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28 執行


 温泉街の観光を満喫し旅館にチェックインした俺たちは、若い女将さんに案内されて部屋に入る。

 四人部屋ということで中は結構広く、高級感が漂っていた。


 この辺りで有名と言われるだけはあって、机やイスの一つをとっても高級品なのが素人でも分かる。

 四人揃って部屋の内装に見とれていると、女将さんが部屋の説明をし始める。


 部屋の電気やエアコン、布団の場所などの説明を端的にしてくれる。


「大浴場は一階にございますが、こちらのお部屋には露天風呂も完備しております。あちらの扉の向こうにございますので、ご自由にどうぞ」


 説明の途中、女将さんから放たれた「露天風呂」という単語に女子三人がぴこんと反応し、我先にと部屋の奥の扉へ走っていった。

 俺と女将さんだけが取り残されどうしたものかと思っていると、女将さんが「お客様もどうぞ」と微笑んで言ってくれた。

 その言葉に甘えて、俺も三人の後に続く。


「うわぁ! すごく綺麗な景色です!」


 扉を開けた先は、まるでどこかの山の展望台のような景色が広がっていた。

 一面に広がる緑たちに、興奮した様子で椎名が声をもらす。


「あ、これが露天風呂ね。なかなか雰囲気出てるじゃない」


 その次に紗月が声をあげる。

 そちらを振り向くと、開放感あふれる本格的な露天風呂が。

 そこまで広くはないものの、二人から四人ほどで談笑しながら入る分には全く問題ない大きさ。


「兄さん。このお風呂、木でできてますっ」


 奏がそう言いながらお風呂の縁を、珍しそうに触っている。

 俺もつられて触ってみると、なんとも言えない心地よい触り心地だった。

 それにプラスして、なんとも落ち着く木の香りがする。


 なんなんだろう、この贅沢空間は。

 家族でもこんなところには旅行したことが無い。

 こんなところ、普通にお金を払ってきたらいくらかかるのだろうか。


 スマホで料金を調べようとも考えたのだが、恐ろしくてやめた。

 一応この旅行の名目は俺への給料になっているが、お金が絡むのを避けてこの結論になったんだ。

 旅館の価格なんて関係なく、この旅行を提案してくれた気持ちを尊重しないとな。


「お部屋についての説明は以上になりますが、お食事の時間はいかがなさいましょう?」

「ああ、ご飯の時間か……。三人とも、七時くらいで大丈夫か?」


 俺が問うと、三人とも頷いてくれる。


「じゃあ、七時でお願いします」

「かしこまりました。では、その時間になりましたらお食事をお持ち致しますので、それまでごゆっくりおくつろぎください」


 そう言って部屋を出ていく女将さん。

 腕時計を確認すると、時刻はまだ五時前。夕飯まではまだ時間がある。


「俺はもう少し部屋でゆっくりした後、旅館の中を散策するつもりだが、お前らはどうする?」

「私は先に旅館探検してくるわ」

「それなら、私も紗月姉さんと一緒に行きます」

「分かった。椎名はどうする?」

「それじゃあ、私も一緒に探検してきます」

「了解。じゃあ、気をつけてな」


 三人を見送って、誰もいなくなった部屋でだらしなく畳の上で横になる。

 しばらくごろごろした後、テレビをつけて実に地元テレビなチャンネルを流しかながら、お茶をすする。


 なんというか、久しぶりにこうして一人でゆっくりできた気がする。

 いつも、なんやかんやあの三人に振り回されて、落ち着く暇がなかった。


 今は誰も見ていないし、どれだけだらけていても何も言われない。

 そう考えると一気に体が脱力してきて、瞼が重くなる感覚とともに俺の意識は途切れた。



 * * *



「……ぃ。……んぱい。……てください」


 はっきりとしない意識の中、誰かの声が頭の中に響く。

 その声で少しずつ覚醒し始める意識。思い瞼を開け、ぼやける視界の中で目を凝らす。


「村上先輩、起きましたか?」

「……いや、寝てる」

「ちょっと、先輩!」


 快適な睡眠を妨害した忌々しい後輩に、一秒でバレる嘘をついて再び瞼を閉じる。

 納得いかないとばかりに体をゆすって起こしてくる椎名。まったく、先輩の睡眠時間を妨害するとは何事か。


「もう、先輩ったら……起きてくれなきゃキスしちゃいますよ」

「おはよう椎名、いい朝だな」

「もう夜ですよ。あと少しで七時です」

「そんなに寝てたのか。紗月と奏は?」

「今、二人で外の露天風呂に入ってますよ。もうすぐ上がってくると思いますけど」


 と、椎名が椎名が口にしたタイミングで、ちょうど二人が脱衣所から出てきた。


「ふぅ~、いい湯だったわね」

「はい、とても気持ちよかったです」


 髪を濡らしてホクホクしながら出てきた紗月と奏。二人とも、旅館で用意された浴衣を着ていた。


「あら、陸起きたのね。お風呂、先に頂いたわよ」

「兄さん、おはようございます」

「おはよう。露天風呂は満足出来たようだな」

「ええ、眺めも良いし最高だったわ」

「すごく良かったです。兄さんも是非入ってみてください」

「ああ、そうさせてもらう」


 二人にそう返した後、奏の髪を乾かしてあげていると時計は七時になり、女将さんが料理を持ってきてくれた。

 こういう料理には詳しくないためしっかりとは分からなかったが、前菜などに始まりお刺身や焼き魚、煮物などまさにこれぞ和食といった料理だった。


 特に、洋食や和食などに頓着しない俺だったが、この時ばかりは本物の和食というものに魅力を感じずにはいられなかった。

 結局、最初から最後まで飽きることなく完食した。

 女子三人も、終始おいしいおいしいと言いながらパクッと食べ切っていた。


 贅沢としか言いようのない夕飯を終え、少し消化を待ってから再び紗月と奏は出かけて行った。

 なんでも、部屋の露天風呂の次は大浴場だ、とのこと。あの二人、そんなに温泉好きだったのだろうか。


 結局、部屋に取り残されたのは俺と椎名。

 俺は、夕飯の満腹感と幸福感でしばらくボーッとしていたが、せっかくだし露天風呂くらいは入っておきたい。

 そう思い立ち上がろうとして、椎名に止められる。


「先輩、前に私とした約束、覚えてますか?」

「ん? この温泉旅行のことじゃなくてか?」

「違います。学校の図書室の時です。覚えてないですか?」

「あぁ~……一つだけ椎名の命令を聞く、ってやつか」


 俺の家で勉強会を行う前、図書室で椎名と勉強をした時。

 少し椎名をからかいすぎて機嫌を損ねてしまい、なんでも一つ言うことを聞くとか言ってしまったやつだ。


「そうです。そしてそれを今ここで執行します」

「お、おう。唐突だな。で、俺は何をすればいい?」


 椎名は「ふぅ」と一息吐いてから、何食わぬ顔で口を開く。




「先輩には私と一緒にお風呂に入ってもらいます」

「…………は?」




 右耳から入ってきたその言葉は、脳内で処理されることなく左耳から吹っ飛んで行った。

 え、椎名さんたら今なんて言った?


「二度も言わせないでください。先輩には私とお風呂で体を洗いっこしてもらいます」

「いやハードル上がってんじゃねえか。改ざんすんな」

「やっぱり聞こえてたんじゃないですか。嫌なんですか?」

「まず、嫌というかそういう問題じゃないだろ」

「どういう問題ですか?」

「なんだ、その。……倫理的な?」

「先輩、なんでもしてくれるって言ったじゃないですか」

「俺に出来る範囲とも言ったんだが……」


 俺のなんでもしてあげるキャパの中に、後輩の女子とお風呂に入るのは完全にオーバーフローである。ギャグではない。

 だと言うのに椎名は全く納得した様子がない。俺の日頃の教養はどこへ消えてしまったのだろうか。


「それに先輩、今井先輩と奏ちゃんとはお風呂に入ったことがあるんですよね?」

「そ、それはそうだが……。む、昔のことだろ」

「でも、奏ちゃんとはつい最近にも一緒に入ったんですよね?」

「なっ……」


 なぜだ……なぜその情報が椎名に行き渡ってしまったんだ。

 紗月も、俺と奏が一緒にお風呂に入っているなんてことまでは知らないはずだ。俺も他言なんてしない。

 となると、残された可能性は……。


「この前、奏ちゃんから聞きましたから。誤魔化すことは出来ませんよ、先輩」


 なんで言っちゃったんだ、奏……。そういうことは身内だけに留めとかなきゃだろう。

 とはいえ、自慢げに俺と一緒にお風呂に入っている話をする奏は、いとも簡単に想像ができて諦めもすぐついた。


「だ、だが、兄妹という一線がある。血の繋がりのない異性と一緒にお風呂は、さすがに……な?」

「先輩、なんでもって言ったのに」

「ぐっ。だ、だから、出来る範囲ならって……」

「あんなに私にひどいこと言ったのに」

「ぐぐっ……」

「先輩にとって、私はその程度の存在でしかないんですね」

「ぐぐぐっ……」

「だったら、そんな私がここにいる必要なんて、もう……」

「あぁぁぁ……もう! 分かったよ。入ればいいんだろ、入れば!」


 どんどんとえぐられていく心の痛みに耐えきれなくなり、気づくと投げ捨てるようにそんな言葉を吐いていた。


 俺のその言葉を聞いた椎名は。

 嬉しそうな、そして心の底から楽しそうに、


「じゃあ、決まりですね♪」


 いつものように笑いかけてくるのだった。

ついに椎名ちゃん、動きます!

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