の髪はまだ濡れたままだった。
「わ、忘れてた……」
「忘れてたってお前……。俺は適当に暇つぶしてるから、さっさと乾かしてこい」
「うん…………あ、あのさ。陸」
「ん、なんだ?」
「え、えっと。かなちゃんから聞いたんだけど、陸ってかなちゃんとお風呂一緒に入ってるのよね?」
「ぐっ……。ま、まあ、時々な?」
「ふ、ふーん……」
すみません嘘です。時々じゃないです。
早く帰った時や休みの日には、ほぼほぼ一緒に入ってます。ごめんなさい。
「それで、そのあとは髪とか乾かしてあげたりするの?」
「まあ、そうだな。甘えん坊なところは昔から変わってない」
「………」
「紗月?」
「ねえ、陸……私も、今日だけ甘えん坊になっちゃダメかしら?」
「……は? それってどういう……」
「だから、その。私の髪、乾かしてくれない……?」
……はい?
* * *
「えへへ、ありがとう。陸っ」
「まあ、別に構わないが……」
にこにこしながらソファに座る紗月と、その後ろにドライヤーを持って立つ俺。
家ではよく見る光景だが、それが幼馴染に変わっているだけでなんとも落ち着かない。
「じゃあ、乾かすぞ」
「うんっ。やさしくしてね?」
「……まかせとけ」
どこか引っかかるセリフを少し詰まりつつも受け流し、ドライヤーのスイッチを付ける。
紗月の髪をやさしくかきあげ、ドライヤーの風を当てていく。
大きくなってからは、初めて触った紗月の髪。
濡れていながらも分かるほどに軽く、艶があり、とても綺麗だった。
「ふふっ。陸、上手じゃない」
「お褒めに預かり光栄です、お客様?」
「陸ったら、美容師でも目指してるの?」
「どうだろうな。もしかしたら、それも悪くないのかもな」
「それなら私、常連さんになっちゃおうかしら」
「お待ちしてますよ、お客様」
そんな冗談で笑い合いながら、根元から順に紗月の髪を乾かしていく。
ドライヤーの風で揺らめく髪から、ほのかに感じる彼女の香り。
奏にやってあげている時とは違うんだということを、再認識させられているようで少し照れくさくなってくる。
「紗月って、その。髪、綺麗だよな」
「へっ?! な、なによ急に」
気づくと俺はそんなことを口走っていた。
「あ、いや。特に深い意味は無いんだが、単純にそう思ってな」
「も、もう。びっくりしたじゃない……」
「悪かったよ、変なこと言って。忘れてくれ」
「べ、別に、イヤだったわけじゃないわよ。その、嬉しかったし……」
「そうか? なら良かったが……」
髪は女性の命とも言うくらいだし、軽率な発言だったかもしれない。
まあ、少なくとも紗月も怒ってる様子は無さそうなので結果オーライだろうか……。
「~♪」
「なんだ、上機嫌だな。紗月」
「ふふ、まあね♪ ほら、陸。手が止まってるわよ?」
「失礼しました、お客様」
生まれ変わったら、あのお茶になりたい。