32 アルバム
「……おじゃまします」
椎名を連れて自宅の扉を開ける。珍しく遠慮気味なトーンで静かに玄関をくぐる彼女。
「まだ親は帰ってきてないし、奏も今日は帰りが遅い。そんな緊張せずに上がってくれ」
「その情報は余計に緊張します……」
いつも通りなら「二人きりですね、先輩♡」くらいのことを言ってくると思ったのだが、一体どうしたというのか。
椎名が俺の家に来ること自体二回目でもあるし、今さら遠慮することなんて何も無いのに。
そんな彼女を連れて俺の部屋がある二階へ移動する。
部屋の前まで来ると、椎名がその扉を見て不思議そうな顔をする。
その視線の先には、まだつたない字で「にいさんのへや」と書かれたプレートが。
「これってもしかして?」
「ああ、小学校の頃だったかな。奏がプレゼントしてくれたんだ」
「にいさんのへや、ですか。ふふっ、かわいいですね」
たしかあれは奏がまだ低学年だった頃、夏休みの工作課題か何かで、ドアのプレートを作っていた。
てっきり自分の部屋用で作っていると思っていたのだが、いざ完成品を見てみればこの通りだった。
母さんや父さんをしのいで俺のために作ってくれるのは、嬉しい気持ちもあるがどこか申し訳ない気持ちもある。
自分で言うのもあれだが、奏が家族の中で一番懐いてるのは、十中八九俺だろう。
母さんは特に気にしていないみたいだが、父さんは心無しか寂しそうに見える。
「このプレートも、奏はもう捨てていいって言ってたんだがな」
「こんなにかわいいの、捨てられないですよね」
「ああ、当分は捨てられそうにない」
なんせ、奏が俺にくれた初めてのプレゼントだ。
かわいい妹お手製の贈り物をそう易々とは捨てられない。
最後にプレートを一撫した後、ドアを開けて椎名を中に入れる。
「これが先輩の部屋……。すごく綺麗ですね」
「そうか? ありがとな、一応日頃から整理はしてるつもりだ」
「見かけによらず先輩って、綺麗好きなんですか?」
「どうだろうな、普通だと思うが」
というか椎名のやつ、さらっと聞き捨てならないこと言いやがったな。
見かけによらずってどういう意味だ。俺が部屋を散らかしている顔をしていると言いたいのか。
「てっきり、男子高校生の部屋なんてみんな散らかってるものだと」
「全国の綺麗好きな男子高校生に謝れ」
「でも先輩は綺麗好きなわけではないんですよね? なのにこんなに部屋が綺麗なのは何か理由とかがあったり?」
「まあ、ないことはないが……」
「その理由とは?」
「えっと、少し言いにくいんだが。その、奏ってちょっと甘えん坊なとこがあるだろ?」
「そうですね。ちょっとと言うより、かなり甘えん坊だと思います」
はい、おっしゃる通りで。
「ははは……。そのせいでよく俺の部屋に来ることも多くて、そのせいで部屋の掃除は意識してるかもな」
「なるほどです。というか、かくいう先輩もだいぶシスコンだと思いますけど」
「え、そうか?」
「そうですよ。奏ちゃんには妬いちゃいます」
むぅ、と頬を膨らませた椎名は、おもむろにベッドへ腰掛ける。
そして、躊躇なくごろんと横になる。
「椎名さん、何をしているので?」
「ちょっとした食事のようなものなので、お気になさらず」
うつ伏せになって、すーはーと呼吸しながらこもった声でそう言う。
自分のベッドの匂いを食事と称して嗅ぐ後輩の女子を気にするな、と。彼女はそう言っているらしい。
もしそんな芸当が出来るやつがいるならいますぐ呼んできてほしい。
是非この状況をなんとか出来る方法を教えてもらいたい。
「椎名?」
「どうかしました?」
「あのな。俺は自分のベッドの匂いを嗅がせるために椎名を呼んだわけじゃないんだが」
「え、そうだったんですか?」
「椎名の記憶装置はどうなってるのか見てみたいものだな」
「うふふ、先輩はそんなに女の子の秘密が知りたいんですか?」
「何が秘密だ。そんなにも椎名の脳には、俺に知られたらまずいものが詰まってるのか?」
「それはもちろん、たくさんありますよ。……知りたいですか?」
「いや、別に」
「もっと私に興味持ってくださいよー。ぶーぶー」
おいこら。人のベッドでジタバタするんじゃない。
一応でも先輩であるやつの部屋というのに、最初に玄関で遠慮していた椎名はどこへ行ってしまったのか。
「中学校の頃の俺を知りたいんじゃなかったのか」
「めちゃくちゃ知りたいです」
「よし、それならまずベッドから降りることから始めよう」
「拒否します」
「おい」
私は譲りませんよと言わんばかりにベッドにしがみつく椎名。
まるで、全力で散歩に行きたくない犬のごとく。
「ところで中学生の先輩に会いに行くって言ってましたけど、結局どういうことなんですか?」
「そんなの決まってるだろ。これだよ」
俺はそう言いながら、自分の机から少しホコリの被った本を取り出す。
「もしかしてそれ、先輩の……」
「ああ、中学校の卒業アルバムだ」
「とぉー!」
「おわっ」
アルバムを掲げた瞬間に、目にも止まらぬ速さでそれを奪う椎名。
いや、なんだ今の。速すぎて残像すら見えなかったんだが。
ちゃっかりベッドにも戻ってるし。
「そこはもう少し遠慮したらどうなんだ」
「ぐへへ、中学生の先輩……」
「椎名さん、よだれが垂れてます」
俺の枕元でよだれを垂らす椎名さん。
あの、すみません。そこでこのあと寝るんです、俺。
「ほら、先輩も一緒に見ましょうよ」
「はいはい」
ベッドに寝転がった椎名がぽんぽんと自分の隣を叩く。
一瞬考えて、その位置にぽふっと腰掛ける。
「今のは添い寝してくれる流れじゃないですかー?」
「誰がするか誰が」
「えー? ちょっとだけ考えたように見えましたけど?」
「気のせいだ。おお、なつかしいな」
抜け目なく痛いところを突いてきた椎名から逃げるように、アルバムを開き中を見る。
最初のページには校舎やグラウンドなどの写真が載っており、なつかしさから思わず声が出る。
一枚めくると、いつ撮ったのかも覚えていない学年全員の写真が。
まだ記憶に残っているクラスメイトの中から自分を探す。
「先輩発見!」
「いや、なんで俺よりも見つけるのが早いんだ」
「きゃ~、先輩かっこいいです~」
「聞けよ」
椎名の見つめる先を見ると、そこには小さな笑みを浮かべる自分が。
いつも鏡で見る自分より少しだけ幼く、でも元気そうな顔で写っていた。
椎名は学ラン姿の俺を見て、かっこいいだのかわいいだの支離滅裂に感想をまくし立てる。一体どっちなんだ。
止まることを知らない椎名に、なんだか恥ずかしくなってきた俺はページをめくって先へと進む。
「うひゃぁ、ジャージの先輩! こっちは体操服!」
「楽しそうだな、椎名」
「当たり前じゃないですか。こんなもの滅多に見られないんですよ!」
「ジャージくらいなら体育の時いくらでも見れるだろ」
「先輩方が体育やっているところを覗きに行くなんて、そんな肉食な女子には見られたくないです」
「お、おう。正論なんだが、この釈然としない気持ちはなんだろうな」
修学旅行や体育祭などの写真をどんどんと見ていく。
その中で、いつ撮られていたのだろうか、図書館で一人勉強に取り組む俺の写真が小さく載っていた。
中学校を卒業時に見たときには気づかなかった。こんな写真があったのか。
少しの嬉しさを感じながらもう一度その写真を見ると、そこにはもう一人だけ人物が写っていた。
「なつかしいな……」
思わず声にも出してしまう。
写真を撮られていることにも気づかずに勉強する俺の近くに、見覚えのある女子を見つけた。
相変わらず長い前髪で顔は見えないが、たしかに俺の記憶にある読書好きのあの女子だった。
「先輩、何自分の写真見てニヤニヤしてるんですか? キモいですよ」
「お前なあ……男子にとって女子の『キモい』がどれだけの攻撃力になるか分かってるのか」
「知りませんよそんなこと。キモいです」
「おい、なんだよ。何怒ってるんだよ」
「別に、怒ってないですキモいです」
肘で俺の腰をつつきながら、キモいです連打をしかけてくる椎名。
地味に傷つくその連続攻撃に耐えながら、思い出のアルバムを最後まで読み切る。
一通りアルバムを見て、さらにキモいです連打でストレスを発散した椎名は満足そうに目を瞑る。
「いやぁ、思っていた以上に先輩成分を補給できました」
「なんの成分か知らんが、満足してくれたら良かったよ」
「はい♪」
先程まで学校にいた時に見せていた寂しそうな顔は一転、嬉しさ満天の虹のような笑顔を咲かせていた。
多少俺自身の犠牲があった気がするが、椎名が元気になってくれたのだから、良しとしようか。
そして俺は、ゆっくりとアルバムを棚に戻した。
「あれ、先輩。そのアルバムは私が持って帰るのでは……?」
「よし。暗くなってきたし早く帰ろうな、椎名」
椎名さん、持ち帰って何するんですか。