33 制服
季節は、春と夏の境目。退屈だった冬の間、嫌という程早かった日没は、今ではのんびりになりつつある。
椎名を家に呼びアルバム鑑賞をした後、変なことを言い出した彼女に早く帰れと言った。
しかし、俺が思っていたより外は暗くなく、椎名の希望で少し勉強をすることに。
こうなるといよいよ家庭教師の定義が怪しくなってくる。
「やっぱり場所が変わると、新鮮でいいですね。先輩」
「この部屋の住人である俺には新鮮さの欠片もないんだが」
「先輩の部屋、なかなか悪くないですね。これから毎日先輩の部屋で勉強しませんか?」
「俺に、毎日後輩の女子を部屋に招き入れろとそう言っているのか椎名は」
「何かまずかったですか?」
「不味すぎる。ゴーヤよりも不味い」
「先輩、ゴーヤ食べたことあるんですか?」
「いや、ない」
「食わず嫌いじゃないですか」
噂だけには聞くが、一体どんな味がするのだろうか。ゴーヤ。
高校三年生の修学旅行は毎年沖縄に行っているらしい。ぜひ一度食べてみたい。
「あのな、椎名。俺たちはもう日常化しているから何も感じないのかもしれないが、なんでもない男女が一緒の部屋で時間を過ごすってのははっきり言って普通じゃない」
「じゃあ、普通ってなんなんですか?」
「まあ、それは……ほら、あれだ。恋人的なあれだよ、分かるだろ」
「えぇ~、分かんないです~」
こいつ、分かってて言ってやがるな。
「とにかく、そんなことは恋人とかそう言う関係じゃなきゃおかしいだろ。奏や母さんになんて説明するか考えたくもない」
「そうですか。じゃあ……」
そう一言置いてから、椎名はゆっくりとこちらに近づき。
ほんのりと頬を染めながら、上目遣いに。
「私と先輩が恋人関係になったら、いいんですか……?」
「なっ……」
思わず言葉がつっかえる。
何を馬鹿なことを言ってるんだ、そんな一言さえ何故か喉に詰まって出なかった。
椎名はその言葉を冗談と言い換えることもなく、ただじっと俺の次の言葉を待っていた。
たかが後輩のからかい一つに、俺は何故こんなにも動揺しているんだ。
そう。そんなもの、さっさと否定してしまえばいい。そう、さっさと……。
「まあ……もしもだ。もし、そうなったときは、別にいいんじゃないのか。分からんが」
結局俺の口から出てきたのは、なんとも情けない肯定の言葉だった。
「ふふ、そうですかっ。それなら先輩の恋人になってあげるのも悪くはないかもしれませんね♪」
楽しそうに意地悪く笑う椎名。
まったく、あんなにあからさまで、ありきたりなからかいに動揺してしまう自分が情けない。
「少し飲み物取ってくる」
「はーい」
恥ずかしさゆえなのか、椎名の顔を見ているとどうにも喉が渇き、席を立つ。
一階におりてお茶を一杯飲む。
家庭教師として少しは成長出来ているかと思っていたのだが、男としては全く変わってない。
からかわれっぱなしというのも癪だ。何か椎名をからかうネタでもあればいいのだが。
そんなことを考えていると、ふとキッチンの勝手口へ視線が向く。
そこには、ゴミ出し用にまとめられた袋たちと、段々と積まれた雑誌が置いてあった。
そして、その雑誌の山の一番上。そこにあったのは妹の奏が買ったのであろう、キラキラした少女向け雑誌だった。
何より目を奪われたのはその雑誌の表紙に書かれた文字。
『男の子からされてキュンときちゃう行動ベスト10!』
なんとストレートな見出し……。思わず頬がひきつる。
しかし、不思議と興味をそそられるその見出しに、気づくと手に取ってしまっていた。
ひらりひらりとページをめくっていき、例の見出しの場所へと到着する。
始めのページに書かれた堂々の10位は、
『髪の毛についたゴミを取ってくれる♡』
……らしい。まあ、たしかにキュンとくるのか?
女子の気持ちというのは分からないのでなんとも言えないが、たしかに漫画とかではよく見るシーンのような気もする。
……と、この先も気になるが、これ以上椎名を待たせるわけにはいかない。
雑誌を元の場所に戻し、お盆とお茶を持って二階の部屋へ戻る。
「飲み物持ってきたぞ。少し休憩でも……おい、何してる」
「あ……」
先程まで机で真面目に勉強していた椎名は、今まさに俺の下着が入っているタンスをあけようとしていた。
「ち、違うんです先輩。決して先輩のパンツの匂いを嗅ごうとしてたわけではないんです」
「いや、そこまでは予想してないんだが」
「先輩が普段どんな下着を付けてるか単純に気になって、ついでにどんな匂いがするか確かめようとしてただけなんです」
「結局嗅ごうとしてるじゃねえか」
「お願いです先輩、信じてください!」
「ある意味信じたくもないんだが」
よく部屋に突撃してくる奏のためにも、別に見られて恥ずかしいのもは部屋には置いていない。
もちろん、タンスやロッカーの中にも置いていない。
とはいえ、いい歳した女子高生が平然と男子のタンスを漁るのはいかがなものか。
「椎名、何か言うことは無いのか」
「えっと。先輩って、トランクス派なんですね?」
「誰がパンツの感想を言えと。謝罪だ謝罪」
「ご、ごめんなさい……」
ぺこりと頭を下げる椎名。
こういう素直なところは大いに評価できるのだが、最近になって言動や行動に歯止めが効かなくなっているような気がする。
紗月と会って、あいつの性格がうつってしまったのだろうか。なんという不覚……。
「そういえば、先輩って中学の頃の制服ってまだ持ってますか?」
「唐突だな。制服ならたしか奥に閉まってあったはずだが……」
そう言いながら、洋服タンスを開け探してみる。
すると、それほど時間もかからずにお目当てのそれを見つけた。
「うちは学ランだったが、こんな感じだな」
「うわぁ、なつかしいですね……」
「なつかしい? この制服がか?」
「あっ、いえ! 私の学校もこんな感じの制服だったので」
「そうだったのか」
「は、はい」
どうしてか、椎名の視線が泳いでいるのが気になるが、何かあったのだろうか。
不思議に思って気まずそうな椎名を見つめていると、あることに気づいた。
ベッドでごろごろしたりしていた時にでもついたのだろうか。椎名の髪にホコリがついていた。
当然本人は気づいていないため、注意してやろうと……。
と、そこまで考えたところで、俺の脳裏には数分前の記憶がよみがえる。
そして、俺の頭の中でもう一度あの雑誌のキラキラした文字が再生される。
『髪の毛についたゴミを取ってくれる♡』
……いや、何を考えてるんだ俺は。
女の子がキュンとくるらしい行動を、椎名にやる必要なんて別にない。ない……。
……ん、待てよ?
女子がキュンとする。すなわちドキドキして胸が高鳴る、ということ。
椎名相手にそれを出来たなら、かなり椎名をからかうネタになるんじゃないのか。
そう、ついさっきまで考えていたことだ。
椎名だって散々俺を誘惑したりしてからかってきたんだ。
少しくらい、同じようなことで俺がからかい返しても何も言えまい。
少しの期待と、少しの不安と、少しの緊張感。
その全てを感じ、隠しながら椎名のそばへ近づき、そっと髪に手を伸ばす。
「ひゃっ。せ、先輩っ?」
「いいから、ちょっとじっとしてろ」
不意に髪を触られた椎名は、一瞬声を裏返してうろたえる。
これは、キュンとしてるのか……?
どうにもこれだけでは分からない。それが分からないのならば元も子もないのだが。
いまいち効果が見えないため、試しにその状態のまま止まってみる。
これだけじぃっと椎名を見つめたのは初めてかもしれない。
見れば見るほど整った顔だと素直に思う。大きな瞳に、肌は透き通るように白く……白く?
気づけば椎名の顔は赤く染まり、俺の手が触れる耳までもが染まっていた。
恥ずかしさの中で、何かを期待するような上目遣い。
これは、予想以上に効果ありなのかもしれない。
内心そんなことを考えながら、そろそろ椎名が限界そうなので解放してやる。
「ほら、髪にホコリついてたぞ」
「へ?」
そのホコリを椎名に見せつけてやる。
いつもは見せない少し間抜けな椎名の顔に、俺は笑いをこらえながら言う。
「どうしたんだよ、何恥ずかしがってるんだ」
「う、うぅ……せ、先輩のくせに生意気です!」
男の子からされてキュンときちゃう行動ベスト10。
もしかしたら、これからもお世話になるのかもしれない……。
私は過去にゴーヤを食べましたが、すごく……苦かったです。