02 椎名家
椎名と一緒に、夕暮れの帰り道を歩く。
椎名はマンション住みらしく、学校から徒歩二十分ほどのすぐ近くらしい。
「先輩とこうして一緒に帰れるなんて、夢みたいです」
「大袈裟じゃないか?」
「そんなことないです。私にとってはビッグイベントですよ」
「そ、そうか」
誇らしげに語る椎名に、何か言える雰囲気でもなくなってしまい、適当に相づちを打っておく。
最初から気になっていたことだが、なぜ椎名は俺に執着するんだろうか。
俺よりイケメンで成績優秀なやつだって少なからずいると思うんだがな……。
「なあ椎名。一つだけ気になってることがあるんだが」
「? なんですか?」
「えっと。なんで、俺を家庭教師に選んだんだ?」
「え?」
「俺よりもっと頭いいやつなんて、他にもいっぱいいるだろ」
俺がそう問うと、椎名は少し考えた後、いじわるな笑顔を浮かべる。
「今は秘密ですっ。いつか、そのときが来たら、教えてあげます」
そう人差し指を口の前に立てて言ってきた。
こんな見え見えなあざとさに、少し動揺してしまった自分にため息が出る。
「……そうかよ。そのとき?が来たらまた聞くよ」
「はい♡」
椎名は手を合わせ、かわいい返事で笑うのだった。
* * *
椎名から教えてもらった通り、二十分ほどで彼女の住むマンションに到着する。
マンションは四階建てで、椎名は三階に住んでいるらしい。
階段を登り、部屋の扉の前へやってくる。
両親はまだ帰ってきていないのか、椎名が鍵を開けて中へ入っていく。
というか、椎名の両親にはなんて説明すればいいのだろうか。普通に見れば、彼氏を連れてきたと誤解されても何一つ不思議ではない。
「お邪魔します」
「えへへ、お邪魔されまーす♪」
女子の家にお邪魔するというのは、小さい頃に幼馴染の家へ行った時以来、たぶん初めてだろう。
内心かなり緊張気味だったのだが、冗談めかした椎名の言葉で、ほんの少し落ち着いた。
後々会うことは確定しているのだし、椎名にも聞いておいたほうがいいだろう。
「椎名、両親には家庭教師のことをどう説明するんだ?」
「へ? 別に今のところは何も言うつもりはありませんけど」
「いや、さすがにダメだろ。帰ってきて知らない男が家に上がってたら驚きもするだろ」
「いえ、親がこの家に来ることなんてそうそうないので大丈夫ですよ?」
「……は? 待て待て、どういうことだよ」
「そりゃあそうですよ。この家、私以外誰も住んでませんし」
椎名以外……住んでいない?
「両親は、いるんだよな……?」
「いますよ? ちょっと離れたところに住んでますけど」
「そ、そうだったのか」
高校生で一人暮らし……何か家庭の事情だろうか。
って、あれ。そうなると、当然だが今この家にいるのは俺と椎名だけ……。
「ふふっ。今、二人きりだなあとか考えました?」
「な……」
「もうっ、図星ですか? 先輩。親とは別居してるので、ず~っと二人きりですよ?」
思わせ振りな微笑みでそう言ってくる椎名。
俺は、少し熱を帯びてきた頬を腕で隠してそっぽを向く。
「バカか。突拍子もない言葉に驚いただけだ」
「ふふ。先輩がそう言うなら、そういうことにしといてあげますっ」
椎名は、俺の言い訳に笑いながら返してくる。年下にいいようにからかわれるとは、不覚……。
両親がいないと分かって安心もしたが、逆に不安にもなる。
よほど大丈夫だとは思うが、一応でも一つ下の後輩と一つ屋根の下だ。間違いが起きないようにしなければ。
一つ深呼吸をしてから、俺も靴を脱ぎ椎名家へ足を踏み入れる。
マンションならではの細い廊下をまっすぐ進み、突き当たりのドアを開く。
向かって左手にキッチン。右手にはテーブルとソファ、テレビなどが置かれていた。
意外にも家具はシンプルで、綺麗に片付いていた。
「改めて我が家にいらっしゃいませ、村上先輩。この家に男の人を招いたのは、これが初めてなんですよ?」
「はいはい。嬉しいですよ」
「ぶ~。先輩つれないですよ~」
男という単語をわざと強調してきた椎名を適当にあしらうと、本人からブーイングが飛んでくる。
「俺をからかうのは好きにしてくれていいが、世の中には悪いやつもいるんだからな? 軽々しくそういうことを言ってると後悔することになるぞ」
心配だからこそ、ちょっと強めの口調で椎名を咎める。
しかし、椎名は特に反省した様子もなくさらっと答える。
「大丈夫ですよ、先輩。こんなこと、先輩にしか言いませんから♡」
「……そうかよ」
もうツッコミを入れる気力も無くなり、吐き捨てるように返事する。
そういう冗談を軽々しく言っちゃうところが危ないって言ってるんだがな……。
このまま話していてもラチが明かないので、さっさと本題に入ることに。
「じゃあ椎名、さっそく勉強するか」
「………?」
「ん、どうした椎名。そんな不思議そうな顔をして」
首を傾げて俺の顔を見つめていた椎名に問いかける。
と、訝しげな顔をした彼女から質問を返される。
「……先輩って、鈍感なんですか?」
「は? なんだよいきなり」
「(あそこでまで言ったら普通……)」
「何ボソボソ言ってんだよ」
問いかけるが、椎名からの反応はない。
しばらくして、もう一度俺の顔を見てため息を吐く。おい。
「やるならさっさとやるぞ。家の夕食もあるし、時間は限られてる」
「……分かりました。じゃあ私、ちょっと着替えてきます」
そう言って立ち上がり、自室へと入っていった。
まあ、家の中で制服っていうのもちょっと気になるか。
「せんぱ~い?」
「ん、どうした?」
振り返り、自室のドアから顔を出した椎名のほうを向く。
「覗いちゃ、ダメですからね♡」
「覗かねえよ。さっさと着替えろ」
「はーい♪」
かわいく返事をして顔を引っ込める椎名に、怒号を飛ばして顔をそらす。
ひょっこり頭をドアから出した椎名の肩は露出していて、ついでにブラの紐が見えていたのだ。
本当に無防備すぎる、あいつは。
しばらくしてから私服に着替えた椎名が戻ってくる。
パーカーにショートパンツというすごくラフな格好。そして椎名はピンク色の眼鏡をかけていた。
「椎名、コンタクトだったのか」
「はい、ずっとだと疲れちゃうので、家にいるときだけは眼鏡なんです。変ですか……?」
「いや、すごく似合ってるぞ」
「そ、そうですか。えへへ、ありがとうございます」
椎名は、眼鏡を触りながら照れくさそうにお礼を言う。
「よし、始めるとするか」
「はいっ」
椎名は弾んだ声で返事をして、鞄から教科書やノートを取り出す。
そうして、テーブルに座る俺の……隣に座った。
「……椎名?」
「どうかしました? 先輩」
「いや。なんか近くないか?」
「そうですかー? 普通ですよ、普通♪ それに、こうしないと先輩に質問出来ないじゃないですか」
「まあ、それはそうだが……」
椎名との距離はほぼゼロ。
肩やら肘やらがふれ合い、なんとも落ち着かない。
「そんなにくっつかれると、さすがに勉強を教えにくいんだが」
「ダメです~。私はこうじゃないと勉強出来ない体質なんです~」
「じゃあこれまでお前はどうやって勉強してきたんだよ……」
俺の質問に答える様子もなく、余計に体を押し付けてくる椎名。
くっ。どうしてこうも女子の体は柔らかいんだ。本当に落ち着かない。
「さあ、先輩っ。勉強しましょう?」
「……ああ」
結局、この落ち着かない気持ちと心臓のまま、家庭教師をすることになりそうだ。
女の子って柔らかいですよね。